644 ◆ミドワルトへの帰還

「それじゃ、準備はいいですか?」

「いつでもおっけーよ」


 あたしはミサイアに向かって親指を立てた。

 まあ準備も何も、あたしは荷物なんてほとんど持ってないんだけど。

 気づいたときには服と手持ち武器以外、ぜんぶ向こうに置いてきちゃってたみたいだし。


「しかし、まさかこのタイミングでテロリストの襲撃があるとは思いませんでしたよ。巻き込まれたと聞いて心配していましたが、ナータさんに怪我がなくてなによりでした」

「あー、まあね……」


 確かに巻き込まれたって言えなくもないけどね。

 勝手にあちこちを飛び回ってた負い目もあるので、そのことに対して文句を言うつもりはない。


「っていうか、なんだったのあいつら? 犯罪者?」

「それは――」

「貴女は知らなくていいことよ」


 黒い帽子の女が答えようとしたミサイアの言葉をずばりと遮った。


「こちらの世界のことにあまり干渉するものじゃないわ。貴女がミドワルトに帰って、二度とこっちに戻ってこないなら、なおさらね」

「あっそ」


 確かにそのとおりではあるんだけど、突き放すような言い方に少しむっとする。

 まあ、別にどうしても知りたいようなことじゃない。

 関係ないのは事実だしね。


「さて、最後に軽くレクチャーしておくわ」


 帽子の女は気にした風もなく話を続ける。


「貴女はドラゴンのブレスを受ける直前、私たちが開いたゲートの時空座標と偶然重なって、こちらの世界にやって来てしまった。ゲートは現在もそのまま保存してあるから、戻ると同時に炎の中になるわ」

「それがよくわかんないんだけど。あれからけっこう時間経ってるけど、普通に考えればドラゴンもどっか行っちゃってるんじゃないの?」

「理屈を説明してもどうせ理解できないでしょう。そういうものだって理解しなさい」


 いちいちむかつく言い方ね。

 ま、とりあえず言う通りにしておくわ。

 つっぱねて何の準備もせず本当に炎の中だったら死ぬし。


「そのリングがあれば炎は防げるわ。転移前にスイッチを入れておくのを忘れないようにしなさい」


 あたしは首につけたチョーカー型のリングに触れた。

 指先で確認したスイッチを押せば、体が不思議な光に包まれる。

 その防御力は倉庫でミサイアから試しに攻撃を受けた時に証明済みだ。


 ドラゴンのブレスが防げるかどうかはちょっと不安だけど……


「ウイングユニットに内蔵されてる武装の使い方は慈愛の女神にレクチャーを受けたわね?」

「慈愛の女神って呼ばないでください」

「まあ、一応ね」


 抗議するミサイアを無視してあたしはうなずいた。

 あたしが背中に背負った機械マキナの翼は、単に空を飛ぶための道具じゃない。

 内部にはちょっとした武器が入っていて、その使い方と威力はさっき十分に試してきた。


「ドラゴンの戦闘力は情報が少ないからいまいちわからないけれど、少なくとも追い払うくらいは十分に可能なはずよ。最悪の時は彼女に頼りなさい」


 隣を見ると、ミサイアがぱちりとウインクをした。


「というわけで、異世界案内よろしくね」

「別に案内するのは良いんだけど……」


 あたしはこれからこいつと一緒にミドワルトに戻る。

 偶然とは言え、こいつのミスのおかげで助かったのは事実だし。

 何のためにミドワルトに来るのは知らないけど、案内くらいはしてやってもいい。


「あんたはドラゴンのブレスとか大丈夫なの?」

「ご心配なく。さっきも言いましたが、指輪型のリングをつけてますから」


 ミサイアは左手の薬指につけたリングをなぜか自慢げにあたしに見せつけた。

 それと、彼女は背中に大きなカバンを担いでいる。

 中に武器でも入ってるのかしら。


「ちょっと、慈愛の女神」

「慈愛の女神って呼ばないでください」

「そのカバンの中身を見せてもらうわよ」

「あっ、ちょっと待って!」


 帽子の女は素早くミサイアの後ろに回ってカバンを開ける。

 中から出てきたのは武器じゃなく、茶色い一本のビンだった。


 ラベルには『酒』と書かれている。


「……これはどういうこと?」

「えっと、ミドワルトに日本酒のすばらしさをを広めようと」

「却下」


 帽子の女の手の中で、酒の入ったビンがみるみるうちに凍っていく。

 前にも見たけど、あれって氷の輝術なのかしら?

 どうやらかなり高度な輝術師みたい。


「ああーっ! 秘蔵の逸品が!」

「異世界に余計な文化を持ち込むんじゃないの。ご丁寧に製造本まで……」


 ビンと一緒に入っていた本を没収されると、カバンの中身は空になった。

 本当にアレだけしか持ってなかったのか……


「せめて本だけは返してください!」

「ダメよ、貴女も知っているでしょう。以前に馬鹿な調査員が技術書を一冊向こうに忘れてきたせいで、ミドワルトに帝国が勃興して、とんでもない戦乱が起こったことを。何がきっかけで大きな変革が起こるかわからないんだから、必要のない干渉は一切するべきじゃないの」


 なんか知らないけど、とんでもないことを喋ってる気がする。

 その帝国ってもしかして、歴史で習った古代スティーヴァ帝国のこと?


「異世界はゲーム空間じゃないのよ。貴女はやるべき仕事に集中しなさい」

「うう、わかりましたよ。お酒を広めるのは諦めます……」

「まったく。普段は理知的なのに、酒と性欲が絡むと急にダメっ子になるんだから」

「性欲とか言わないでください。それを言うならあなたの方こそ――」

「ねえ、そろそろ戻らせてくんない?」


 こいつらの生々しい話なんて聞きたくないから。

 いつまでも遊んでないでさっさと帰りたいわ。


「そうね。それじゃ、準備ができ次第ゲートを開くわ」




   ※


 あたしたちは最初にこの世界で目覚めた時の部屋に戻ってきた。

 中にあるのは天上からぶら下がった、音の出る黒い箱のみ。

 一見すると出入り口のわからない広い円形の部屋だ。


『それじゃ、転移を開始するわよ』


 黒い箱から帽子の女の声が聞こえてくる。


「あたしはどうすればいいの?」

『何もしないで良いわ。こっちで操作すれば、その部屋全体がゲートの入り口になって自動的にミドワルトに接続される。ゲート自体は何度も開いてるから失敗の可能性はほとんど考えなくて大丈夫よ』


 それは逆に言えば、失敗する可能性もあるってことじゃない。


「もし失敗したらどうなるの?」

『次元の狭間にとらわれて二度と戻って来れないか、運が悪ければ肉体が耐えきれず微粒子レベルに解体されるわ。まあ、一パーセントもあり得ないことよ』


 聞かなきゃ良かったわ。


『注意して欲しいのは、このシステムでは転移した直後に、どうやっても一瞬の意識断絶を免れないの。ドラゴンの炎は防げても呼吸できない状態で倒れたままだと、窒息して死亡する可能性があるわ』

「どうしろっていうのよ」

『意識を強く持ちなさい。転移と同時に起きて行動できるように』

「いざとなったら私が起こしてあげますから」


 元気なさげに隣に立つミサイアが言った。

 カバンを取られた彼女は完全に手ぶらだ。


「あんたは武器とか持って行かないの?」


 華奢な見かけに反して、こいつの馬鹿力は相当なものだ。

 ただ、それだけでドラゴンに勝てるかって言われたら無理だと思う。

 

「ふふふ、心配しないでください。私には取っておきの『武器』がありますからね」

『言っておくけど、固有能力はミドワルトじゃ絶対に使用禁止よ』

「えぇ!?」


 ミサイアは黒い箱に向かって抗議の声を上げる。


「ちょ、ちょっと待ってください! 聞いてないんですけど!?」

『当たり前じゃない。固有能力の概念なんて向こうに広まったら、それこそメチャクチャになるわ。たとえ死にそうな状況に陥ったとしても使っちゃダメよ。これはA級禁止事項だから』

「ま、待って! だったらせめて護身用の銃だけでも……!」

『悪いけど、もうゲートは作動してるの。武器は現地調達でもしてちょうだい』

「ちょ――」


 ミサイアが何かを言いかけた直後、あたしの意識は唐突に遮断された。

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