688 ▽今、一番大切な人

「はあ、僕はなんてことを……」


 ジュストは自室のベッドに腰掛けて頭を抱えていた。

 隣には心配そうな顔のシルクが座っている。


「ごめんなさい。私が変なタイミングで会いに来なければ……」

「いや、シルクは何も悪くないよ」


 ビシャスワルトでの戦い以来、行方不明になっていたルーチェ。

 彼女が生きていたのはとても喜ばしいことだ。


 彼女を守れなかった事の喪失感と無力感。

 それはジュストの心の傷の原因でもあった。


 それを埋めるため、この一年間ジュストは必死に戦い続けた。

 そしてシルクと出会うことで、ようやく心の平温を取り戻すことができた。


 そのタイミングでの朗報。

 もちろん、彼女が無事で嬉しくないはずはない。

 しかし再会の状況は、彼女にとって最悪なものになってしまった。


 自惚れを覚悟で言えば、ルーチェが好意を抱いてくれていたことは知っていた。

 でも、ジュストは旅の間ずっと、彼女の気持ちに気づかないフリをしていた。


 理由はいろいろある。

 まず、ジュストは彼女を腹違いの妹だと思っていた。

 結果的にそれは、アルジェンティオのフェイクだったと判明したのだが……


 それでなくとも、自分のようなつまらない人間に彼女のような素敵な女性は似合わない。

 時が経てばやがて、もっと相応しい相手を見つけてくれるだろう。

 そんな風に考えて彼女の気持ちから逃げていた。

 結果としてそれが、彼女の心をひどく傷つけることになってしまうとも気づかずに。


「あの、やはり私は貴方の側にいないほうが……」

「待って、行かないでくれ!」


 ベッドから立ち上がろうとしたシルクの服をとっさに掴む。

 ルーチェに対して申し訳ない気持ちはある。

 けど、シルクを失うのは嫌だ。


「ジュストさん」

「最低だな、僕は」


 ルーチェの事は嫌いではない。

 けど、それは恋愛感情とはとても呼べない。

 彼女は守るべき対象であって、尊敬すべき人物でもある。


 シルクは違う。

 心の隙間を埋めてくれた大切な人。

 ずっと側にいて欲しいと思う、誰よりも愛している女性だ。


「ルーには次に会った時にちゃんと謝るよ。許してもらえないかも知れないけど、それは僕が悪いことだから」


 ひどく勝手なことを言っている自覚はある。

 ジュストだって恋愛に不慣れな若者だ。

 綺麗に収める方法などわからない。


 自分が絶対に譲れないことはひとつだけ。

 シルクにはずっと側にいて欲しい。


「だから頼む。僕から離れないでくれ」


 顔を伏せて小声で呟く。

 そんな彼を柔らかい感触が包んだ。

 シルクがジュストの頭を自らの胸に抱きしめる。


「最低なのは、私も一緒です」

「シルク……」

「私もジュストさんから離れたくないです。ルーチェさんには申し訳ないけど、今さら貴方から離れるなんて、とても考えられません。お願いだから私のことを捨てないで……」


 シルクの震えが伝わってくる。

 彼女もまた不安を感じているのだ。


 二人の男女はそれぞれの罪悪感に蓋をして互いに強く抱き合った。




   ※


 それから二日が経った。


 ジュストは空いた時間を使ってルーチェを探した。

 しかし、彼女はルティアのどこを探しても見つからない。


 もう愛想を尽かされてしまったのだろうか? 


 アルジェンティオから聞いた。

 先日の魔王軍の侵攻で起きた、原因不明の敵の撤退。

 あれはルーチェが遠距離から強力な輝術で敵陣に攻撃を加えたかららしい。


 ルティアにいながら遙か遠くに布陣する軍団を撤退させた。

 にわかには信じられない話だったが、彼女ならそれも可能なのだろうと思う。

 なにせ聖少女プリマヴェーラ様と、エヴィルの世界を統べる魔王の血を引いているのだ。


 さすがだと思う反面、彼女がアルジェンティオの思惑通りに利用されているということに憤りを覚えるが、それは自分自身にそのまま返ってくることでもある。


「ゴメン、ルー……」


 空を見上げて呟く謝罪の言葉は、もちろん行方知れずの彼女に届かない。


「おいジュスト、おい。聞いているのか」


 そんな彼に話しかけてくる人物がいた。

 先日、正式に連合輝士団統合司令官に就任したゾンネである。

 ずっと上の空で気づかなかったのだが、何度か声を掛けられていたようだ。


 ジュストは素早く姿勢を正して敬礼をした。


「申し訳ありません。考え事をしていました」

「頼むぞ。連合輝士団のエースがそんなザマでは、市民が不安になってしまう」


 そのエースと言う呼び方は止めて欲しいのだが。


「人捜しをしているようだな」

「は、個人的な知り合いなのですが」

「プライベートな事情に干渉するつもりはない。が、お前にはそろそろ前線に戻ってもらいたい。明後日までにカミオンへ向かってもらえるか」

「わかりました」


 司令官の命令なら逆らうわけにはいかない。

 英雄王に代わって今はゾンネが連合輝士団のまとめ役なのだ。

 ルーチェに会えないのは心残りだが、いつまでも固執している場合でもないだろう。


「それと、お前に会いたいという人間がシュタール帝国側の宿舎に来ている。これは命令ではないが、余裕があったら顔を出してやってくれ」

「私に合いたい人、ですか?」


 だれだろう。

 もしかしたらルーチェだろうか。

 いや、彼女ならシュタール側の宿舎には行かないはずだ。


「別に無視しても構わんが、後々厄介なことになるとだけは覚えておけ」


 ますます誰だろう。

 そんなこと言われたら気になって仕方ない。

 ジュストはその人物に会うため、シュタール側の宿舎へと向かった。




   ※


「よっ、久しぶりね」


 思わず背筋が凍り付いた。

 シュタール帝国側の宿舎で待っていた人物。

 髪は以前と比べて短くなっているが、何があろうと忘れられない相手である。


 人類最強の輝攻戦士、ヴォルモーント。

 星帝十三輝士シュテルンリッターの一番星だ。


 いや、今はたしか『元』だったか。


 別に彼女は戦闘モードに入っているわけではない。

 例の炎のような輝粒子を纏わせているわけでもない。


 しかし、全身から溢れる無言の圧力は凄まじいの一言だ。

 彼女が以前と比べて些かも衰えていないことは一目でわかる。


「ご無沙汰しております。ビシャスワルトから戻ってより、ずっと病に伏せっていたと聞きましたが、お元気そうで安心しました」

「アタシの事はどうでもいいの。それよりアンタ、ルーちゃんどこにいるか知らない?」


 いきなりの直球である。


「アイゼンからここまで一緒に来たんだけどさ。あの子、アンタに会いに行くって言ってから行方知れずになってるのよ。集合場所にも戻ってこないし。ひょっとしたら何か知ってないかしら?」

「えーっと……」


 さて、どう答えるべきか。

 正直に言えば殺されるような気がする。

 かといって適当に誤魔化せば、やっぱり後で殺される。


「ルーはですね、たぶん……」

「生きてたことに驚かないって事は、会ってはいるのね」


 言い逃れやごまかしは通用しそうにない。

 覚悟を決めて事実を話そうかと思ったが、


「ひょっとして、ルーちゃんのことフッた?」

「えっ……あ、いや」


 先回りで事実を言い当てられた。


 フッたとは少し違う気がする。

 でも、同じようなことだ。


「すみません……」


 結局、何と言うべきかわからず、とりあえず謝った。

 自分でも何に対して謝罪しているのかはよくわからない。


「別に謝ることなんてないわよ。アンタにはアンタの都合があるんだろうし、人の気持ちなんて他人に言われてどうこうできるものでもないしね」

「えっ、あ、はい」


 ルーチェを傷つけたなんて知られたら殺されるかと思ったが、意外にも彼女に怒っている様子はなかった。


 年長者の貫禄というか、人生経験の違いというか。

 そういう事に関しては思ったよりも寛容なようだ。


「それに失恋のショックで傷心中の女の子とか、美味しくいただけるチャンスだし?」

「えっ?」

「なんでもないわ。さて、呼びつけておいて悪いけど、この辺で失礼するわね。ルーちゃんの居場所を知らないならアンタに用はないし」


 というか、単にしたたかなだけかもしれない。

 ヴォルモーントはテーブルの上のコーヒーを飲み干して席を立った。

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