1 全部、ちょうだい

「花...?白崎花がですか?」

俺は耳を疑った。朝の静かな職員室、学年主任の話に耳を傾けていると、思いがけない出来事が耳に飛び込んできた。

「いやぁ、分かりませんよ?彼女はクラスでも目立たない静かで優しい子なんでしょ?でも確かにホテルに中年男性と入っていく姿が目的されたらしくて...」

200人いる2年生の中でも特に真面目で優秀な白崎花。俺のクラス...正確には副担として俺が受け持ってるクラスの中の生徒だ。

肩までの黒髪、白い肌に華奢な体。清潔感と純情さで作り上げられたような彼女のイメージとはあまりにもかけ離れたニュースだ。何かの間違いでは、と口を開きかけると、担任が制裁するように間を割ってきた。

「ほーら、朝のホームルーム始まりますよ!行きましょう、秋山先生!」


廊下を担任の安藤先生と歩く。俺よりも歳下で...活発で正反対な先生だ。呑気に口笛なんか吹いている。いきなり思い出したかのようにこっちを振り向いてきた。

「白崎には言っておきますからぁ。ね?大丈夫ですよぉ!」

「安藤先生、これが事実だったら...」

神妙な面持ちで声を潜める俺とはこれまた正反対に大きな声でガハハと笑った。

「白崎ですよぉ!?あの白崎。成績優秀でま真面目な彼女がそんな如何わしい事と絡むわけないじゃないですかぁ!」

「誰がという問題ではないですよ」

ゆとり世代がもたらした性格なのだろうか。しかし深く言及しても何も変わる気もしないから窓の方に目を逸らした。


教室に入ると、白崎はいた。窓際の彼女の席は、どこか周りの生徒達から一線ひかれたような孤独感を味あわせていた。その姿は小さくも確かに美しく、賑わう教室内を静かにするよう促す安藤先生の声さえ、物騒な喧騒の一部に聞こえる。

彼女の話がもし事実なら。高校教師という立場も忘れ、悪い妄想に耽ける。あの可憐な彼女のどこにそんな汚らわしい感情があるのか。援助交際という結びつかない言葉も頭で飛び交う。恋も知らない少女が愛され方を知るはずがない、なのに自分からそれをせがむのか。そんなはずも信じたくない。彼女と目が合った。反射的に逸らしてしまう。黒い瞳はしっかり俺を映していた。一瞬の出来事さえ心を刺してきた。


夜8時すぎ。雨が降ってきた。仕事が片付かずこんな時間になってしまった。車に乗り込みワイパーを動かす。強い雨は闇夜から降り注ぐ。今日も家に帰れば、独り。

華やかな繁華街の横を通り過ぎる。高校の近くにこんな夜の街をつくるのも如何なものかとは思っていた。と、同時にやはり思い出すのは彼女の事だった。朝きり会っていなかった。昨日までそこらの生徒と変わらなかったのに、今日を節目に俺の目には一目置かれた生徒として見るしかないようだ。ホテルが立ち並ぶ街。目を配りながら車を走らせる。繁華街と道路を交互に見るうち、俺は急ブレーキをかけた。

彼女だ。白崎花が、いた。

白いワンピースに黒いヒール。肩にかけたカーディガン。化粧をしても分かる、その姿に俺は思わず目を止めた。息を飲んだ。隣にいるのは、父親ともとれるくらい歳のいった男だった。肩に手を回す男の姿に嫌悪感を示す様子はない、喜びも感じられない。心がない人形のように、彼女は微笑んで歩いていた。どうするべきか迷っている暇はなかった。ホテルに入ろうと足を進める彼らを引き離す他なかった。歩道沿いに車を止め、飛び降りて走った。後ろからの突撃に彼らは気づく様子もなく、引っ張られるように花は歩いている。手を、掴んだ。彼女は驚いて小さい悲鳴を漏らすとともに、私の顔を見た。視線があった。

「花、逃げるぞ」

男が俺に気づく。いかにも不快そうな顔に変わり、「誰だお前」と声を荒らげた。肩に回した手をはね避けるように振り払い、俺は花の手を握り無理やり走らせた。

「ねえ、先生」

手を引く後ろ側から小さく俺の名を呼んだ。酷く落ち着いた声だった。あまりにも小さいその手は折れそうになっていた。

「先生ってば」

「それはあとだ」

無我夢中で夜の街から逃げ出した。



車の中で彼女はずっと目を伏せていた。俺にバレた罪悪感か不安か、はたまた遅れて恐怖が襲ってきたのか、その顔からは悲しみしか受け取れない。雨はずっと降っている。

「寒くはない?」

そっと声をかけるも返事はない。ない方が気持ちが落ち着くのは確かだった。こういう時、なんて声をかけたらいいのか俺には残念ながら分からない。

「白崎、その、家まで送るから」

「ねぇ、びっくりした?」

俺は素直に言葉を失った。彼女のテンションと顔色、様子に反比例するような声の明るさだった。それに、誰に対しても丁寧な口調でものを言う彼女が唐突に笑いかけてきたのだ。返事に戸惑い、いや。と返すと、その声はいっそう楽しそうに続けた。

「あーぁ、あのおじさん、お金持ってそうだったのになぁ」

やはり、この子は..... あって欲しくなかった事実にハンドルを握る手が重く感じる。

「何回も、こういうことしてるのか?」

「んーん。今回が初めて。あ、アブナイことなしなら3回目くらい?体まで提供しようとしたのは今日が初めてだよ、ほんと」

ケラケラと笑う彼女は、俺にその本性を隠すつもりもなさそうだ。ただ、彼女の言葉が嘘でも信じたくなりほっとする自分がいた。まだ男を知らない、それだけでよかった。大人の汚い世界に引きずり込むわけにはいかない。

「白崎、あのな。大人は怖いんだよ、簡単に君みたいな子供を騙そうとする」

「どうして?」

「どうしてってそりゃ」

「大人の方が愛を知ってるはずなのに?」

その言葉に思わず心が音を立てて高鳴った。動揺ではない、どういう感情なのか自分でも分からない。

「大人は愛し方も愛され方も知ってる。大人になるに連れて、愛を伝える手段はハグからキス、キスからセックスってどんどん深く広がってく。羨ましいことなのに、大人になればなるほど、人を愛する事を軽く見て、誰でも愛せるって勘違いをするのはなんで?」

彼女は続けた。その言葉には吐き捨てたような感情がこもっていた。白崎、という言葉が出ない。彼女はドアを開け、そっと呟いた。

「もう近いから、家。ありがとうね、先生」

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無償の愛なんて君にしか 世紀末パンダ @panda0411

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