第33話

「そうか、じゃぁ、気をつけて帰れよ」


 タクシーから降りたテルミは、克彦の乗るタクシーに振りかえると、軽く敬礼をして、酔いでふらつく足でマンションの方に歩いて行った。


「運転手さん、少し前に出て、止まってくれる」


 克彦はそうドライバーに指示すると、ポケットからオペラグラスを取り出し、後部座席の窓からテルミの姿を追った。

 テルミは、ふらふら歩きながらマンションの入り口に到達するが、その場で座り込んでしまい中に入って行こうとしない。バッグから携帯を取り出すと誰かに電話をしているようだった。


『あーん?こんな時間に誰に電話してるんだ?』


 克彦はオペラグラスで、さらにテルミを見守った。


 やがて、マンションの入り口から男が出てきた。

 男はテルミと何か言い争っているようだったが、結局バッグを受取り座り込むテルミを背負った。


『ああ、やっぱり男と暮らしてるのか…』


 おぶられたテルミは、はしゃぎながら男の片耳を引っ張り、男は痛さのあまり引かれる方向にひと回りせざるを得なかった。

 こちらを向いた男の痛そうな顔を見て克彦は愕然とする。その男は彰夫だった。

 彰夫はテルミにおもちゃにされながら、ようやくマンションの入口にたどり着く。

 マンションに入る直前に、テルミだけが振り返った。テルミが悪戯な笑顔でこちらに敬礼しているのを、克彦はオペラグラスを通してはっきりと見た。

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