699 ▽贖罪成らず
斬る斬る斬る。
ひたすらに斬りまくる。
奈子は魔物≪エヴィル≫の群れを次々と斬り捨てた。
しかし敵の勢いは止まらない。
「怯むな者共! 敵の顔にはすでに疲労と焦りが見えておる!」
「おおおおーっ!」
「ザンキ使いを倒した勇者には望むがままの栄達が待っておると知れ! うぬら部族の千年の繁栄のため、今こそ一層奮起せよ! 命を惜しむな! 名こそ惜しめよ!」
「おおおおおおおーっ!」
それもすべて、ヤイタカという敵の指揮官による督戦あってこそだ。
鋼の身体を持つこの敵には斬撃が通用しない。
多少なりともダメージを与えるには『光突』しかなかった。
但し、それを放つためにはほかの敵を斬って力を溜めなければならない。
迫り来る巨体から逃れながら敵の雑魚を屠る。
ある程度の力が溜まったら、ヤイタカへと向かって放つ。
ひたすらこれを繰り返しながら、奈子はもう三〇分近く全力で戦い続けていた。
「ひとりずつ挑むな、四人がかりで四方から攻めよ! 卑怯と思うな! 敵の疲労を蓄積させるのだ!」
「うおおおおおおっ!」
ヤイタカは奈子の弱い部分を正確に見抜いていた。
彼女の斬輝はあらゆる敵を一撃で斬り捨てる最強の攻撃技だ。
けれど、奈子自身は輝攻戦士ではない、生身の人間に過ぎないのである。
華奢な見た目通り、彼女の体力はそれほど多くはない。
四方向から迫る敵を同時に倒す技量はあるが、その際の消耗はとてつもなく激しい。
疲労が蓄積すれば動きも鈍る。
その証拠に先ほどから敵の攻撃に掠る回数が増えていた。
今のところ致命的なダメージは受けていないが、これでは倒されるのも時間の問題である。
一か八か、攻勢に転じるしかない。
「はっ」
奈子は何度目かの光突を放った。
攻撃はヤイタカの首筋に命中したが、身体を少し揺らしただけだ。
「狙いが甘くなっているぞザンキ使い! やはりもう、限界が――」
奈子は敵の挑発を無視、刀を鞘に収めた。
「観念したか!」
横から飛び込んできた狼の頭を持つ魔獣が奈子に向かって爪を伸ばす。
奈子は上半身を低くして、その攻撃をスレスレのところで躱した。
完全に無防備な状態のまま、迫る敵の攻撃をくぐり抜ける。
「決死の特攻か!」
数秒でヤイタカの目の前まで辿り着く。
腰を沈めた状態から、彼女は一気に刀を抜いた。
「はあああああっ!」
奥義・一の太刀。
抜刀術の一種、神速の斬撃である。
村の流派に伝わる必殺技、達人が使えば鋼鉄すら両断する。
奈子が放てば、まさに一撃必殺。
斬輝を極めてからは使う必要もなくなった技であったが……
「ぐ、おおお……っ!?」
刃は鉱石人族の身体へと食い込んだ。
だが、両断するには至っていない。
「我が剣の神髄は力ではなく、敵の劣点を見定めること」
もっとだ。
もっと、押し込め。
敵の体ではなく、その奥にある『邪悪の核』を斬り裂くのだ。
「おおおおおおお……っ!」
奈子が腕に力を込める。
刃が少しずつ敵を内側から裂いていく。
「この、ヒト風情がぁ!」
ヤイタカの巨大な手が奈子の腕を掴み、その手に力が加わる。
ボキリ、と。
嫌な音が響いた。
「あああああっ!」
痛い。
けど、絶対に刀からは手を離さない。
「貴様らぁ! 何をやっている、こいつを殺せェ!」
「お、おおおおっ!」
「死ねぇ! ザンキ使い!」
「ぐっ……」
奈子の背中に無数の攻撃が突き刺さる。
牙が、爪が、炎が、氷の刃が、奈子の身体を抉った。
「これくらい……っ」
自分が殺してきた人たちの事を思えば。
こんな痛み、罰のうちにも入らない。
「うおおおおっ!」
「はっ!」
ぶちり。
しゃきん。
二つの音が同時に響いた。
前者は奈子の右腕が捻じり切られる音。
後者はヤイタカの身体が胴体から真っ二つに分かれる音。
「馬鹿……な……」
滑り落ちてゆく鉱石人族の上半分。
それは地面に落ちる前に、藍色の宝石へと姿を変えた。
「う、うわああっ!?」
「ヤイタカ様がやられたーっ!」
倒れるはずのない司令塔がやられたことで、魔王軍の中に動揺が走った。
これで敵軍が退いてくれれば、奈子の気合い勝ちである。
だが、名将の徳は死後も味方を支え続けた。
「う、狼狽えるな! 敵はもはや死に体だ!」
「右腕を失った剣士に何ができる! ヤイタカ様の仇を討つのだ!」
奈子はもはや満身創痍であった。
右腕を失い、背には致命傷になり得る傷を負った。
言語に絶する痛みが全身を襲い、もはや立っているだけでも辛い。
しかし、奈子は叫びを上げなかった。
彼女はすでにここを死に場所と見定めたのだ。
「償いとするにはあまりに足りないけれど」
残った左手で武器を握る。
刀はすでに刃毀れでボロボロだった。
あれだけの無茶をやったのだから当然だろう。
もはや弟に託すという願いは叶わない。
それでも、こんな自分にとっては上等な最期だろう。
許されざる殺人者が、大勢の人が住む街を背に守って死ねるのだから。
「死ねェ、ザンキ使い!」
半狼半人の魔物が奈子に迫る。
勇敢なる異形の敵兵が、ナイフのような爪を掲げた。
奈子はそれを打ち払おうとしたが、すでに残った左手を上げる力も残っていない。
敵の刃が奈子の頭上に振り下ろされる。
瞬間、奈子は目を閉じた。
そして。
「ぎゃっ!?」
「……え?」
瞳を開くと、魔物の顔面に矢が刺さっていた。
鬨の声と共に大勢の兵士が駆けてくる。
安っぽい鎧を纏った人間の兵士たちが。
「侵略者を倒せ! 剣士様を援護せよ!」
「俺たちの街は俺たちが守るんだ!」
「な、なんだテメエら!?」
彼らは魔物の群れへと突進し、そのまま乱戦が開始された。
突然の奇襲に敵は完全に浮き足立っている。
「これは……?」
「剣士様、大丈夫ですか!?」
予想外の状況に頭がまともに働かない。
そんな奈子の隣で一人の女性が片膝を立てた。
「酷い傷……! 早く治療しないと!」
「あ、貴女達は?」
「我々はルティア国衛軍です。街壁の防衛を命じられておりましたが、あなた様の英雄的行動に感化され、遅ればせながら援軍として馳せ参じました」
ばかな、英雄的行動ですって?
そんな立派なものじゃない。
自分は、ただ――
「痛っ……」
「じっとしていて下さい。いま担架を用意して街まで運ばせますから」
「わ、私は大丈夫です。それよりも、早く、彼らを下がらせてください。敵は恐ろしい魔物です。あのような装備で戦えば、きっと多くの犠牲者が出てしまいます」
「みな覚悟の上です。ルティアの民でもないあなたが、命を賭けてまで民のため戦って下さったのに、我々だけが安全な場所に隠れているわけにはいきません」
違う、そうじゃない。
人々に感謝されるために戦ったとか、そんなつもりはない。
私はただ、私自身の中にある罪の意識と戦うために戦場に立っているだけ。
「私の浅はかな行動が彼らを殺してしまう……」
「そうではありません。あなたに勇気をもらったのです」
戦わなければ。
立って、彼らを守らなければ。
そう思うのに、気持ちと裏腹に身体には力が入らない。
「うう……」
「大丈夫です。後は我らに任せて、剣士様はゆっくりとお休みください」
そんなのはダメだ。
最後まで戦わないと。
戦って、死ななければ。
でなければ、許されない。
「っ……治癒術の使える輝術師! 誰でもいいからここに来い!」
「部隊長殿、こちらに!」
「剣士様に応急処置を! 我らに戦う意義を思い出させてくれた英雄だ、絶対に死なせるな!」
「もちろんです! ――
体が暖かな感覚に包まれる。
奈子の意識が闇へと落ちていく。
暗い死ではなく、安らかな眠りへと。
「ごめん……なさい……」
何に対して謝っているかもわからないまま、奈子は謝罪の言葉を呟きながら意識を途切れさえた。
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