第7話

 エラは、ガイドブックを見ながら歩いているタイセイにようやく追いついた。


 さて、どう説明したらよいものか…。彼の背に声をかけることに躊躇していたので、ある程度の距離を置きながらタイセイの後を付いていくという状況がしばし続いた。

 外国の旅行者に共通であるが、スリ等のトラブルに合わないようにと、周りの状況に神経をとがらせているタイセイにとって、そんなエラの存在に気づかないわけがない。


『どうしよう…危ない人に関わっちゃったかな』


 感謝の気持ちの表れだったのかもしれないが、相手は見も知らぬ自分にいきなり抱き付いてくるような女性だ。目の応急処置も終わって、自分に何の用があるというのか…。後をつけてくる理由がさっぱりわからぬ彼は、とにかく気づかぬ振りを通すことにした。とにかく…ガイドブックを頼りに歩みを速め、楽しみにしていた香港観光を無事完遂させるのだ。


 もともと彼は、たった1日ではあるが、新旧の香港の佇まいが楽しめる中環(セントラル)エリアの街歩きで、香港観光を楽しもうと心に決めていた。いわゆる名所で混雑が筆致の山頂(ビクトリアピーク)を避けたのは、喧噪を嫌う彼の性格による。

 本来は上環(Sheung Wan)駅から中環(セントラル)駅への散策であったはずだが、タイセイのMRTマップの見間違いで一つ手前の駅で降りてしまった。それで、エラとの出会いが生じたわけだから、ドラマというのは果たして、こうした小さな間違いから生まれてくるものだ。


 タイセイは、早歩きで德輔道中を西へ移動する。

 足は長いがタイセイより小柄なエラは、そのスピードについていくのに苦労しているようだ。いいぞ、このままいけばいつか振り切れるかもしれない。

 タイセイは永吉街(ウインカッツストリート)、そして摩羅上街(キャット・ストリート)へ。

 ここは女性ものの雑貨にしろ、価値不明な怪しいアンティックにしろ、雑多な品物が無造作に、まさにゴチャッと積まれた店が立ち並ぶ。まるでおもちゃ箱をひっくり返したような楽しさがある街だ。


 タイセイはそれとなくエラの様子をうかがった。彼女は、なぜがキッチュな雑貨との出会いに夢中になって、店先ではしゃいでいる。もうタイセイのことなど忘れているようだった。今だ!。タイセイはそんなエラを残し足早に街を離れた。


 次の目的地は、荷李活道(ハリウッドロード)のスタート地点にあるショップ「HULACAMP」。 オーナーは、パキスタン人でありながらも香港の業界屈指のビジネスマン。国籍に問わず誰でもビジネスを起こせるのは、さすが国際商業都市香港といえる。

 このオーナーは、日本の新しいものに目がなく、それらを収集して、遊び心満載でここにショップを作った。商品のメインは、カシオの時計とハリオガラス。日本では違和感のある品揃えぞろえだが、それがここではいたって自然に陳列台に並んでいる。

 不思議なことにカシオは日本のブランドなのに、日本で手に入りにくい限定モデルがこの店にずらりと揃っている。もちろん、タイセイのお目当ては、日本では手に入らないモデルのカシオ時計だった。


 ひとしきり買い物を楽しんで、お気に入りの時計を腕に巻いたタイセイは、満足げに店を出る。次の目的は荷李活道(ハリウッドロード)に対して細く平行に位置する新街(ニューストリート)。

 さて、歩みを進めようとするのだが、なぜかその一歩が踏み出せない。そういえば彼女はどうしたのだろうか。自分を見失って諦めて、どこかに行ってしまったに違いない。それで「良かった」という気持ちに、妙な「気がかり」の風が吹きつける。足が勝手に摩羅上街(キャット・ストリート)へ戻る道へ動いていった。

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