631 ◆造兵廠
「……ちょっと」
「正直に言いますね。私個人としては、あなたをミドワルトに帰すべきではないと思っています」
心持ち低くした声でミサイアは言った。
「こちらのミスで呼び寄せておいて、勝手な事を言っているのはわかってます。けど、それが互いの世界にとって一番良いことだと思うんですよ。隔絶した技術を持つ世界の存在を知れば、そちらの権力者や科学者は必ず興味を持つでしょう?」
「本当に勝手ね。あんたはミドワルトに行くつもりなんでしょ?」
「ええ、不本意ながら」
ふう、と彼女は大きなため息を吐く。
「とはいえ、エリィさんが決定した以上、私からは何も言えませんけどね」
「このまま人気のない所に連れて行かれて、こっそり殺されるとかはないのね?」
ミサイアは驚いたような顔でこっちを見た。
「そんなことを心配してたんですか」
「知らない世界なんだし、最悪の可能性は考えておくべきでしょ」
「もし私がそのつもりだったら、どうしました?」
「もちろん返り討ちにして、どうにかして元の世界に戻る方法を探すわ」
あたしがそう言うと、彼女は軽く肩をすくめた。
それから、なんだかおかしそうに笑う。
「何がおかしいのよ」
「いえ。ずいぶんと必死なんだなって思いましてね」
「そりゃ必死よ。あたしは何があろうと絶対にミドワルトに帰らなきゃいけないんだから」
「待ってる人でもいるんですか?」
「待ってるって言うか……大事な人に会いに行く途中だったから」
「彼氏?」
「どうでもいいでしょ」
こいつにそこまで詳しく話してやる義理はない。
やがて自動車は道沿いに大きなカーブを曲がった。
目の前にはフェンスに囲まれた広場がある。
奥にはやたら大きいけど平べったい建物が見える。
「着きましたよ。あそこが紅武凰国陸軍の
※
建物に近づいて、あたしたちは自動車から降りる。
その瞬間、ふと奇妙な違和感があった。
空を見上げる。
雲ひとつない青空が拡がっている。
太陽は真夏のようにさんさんと輝いている。
「どうしました?」
「いや、なんか変な感じが……」
具体的に何がおかしいってわけじゃない。
あえて言うなら、夢の中にいるような非現実感。
外にいるはずなのに建物の中にいるような不思議な感覚だ。
あたしは笑われるのを覚悟で、思ったことをそのまま口にしてみた。
「ねえミサイア。あれって本物の太陽?」
「違いますよ」
彼女はあっさり否定した。
「よくわかりましたね。あれは天井に投写された映像です」
「天井って……それじゃもしかして、あの青空も?」
「はい。この街は広大な屋内にありますから」
さすがに驚きだった。
言われてみれば、そよ風ひとつ感じない。
地下から自動車に乗って来たから今まで気付かなかった。
「もちろん夜は暗くなりますし、時々は曇り空の映像と一緒に雨も降りますよ」
「今さらだけど、なんなのここ? あの街壁の向こうには何があるの?」
「知らない方がいいですよ。さ、早く中に入ってください」
はぐらかされた。
あたしは背中を押されて建物の中に入る。
知ってしまったら戻れなくなる……そう暗に言われているような気がした。
※
建物の入口にはくすんだ緑色の服を着た人が立っていた。
精悍な顔つきで、服の上からでもわかるマッチョな体をしてる。
彼はミサイアに気付くと、素早く右手を額に当てて、ビシッと敬礼をした。
「お疲れさまです!」
ん?
予想外に声が高い。
男かと思ったけど、どうやら女性らしい。
彼女は敬礼のポーズのまま微動だにしない。
まるで、よく訓練された輝士みたいだ。
「お疲れさま。中に入らせてもらうけど、良いかしら? これパスね」
「はっ! 確認致しました!」
ミサイアは身分証らしいカードをマッチョ女に提示して建物の中に入っていった。
あたしはマッチョ女さんに軽く頭を下げて横を通り、ミサイアの後に続いた。
「なんという絶世の美少女……今日が見張り番でよかった……」
後ろから聞こえてきたそんな声は気付かなかったことにしよう。
※
建物の中は薄暗くだだっ広い、一つの大きなフロアになっていた。
ただし、通路のようにいくつもロッカーが並んでいる。
ロッカーの扉にはそれぞれ異なる古代語が書かれていた。
そのうちの一つを読んでみる。
けれど、書いてある意味はよくわからない。
PHOTON SWORD……ソードってのは剣のことだっけ?
「まずはリングからですね。ええと、どの辺りだったかしら」
「おっ、管理局の美人姉ちゃんじゃねえですかい」
ロッカーの間を歩きながら、なにやら探している様子のミサイア。
そんな彼女に声をかけてくる人がいた。
マッチョ女と同じくすんだ緑色の作業服を着た、初老の男性だった。
なにが楽しいのか、にやけ顔を浮かべながら近寄ってくる。
「お偉いさんがこんな所に何の用で? もしかして、いよいよ連合との戦争が始まるんですかい?」
「違うわよ。この娘のためにリングと武装を借りに来たの」
「へえへえ……こりゃまた、えらい別嬪さんじゃねえか」
初老の男性はいやらしい目つきであたしの顔を見る。
その目つきが不愉快だったので、思いっきりにらみ返してやった。
「ジロジロ見ないでくんない?」
「こりゃ手厳しい。こちらは管理局の新人さんで?」
「違うわ。異世界からの来訪者よ」
「異世界! ……って、なんですかい?」
「あなたは知らなくて良いの。それより啓太朗、リングを保管しているのはどの辺りでしたっけ?」
どうやらミサイアも、この男のことをあまり良く思ってないみたい。
悪い人間ではなさそうだけど、馴れ馴れしい態度が鼻につく。
癖だって言ってた敬語も粗雑な言葉遣いになってる。
「はいはい、こっちですよ」
ケイタロと呼ばれた初老男性に案内され、あたしたちは建物の奥へ進んだ。
「リングがあるのはこの辺りでさ。どのタイプがご希望で?」
「そうねえ……」
その周辺のロッカーにはすべて○-RINGと書かれていた。
○の部分はそれぞれ違う文字が入っている。
「首からかけるタイプがいいわ。できれば鍵付きのやつをお願い」
「でしたらネックレス……いや、チョーカータイプがいいですな」
ケイタロがロッカーを開ける。
彼は中から黒い首輪のようなものを取り出した。
それをミサイアが受け取ると、今度はあたしに差し出してくる。
「はい」
「はいじゃないわよ。なにこれ?」
「あなたの身を守ってくれる防具ですよ」
防具って首しか守れないじゃない。
しかも、さっき鍵付きとか言ってなかった?
「これをつけてくれないと元の世界に戻れませんよ」
「なんでよ」
「戻った途端にドラゴンのブレス焼かれて黒焦げになるからですよ」
「いやいや。これだけ時間が経ってるんだから、ドラゴンもとっくにどっか行っちゃってるでしょ」
「あなたが通ってきた時空の裂け目は、こちらと繋いだ瞬間で止めてあるんです。残念ですけど戻ると同時に炎の中ですよ」
言ってる意味がわかんない。
けど、言うことを聞かなきゃダメそうだ。
「……爆発したりしないでしょうね?」
「しませんから安心してください」
あたしは観念した。
ミサイアの指示に従い、それを首に巻き付ける。
「苦しくないですか?」
「苦しくはないけど、うっとおしいわ」
首輪っていうよりは首飾りの一種みたいな感じね。
こういうアクセサリーはつけたことないから、少し違和感がある。
「それでは鍵をかけますね」
「待って。なんで鍵をする必要があるの?」
「向こうの世界で紛失されると非常に困るからです」
「首じゃない部分のやつがあるならそっちの方が良いんだけど」
「腕輪や指輪タイプだと、腕を切り落とされて持って行かれる可能性がありますから」
なにそれ怖い。
そんな最悪の事態を想定しなきゃダメなの?
「一体なんなのよ、このリングって」
「口で説明するよりも実際に見た方が早いですね。啓太朗、何でも良いから実体武器を持ってきて。できるだけ見た目の迫力があるやつがいいわ」
「へい、了解でさ」
ケイタロとかいう初老男はさらに奥に向かってひょこひょこと駆けて行った。
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