第21話

「ジェフリー・スミスは『解離性同一性障害における治療の理解』の中でこう述べているよ。『解離性記憶喪失を感情的トラウマの為の一種の回路遮断機と見なすならば、記憶喪失の引き金となりうるほどの深刻なトラウマは何か、という疑問が生じる。第一の、そして最重要の要素は、私見では孤独感、すなわち安心してその事象を分かちあえる人間の欠如である』わかるかい?」


 彰夫は腕組みをしながら眉をひそめる。


「わかったような、わからないような…」

「おやまあ、君を大学院に推薦した私の眼力が狂っていたのかな」

「杉浦先生、いじめないでくださいよ」

「はは、つまりね。障害者に『安心していられる場所』を設けてあげることなんだよ」

「いたって哲学的ですね。医学的じゃない気がします」


 杉浦教授は笑いながら講義を進めた。


「もっと混乱させてあげようか。『切り離した私』は『切り離されたわたし』を知らないが、『切り離されたわたし』は『切り離した私』のことを知っていることが多いんだ。 そして『切り離されたわたし』が一時的にでもその体を支配すると、表では人格の交代となる」

「『元々の私』『切り離した私』を主人格、または基本人格と呼ぶ。 それに対して『切り離されたわたし』が解離した別人格であり、交代人格という」

「それらの交代人格は表情も、話し言葉も、書く文字も異なり、嗜好についても全く異なる。 例えば喫煙の有無、喫煙者の人格どうしではタバコの銘柄の違いまである。また心理テストを行うとそれぞれの人格毎に全く異なった知能や性格をあらわす。顔も全く違う。 勿論同じ人間なのだから同じ顔ではあるが普通の表情の違いとは全く違う。そのほか演技では不可能な生理学的反応の差を示す」

「先生、もうちょっとゆっくりお願いします」


 杉浦教授は笑顔で言葉を切った。もう生徒いじめをやめようと思いなおしたらしい。


「つまりだね。及川君。多重人格といわれてもひとつの肉体に複数の人格が宿った訳ではないんだ。あたかも独立した人格のように見えても、それらはひとりの人格の『部分』なんだよ。いくつもの人格が実態として存在するのではなく、個人の主観的体験の一部だということをはっきりと認めてもらえる場所。それが『安心していられる場所』なんだ」

「うーむ」


 彰夫は教授の話を理解しようと懸命に考えた。


「及川君。今の講義をレポートにまとめて、来週までに提出するように」

「えっ?」

「冗談だよ、ははは」


 教授に礼を言って、彰夫は大学を出た。家に帰る道すがら、教授の話を聞いて、考えに考えた挙句、彰夫は一つの結論を得た。


『結局…、彼女に関わらない方がいい』


 彼らしい非建設的な結論だった。

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