583 あれから世界は……

 寝室を出ると、そこは廊下だった。

 とりあえず人の声が聞こえる方へ向かう。


 半開きになっているドアを開けると、ダイニングルームになっていた。

 そこにいたのは、パロマくんとシスネちゃん。

 そして帽子を被った壮年の男性。


「アグィラ、アグィラ! 聖女のおねえちゃん、起きたんだよ!」

「ああ、そうみたいだな」


 シスネちゃんを抱えながら、男性がドアの側に立つ私を見る。

 私はとりあえず頭を下げてお辞儀をした。


「ど、どうも。お世話になってます……」

「ああ」


 男性はシスネちゃんを床に下ろすと、彼女の頭を撫でながら優しく言った。


「シスネ。俺は聖女様と話があるから、パロマと一緒に向こうに行っていてくれるか?」

「えー、わたしも聖女のおねえちゃんとお話したいー」

「ばかシスネ。大人の話の邪魔しちゃダメだろ!」


 不満そうに男性のズボンを掴むシスネちゃん。

 そんな彼女を無理やり引き剥がそうとするパロマくん。

 男の子の力には勝てず、シスネちゃんはしぶしぶ手を離した。


「聖女のおねえちゃん、またねー!」

「いいから。草刈りの続きするぞ!」

「いたいから引っ張らないで!」

「うるさい!」


 二人は騒がしくケンカをしながら外へ出て行った。

 そんな彼らを優しい目で見送って、帽子の男性は改めて私を見る。


「さて……」

「はいっ! あの、助けてくれてありがとうございました!」

「別に助けてはいない。が、いろいろと聞きたいことがある。それと、ひとつ頼みがあるんだが……」

「はい、なんでも言ってください!」


 十一ヶ月も面倒を見てもらったんだもん、私にできることならなんでもしますよ。


「あんた、偉い輝術師なんだってな。治癒術とか使えるか?」

「え? あ、はい。一応」

「悪いが、こいつを治せるか?」


 男性は上着をめくり上げ、脇腹を露出させた。

 その部分のシャツが血で滲んでいる。


「す、すごい怪我じゃないですか! 痛くないんですか!?」

「ガキ共の前じゃ弱いところを見せられなくてな」


 大変、すぐに治療しなきゃ!

 えっと、火霊治癒イグ・ヒーリング……はダメだよね。

 あんまり得意じゃないけど、これで!


風霊治癒ウェン・ヒーリング!」


 私はシャツの上から傷口に触れ、頭の中で風をイメージした。

 うっすら緑色に輝く癒やしの風が時間を掛けて男性の傷を癒やしていく。


「あの、痛みまでは消えないんですけど……」


 治療が終わり、男性はシャツをめくり上げた。

 逞しく割れた腹筋が露わになる。

 思わず目を逸らした。


「すごいな、本当に傷が消えた……すまん。ありがとう」

「いいえ、このくらいなら全然いつでも」

「着替えてくるから先にテーブルに着いていてくれ。不味いコーヒーしかないが、いいか?」

「おかまいなく」


 男性は親指でテーブルの方を差し、キッチンの方へと歩いていった。




   ※


 男性……アグィラさんが私の前に淹れ立てのコーヒーを置く。


「砂糖やミルクはないんで、我慢してくれ」

「はい、大丈夫です」


 本当はブラックコーヒーとか苦くて無理なんだけど……

 せっかく出してくれたんだし文句は言えない。

 アグィラさんは私の向かいに座った。


「自己紹介が遅れたな。アグィラだ」

「ルーチェです」


 アグィラさんは三十代から四十代くらいの壮年男性。

 汚れた服の上からもわかる、ものすごい筋肉。

 頼れる大人の人って感じだなあ。

 あと、声がすごい渋い。


「えっと、その、本当にご迷惑おかけしました」


 改めて深々と頭を下げる。

 この人が面倒を見てくれなければ十一ヶ月も雨ざらしだった。

 アグィラさんは胸のポケットからタバコを取り出し、火をつけて口に咥えた。


「礼なら子供たちと、そこの妖精に言ってやってくれ」


 紫煙を吐き出し、親指でテーブルの隅を指すアグィラさん。

 そこには当然のようにスーちゃんが座ってた。

 偉そうに腕なんて組みながら。


「寝てる間に変なことはされてないから心配すんな。お前に手を出したら大変なことになるって言ってあるし、服の着替えもちっさい女にやらせたから」

「こら、失礼なこと言うんじゃありません!」


 お世話になった人に向かってなんてこと言うのかこの子は。

 私はスーちゃんを軽くぺしんと叩……けなかった。

 何故か手が体をすり抜けてしまう。

 

「無駄だよ。あたしには実体がないんだから」


 だからどういうことなのそれは。

 触ることもできないとか、いろんな意味で非常識な子だね。


「それでだ、単刀直入に聞きたい」

「あ、はい!」

「さっきの治癒術は見事だった。あんたが五英雄の聖少女プリマヴェーラの娘で、新代エインシャント神国の異界侵攻作戦に参加した、著名な輝術師だっていうのは本当なのか?」


 私はスーちゃんの方を見た。

 なんかニヤニヤ笑っている。


「えっと、聖少女さまの娘っていうのは、私はよくわからないんですけど、そうみたいです。異界に行ったっていうのも本当です」


 魔動乱の再来。

 再び開きかけていたウォスゲート。

 災厄を阻止するため、私たち五人はエヴィルの生まれた異世界、ビシャスワルトへと攻め込んで……


 そして、負けた。


 エヴィルの王である魔王と、その側近たちに、手も足も出ずに。

 私は意識を失う直前、異世界とこの世界が繋がるのを見た。


「そうか」


 アグィラさんは呟くと、火をつけたばかりのタバコを灰皿に押しつけた。


「あの、あれから世界は……ミドワルトはどうなったんですか?」


 私は恐る恐るアグィラさんに尋ねてみた。

 テーブルの隅に座るスーちゃんは黙って腕を組んでいる。

 彼は別のタバコを取り出して、苦いモノを吐き捨てるように言った。


「今のミドワルトはどこもかしこもエヴィルで溢れてるよ」


 やっぱり。

 最後に見たのは夢じゃなかった。

 私たちはウォスゲートが開くのを防げなかったんだ。


「魔動乱が、また始まったんですね……」

「魔動乱?」


 アグィラさんの目つきがキッと鋭くなる。


「そんな生やさしいもんじゃねえ。今度のは戦争だよ」


 一口だけ吸ったタバコを灰皿に置き、アグィラさんは早口でまくし立てた。


「魔王とかいうエヴィルの王がミドワルトの国家すべてに宣戦布告をしたんだ。すでに新代エインシャント神国は壊滅し、ここマール海洋王国も領土の大半が異界人の手に堕ちている。俺たちの住んでいた町もエヴィルの群れに襲われて全滅した」


 え……


 私はスーちゃんを見た。

 彼女は壁の方を眺めながら、淡々と説明を付け加える。

 

「ミドワルトの人間が魔動乱と呼んでいた前の戦いは、単なる様子見だった。ゲートを通してエヴィルをけしかけ、先遣隊としてやって来たビシャスワルト人は、一部の特殊部隊ケイオスだけ。けど今回は違う。あいつらは本気でこちらの世界を侵略するつもりだ」


 そんなに、酷いことになってるの?

 私たちが負けたせいで、


「あの、ごめんなさ――」

「謝るな」


 私の言葉をスーちゃんが遮る。


「どうしようもなかったんだ。英雄王のLDG計画は間に合わなかったし、大賢者は戦力を読み違えた。お前が悪かったわけじゃない」


 スーちゃんの言うことはよくわからない。

 けど、私をフォローしてくれてるってことはなんとなくわかる。


「別に誰もあんたを恨んじゃいないさ。エヴィルなんて昔っから災害みたいなもんだ」


 平坦な声で言ってコーヒーを啜るアグィラさん。

 灰皿の上では火のついたままのタバコが細い煙を上げている。


「俺はたまたま目についた二人の子どもを連れ、命からがらこの小屋に逃げ込んだ。幸いにも今のところここはエヴィルには見つかっていない。だが、それもいつまでかわからない。周囲は完全にエヴィルのテリトリーだし、十分な食料を得るためには魔王の爪痕を越えなくてはならない。今日も偵察の翅付きと遭遇して、危うく殺されかけた」


 さっきの傷はエヴィルに襲われた時に負った怪我だったらしい。

 小屋の場所を探られないため、必死に逃げ回ってから戻ってきたそうだ。


「この辺りはもう完全にエヴィルに支配されてるんですか?」

「マール海洋王国の大半は堕ちていると思って間違いない。遠方の情勢を知る術はないが、人間の勢力圏は遙か南にまで後退しているはずだ」


 今のミドワルトは、私が思ったよりもずっと酷い状況になってるみたいだ。

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