第7話

「彰夫くん。ちょっとこっちへお出でよ」


 建売工事の現場から戻った彰夫に、克彦が小さく手招きした。その手に、タウン情報誌を持っている。


「藤沢にあたらしく出来たキャバクラが、えらく評判がいいんだ」


 克彦が開いた情報誌を彰夫に指し示す。そこには、派手に着飾ったキャバクラ嬢が数人、扇情的なドレスを身につけて笑顔で並んでいた。


「今度行ってみないか?」

「また、姉貴に怒られますよ」

「自分の楽しみで誘っているんじゃないよ。女に縁がない義弟のために、女性と触れ合うきっかけづくりに協力をするんだから、問題ないでしょう」

「そこで遊んだ領収書を持ってきても、交際費では落とさないからね」


 知らぬうちに、信子がふたりの背後に立っていた。


「かっちゃん、彰夫を変なところに連れて行かないでよ」

「いや、女性と出会う機会を作るのは大切でしょう…」

「それなら、キャバ嬢の写真じゃなくて、見合い写真でも持ってきなさいよ」


 信子はあごで、克彦の手にする情報誌を指し示す。克彦は慌てて情報誌を閉じた。


「彰夫、あなたの留守中に、松風マンションの大塚好美さんって方から電話があったわよ」


 あの時の少女か。変わった娘だった。彰夫は、松風マンションへ案内した時のことを思い出す。

 部屋に入ると、とにかく海の見えるベランダへ直行し、家賃も聞かず即決していたっけ。デスクに戻った彰夫は、会社の電話を使わずに、自分の携帯で好美に電話を入れた。そのことが、彼の『いつも通りの世界』から逸脱していくきっかけになるとは、その時は想像もできなかった。


「もしもし…」

「は…い…?」

「江の島ハウジングの及川です」

「ああ…」


 最初は警戒心丸出しの応答だったが、彰夫の名を聞くと安心したのか、彼の携帯から透きとおった声が返ってきた。


「及川さんでしたか…知らない着信番号だったんで…失礼しました」

「いえ…お電話を頂いたみたいで…。お部屋の件で、何か不都合がありましたか?」

「いえ…、海も見えるし、部屋も気に入っているんですけど…」

「どうしました?」

「この4階のフロアで、深夜に帰宅される方がいて…。その時騒がれるので目が覚めてしまって…」


 彰夫は、好美が初めて店に来た時を思い出した。存在感が希薄で、対人恐怖症とも思える彼女の物腰を考えると、相手に直接文句を言うなど到底出来ないだろう。


「わかりました。その方に僕が注意しましょう。この手の注意は、騒いでいるその場でないと効果が無いので、だいたいの時間を教えてもらえますか?マンションの前で待機しますから」

「でも…毎日ではないから…」

「かまわないですよ。空振りの夜があったって…」


 申し訳ないと何度も謝る好美からようやく時間を聞き出すと、彰夫は電話を切った。


「彰夫。そこまであんたがやる必要あるの?」


 電話に聞き耳を立てていた信子が心配そうに言った。


「当たり前の顧客サービスだろ…」


 彰夫はそう言いながらも、別な顧客だったら同じように対応していたかどうかは自信が持てない。信子の心配そうな顔に、居心地が悪くなった彰夫は資料室へ逃げ込んだ。

 一応好美と同じフロアの住人をチェックしておこう。相手がやくざだったらおおごとだ。

 しかし、ひと通り賃貸契約書を見ても、そんなことをするような人物が見当たらない。改めて好美の借主ファイルを見なおした。大塚好美。22歳。実家は奈良県。女子美術大学 美術学科 美術教育専攻。相模原キャンパスに通う美大生だった。

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