643 一番星の復帰

「私は庭の掃除をしてる。多少の荒事なら見て見ぬフリをするから、好きなようにやりな」

「はい」


 なんだか不吉なことを言って去っていくノイモーントさん。

 お姉ちゃんは言われた通り家の中に入っていく。

 私も一礼して、その後に続いた。


「うちの子を頼んだよ、プリマヴェーラの娘」


 何か言われたような気がしたけど、振り向いた時にはすでにノイモーントさんは箒を持って裏庭の方に姿を消していた。


 お姉ちゃんは前にもここに来たことがあるみたい。

 迷いのない足取りで屋敷の奥へと向かっていく。


 階段を上る。

 一番奥の部屋へ。

 扉を勢いよく開けた。


「ひっ!?」


 部屋の中から女の人のが聞こえた。


「一年経ってもまだベッドの中か。この大変な時期に、いい身分だな」

「な……何しに来たのよ、帰って!」


 お姉ちゃんの横から部屋の中を覗き込む。


 部屋の中には大きなベッドがあった。

 身を隠すように掛け布団で顔の半分を隠す女性がいる。


「ヴォルさん?」

「え……あっ」

「星輝士一番星のヴォルモーントさんで間違いないよね?」


 思わず確認してしまうほど、その姿は私が知っている彼女とは別人のように弱々しかった。


 燃えるように赤い髪は以前のまま。

 けど、同色の瞳には以前のような力強さがない。


「る、ルーちゃん、なの?」

「そうですよ。どうしたんですか? 風邪でもひいてるんですか?」

「生きてたんだ……」


 喜んでくれたような、ホッとしたような表情を見せたのも一瞬のこと。

 ベラお姉ちゃんがベッドに近づくと、彼女はビクッと体を震わせた。


「こいつはもう、星帝十三輝士シュテルンリッターの一番星じゃない」

「ち、近寄らないで……」

「戦いから逃げ、資格を剥奪された、ただの臆病者だ」

「イヤ! 言わないで!」


 ヴォルさんは布団を頭から被ってしまった。

布団の中で体ががくがくと震えているのがわかる。

 かつての彼女を知っていれば、とても信じられない光景だ。


 ベラお姉ちゃんは大きく息を吐いて、肩をすくめた。


「見ての通りだ。こいつは異界から帰ってから、ダメになってしまった」

「な、なんで……?」

「怖くなったんだとさ。魔王に手も足も出なかったのがよほど応えたらしい」


 ヴォルさんは反論をせず、布団を被ったまま震えている。


 私はあの日のことを思い出す。

 ビシャスワルトに侵攻し、魔王や将たちにやられた時のことを。


 みんなで協力して、エヴィルの王だと思ったエビルロードを倒した。

 けど、そいつの後にも、さらに恐ろしい敵がいた。


 魔王と四人の将。

 ヴォルさんはむしろチャンスと言った。

 敵が現れると同時に、間髪入れず魔王に襲いかかって――


 そして、負けた。

 何が起こったのかもわからないほど一瞬で。

 気づけば彼女は、ボロボロの姿で魔王の足下に転がっていた。


 その後はいろいろあったけど、ヴォルさんは無事にミドワルトに帰って来れたらしい。


 だけど……

 彼女は、心を折られてしまった。


「無理だよ。あんなやつに勝てるわけない。みんな最後には殺されちゃうんだ……」


 その姿はまるで、悪夢に震える幼い子のよう。


「ルーチェが生きていたと知れば何か変わるかとも思ったが、どうやら無駄足だったようだな」


 辛辣なお姉ちゃんの言葉にも反応を示さない。

 あんなに強かったヴォルさんが、こんなになってしまうなんて……


 ――おい。なあ、おい。


 なによスーちゃん、私はいまショックを受けてるんだからね。


 ――その赤髪の体の中、ものすごい輝力が渦巻いてるぞ。


 そりゃ、通常の輝攻戦士の五倍だもん。

 まさかとは思うけど、奪っちゃえとか言わないでしょうね?


 ――そうじゃない。元からの力に加えて、余計なモノがくっついてる。


 余計なモノ?


 ――おそらくは魔王の力の欠片だな。それが頭にまで回って、そいつの心を蝕んでるんだよ。


 なんですって!

 それじゃ、それを取り除けば……


 ――まあ、本気で心の芯まで折られてたらわからないけど、元に戻る可能性は高いと思うぞ。


 具体的にどうすればいいの?


 ――そりゃ当然、口から吸い取るに決まってるだろ。


「結局それか!」

「ひっ!? ご、ごめんなさい……」


 布団から顔を出したヴォルさんが大声に怯える。


「あ、違うんです。妖精さんと話してるだけです」

「ルーチェ、また……」


 ほら、スーちゃんのせいで変な目で見られてるよ。

 でも今の弱気なヴォルさん、なんかちょっと可愛いかも。


 ――やっぱお前、天然のサディストだな。


 違うし。


 ――魔王の力も一部手に入るから一石二鳥だぞ。っていうか、いまさら口移しくらいでギャーギャー言うなよ。さっきも外のおばさんとヤッたんだし。


 あれは私がやりたくてやったわけじゃないし! あっちから突然不意打ちでやられただけだし!

 っていうか、こんな状態のヴォルさんに無理やりキスするとかないよ。

 罪悪感がヤバいことになりそう。


 ――なにも無理やりする必要はないだろ。たとえば……


 ふむふむ。

 なるほどなるほど。


 それじゃ、人助けと思ってやってみましょうか。


「ヴォルさん」

「ひっ!?」


 私はヴォルさんの寝ているベッドに腰掛ける。

 彼女は逃げるように身を隠そうとする。


「大丈夫だよ。怖いことはないから、じっとしてて」

「ごっ、ごめんなさい、でも、アタシはもう……」


 悲しげな目で視線を逸らすヴォルさん。

 かわいい。


 そんな彼女の手を握り、できるだけ優しく語りかける。


「無理に戦って欲しいなんて思ってない。ヴォルさんが立ち直れなかったとしても、私たちがすぐにエヴィルなんてやっつけて、世界に平和を取り戻してあげるからね」

「る、ルーちゃ……んっ?」


 もう片方の手で彼女の頬に触れ、ゆっくり顔を近づけて、唇を触れさせる。

 そして、深呼吸をするように彼女の輝力を吸い込んだ。


「ルーチェ!? 何を……!」


 うわあ、すごい濃厚な輝力。

 熱いチョコレートをそのまま喉に流し込んでるみたい。


 あ、これキスじゃないですから。

 もちろんノーカウントにするからね。


 輝力を吸い取り終え、ゆっくりと唇を離す。


「えっ、えっ、あっ、うわっ……」


 ヴォルさんが口元を押さえて真っ赤になっていた。

 かわいい。


「元気、出た?」

「うはっ……」


 ぼうっ。

 彼女の顔から湯気が出た。

 やばい、一気に輝力を吸い取りすぎた?




   ※


 結局、ヴォルさんはそのまま気を失ってしまった。


 彼女の中で滞ってた魔王の力の欠片はかなりの濃度だったみたい。

 でも、おかげでかなりの量の輝力が補充できたよ。


「ルーチェ、なんであんなやつに……」


 なんかベラお姉ちゃんがどんよりしてるけど、何か嫌なことでもあったのかな。


「せっかくだし、今夜は泊まって行きなよ」


 私たちはノイモーントさんの好意で一晩泊めてもらうことになった。

 広いお屋敷なので、お部屋はいっぱい余ってるみたい。


 そして、翌日。


 どーん!

 もの凄い轟音で目が覚めた。


「な、何事だ!?」


 一緒のベッドで寝ていたベラお姉ちゃんが飛び起きて魔剣を掴む。

 もしやエヴィルの来襲? と思って窓を開けてみると……


「ヴォルさん!?」

「あ、ルーちゃん。おはよう」


 炎のような輝粒子を全身から漲らせてヴォルさんが中庭に立っていた。

 ただし、彼女のトレードマークだった長い髪はもうない。


 肩の辺りでばっさりと切り揃えられ、昔の私によく似た髪型になっていた。


「ど、どうしたの? その髪……」

「いやあ。なんか久しぶりに暴れたくなっちゃって」


 広いお庭に巨大なクレーターができていた。

 まるで爆炎フラゴルでも使った跡のよう。


「昨日はゴメンね。それから、ありがとう。おかげで目が覚めたわ」


 あ……


 よかった、元気になったんだ。

 彼女の心はやっぱり、折られていなかった。


「それでね……えっと」


 髪を切って、以前よりかわいらしくなったヴォルさん。

 彼女はなぜか指をクロスさせもじもじしながら、


「その、嬉しかった。あんな風に優しくされたの、久しぶりだったから……」


 ん?

 何の話?


 あれ、もしかして……

 力を吸い取るために口づけしたこと?


「だから、こんどはアタシがルーちゃんを守るよ。もう一番星じゃなくなっちゃったけど、アナタだけの輝士として、精一杯頑張って戦うから」


 なんだろう、怖いはずのお姉さんが恋する乙女みたいになってるんだけど。

 あれ、もしかして私、なんかすごい勘違いをさせちゃった?

 とか思ってたら、後ろから誰かに抱きつかれた。


「ふざけるな! ルーチェは私のものだ!」

「なに言ってるのお姉ちゃん!?」

「フン、負けないわよ。アンタなんかに……」

「ヴォルさんも対抗しないで!」


 ええと……

 まあ、ヴォルさんが元気になってくれて、良かった……のかな?

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