718 ▽王女の語る伝承

 少し日の傾き駆けた空の下、ひとりの女性が佇んでいた。

 美しいウェーブを描いた金色の髪が夕焼けを反射し輝いている。


 彼女こそファーゼブル王国最強の女剣士。

 偉大なる天輝士グランデカバリエレの称号を持つ者、ベレッツァである。


 愛称はベラ。

 彼女は今、セアンス共和国首都ルティアのとある場所で人を待っていた。


 見上げる先にあるのは豪奢な建物。

 この街の政治中枢である議事堂の次に大きい建築物だ。

 すべての輝工都市アジールに必ず存在する、大輝鋼石を安置するための神殿である。


 やがて、建物の中からひとりの女性が出てきた。

 彼女もまたベラに負けず劣らず美しく気品ある女性だった。


「お待たせしました、ベレッツァ様」

「いいえ。お疲れ様でした、シルフィード王女」


 染め上げたピーチブロンド桃色の髪

 神殿から姿を現したのはシルクという少女。

 今は亡き新代エインシャント神国王家の生き残り、シルフィード王女である。


「無事に習得完了しました。いつでもルーチェさんたちの所に戻れますよ」

「なんと……」


 シルクは今、この神殿の中でとある輝術を習得した。


 特別な例外を除けば、輝術の習得には都市の輝鋼石と契約を行う必要がある。

 契約を受けるためには厳しい審査とテストを受けなければならない。

 実際に受けられたとしても習得の可否は本人の資質次第だ。


 こちらの事情を責任者に話した所、契約の許可は簡単に下りた。

 議会が麻痺している中、神殿を管理する教会が機能していたのは幸運であった。


 しかし、一度見ただけの第四階層の輝術をあっさり習得してしまうとは……

 新代エインシャント神国の王女だけあって彼女は類まれな才能の持ち主だ。


「おみそれ致しました。さすがは姫殿下でございます」

「よしてください。ベレッツァさんの方がずっとすごいじゃないですか」


 シルクが習得したのは、空間転移テレポートという名の輝術。

 遠く離れた場所まで一瞬で移動できる便利な術である。




   ※


 海峡を守る巨大怪獣、覇帝獣ヒューガー

 あの化け物の存在を知らせるため、ベラたちは一旦ルティアへと戻ってきた。


 あれは並の戦士が何百人集まろうともどうにもならない敵だ。

 迂闊に挑めばせっかくの戦力も一瞬にして壊滅してしまうだろう。


 獣将と夜将が倒れたことで、人類は大いに気勢を上げた。

 この勢いを駆ってプロスパー島に進軍するという案も当然出るだろう。


 今は議会の混乱と指導者の欠如もあって、ひとまずベラたちが先遣部隊として島に向かうことになったが、結果としてそれが幸いとなった。


 この報告によって、大規模な反攻作戦は事実上凍結。

 マール海洋王国にも同様の情報が伝わることになった。


 ベラたちはこの後、海峡近くで待っているルーチェたちと再び合流し、今度こそプロスパー島へ渡る。


 ルティアに戻る時はベラが魔剣ディアブロにストックしてあった空間転移テレポートを使ったが、帰りの分だけですべて使い切ってしまった。


 帰りはルティアで同様の術が使える輝術師を探してストックを頼むか、あるいは時間が掛かってでも自力で飛んで帰るしかないと思っていたのだが、シルクはなんと自ら空間転移テレポートを習得すると申し出てくれた。


 彼女が空間転移テレポートを使えるのなら、危険を冒して進む必要もない。

 道中をすっ飛ばして一瞬で目的地まで辿り着くことができるからだ。


 つまり、海峡を守る覇帝獣ヒューガーと戦う必要もなくなる。

 魔王軍の防衛網を無視し、一気に敵中枢まで入り込むことも可能だ。


 空間転移テレポートの取得は、この上ない妙案であった。


「本当はこの術、ずっと習得しちゃダメって言われてたんですよ」

「それは一体何故でしょう?」

「城から抜け出し放題になっちゃいますから」

「?」


 シルクの王宮抜け出し癖を知らないベラは首を傾げるしかなかった。


「それでは早速行きましょう。準備はいいですか?」

「はい」


 特に名残を惜しむこともない。

 むしろ一刻も早くルーチェの元へ戻りたい。

 ベラは恭しくその場で跪いて、シルクの手に触れた。


「お手を失礼致します」

「そんなに畏まらなくても……いきますよ」


 早口の半圧縮言語で輝言を唱えるシルク。

 術は三秒足らずで完成した。


空間転移テレポート!」


 感覚が消失し、視界が歪む。

 次の瞬間、二人の姿はルティアから消えていた。




   ※


「……ごめんなさい。ちょっと失敗しちゃいましたね」

「なんの。初めて使ってこれなら、十分に素晴らしいと言えるでしょう」


 決してお世辞ではなく、ベラは本心からそう言った。


 シルクの空間転移テレポートは無事に成功した。

 ただし、辿り着いたのは待ち合わせ予定の町ではない。


 ベラは流読みで周囲を確かめてみる。

 町から少しズレた森の中に降り立ったようだ。


「もう一度……」

「いえ、町はここからあまり離れていませんし、日暮れまでには辿り着けると思いますから、残りは徒歩で向かいましょう」


 空間転移テレポートは四階層の輝術にしては非常に消耗が激しい。

 便利な術ながら、習得している人間が限られている理由のひとつでもあった。


 そういうわけで、二人は歩いて町を目指すことになった。


「あの、ベレッツァ様」


 道すがら、シルクがベラに語りかけて来る。


「とつぜん変なことを言いますが、聞いていただけるでしょうか」

「はい。なんでしょう?」

「これから激しくなると予想される戦いの中、弱い私は命を落とすことになるかも知れません……」

「何を仰います。心配せずとも、我々が全力で王女殿下を守りますよ」

「いえ、聞いてください。貴女を信頼できる方と見込んで、今のうちにお話しておきたいことがあるのです。万が一にも伝承が失われることのないように」


 彼女の態度は真剣で、何か本当に大切なことを伝えようとしている感がある。


「私で良ければ是非とも拝聴させて頂きましょう」

「ありがとうございます。突拍子もない話に聞こえると思いますが、ぜひ記憶に留めておいて下さい」


 一体なにを聞かされるのだろう。

 ベラは喉を鳴らしてシルクの次の言葉を待った。


「これは教会の欺瞞と、神国の秘部、そしてこの世界の真実の話です」


 そしてシルクは語った。

 ベラの知る歴史と異なる事実を。

 教会の教えに真っ向から背く、異端の説を。



   ※


 今から千年以上も昔……

 正確に言えば、における千年前の話。


 ミドワルトとビシャスワルトの二つの世界は、今のミドワルトよりもずっと機械マキナ技術が進んだ、とある世界のとある国家のとある人間の手によって作られた。


 その世界の仮称はヘブンリワルト。

 国家の名は紅武凰国こうぶおうこく


「神たる創造主が、我々と同じ人間であると……!?」

「その通りです」


 ベラは想像を超えた話に呆然となってしまう。

 しかし、おとぎ話だと断ずるにはシルクの表情は真剣そのものだった。


 あり得ること……だろうか?


 輝工都市アジール機械マキナ技術はこの数十年で飛躍的に進歩した。

 街壁の外と比べれば、別世界と言えるほど人々の暮らしを変えたといえる。


 この進歩があと一〇〇年か二〇〇年も続けば、世界はどう変わるかわからない。

 ここよりも少しだけ技術の進んだ国があったとしてもおかしくない。


「この事実は大賢者様ですら知りませんでした。新代エインシャント神国の王位継承者と教皇だけに代々伝えられて来た秘中の秘です。他の大国の王族にすら不出の真実です」


 そんな大切なことを、自分などが知って良かったのだろうか。

 いくら非常事態とは言えベラは責任の重さに冷や汗を流す。


「何故、その世界の人間は我々の世界を創造したのでしょうか?」

「元々ビシャスワルトは実験場。ミドワルトは紅武凰国の民にとっての新天地だったと伝わっています」


 教会の隠していた真実。

 神話を否定し、歴史を根底から覆す現実。


「にわかには信じがたい話です。しかし、姫様が仰るならばきっと事実なのでしょう」


 技術の隔絶した世界。

 同じ人間なのに神と獣ほども異なるほどの。

 そうやって考えると、あまり面白い気分はしないが……


「ですが、もうひとつ疑問があります。その世界の民にとっての新天地と仰いましたが、実際にはミドワルトに残された歴史は千年前から始まっています。なぜ彼らは自らの技術を残さず、一から文明をやり直すような事をしたのでしょうか?」

「とある人物たちによって計画が歪められたからです。紅武凰国の技術は輝鋼石や一部の神器を除いたすべてが排除され、何も知らない子ども達だけがミドワルトに取り残されました。現在、二つの世界は完全に独立し、ヘブンリワルトの手を離れていると言われています」

「とある人物……とは?」


 ベラの問いにシルクは答えた。


「新世界のアダムとイブ。そして、魔王とその妻です」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る