541 ▽王子の教育係

 それからしばらくの間、アルディは城から抜け出すことはなく勉学と稽古に励んだ。


 ネーヴェと過ごす時間は楽しい。

 退屈だった学問も彼女なりの解釈でわかりやすく解説してくれる。

 それと、よく授業を脱線しては冒険者の経験を語ってくれるのも、楽しかった。


 ネーヴェ指導の下、本格的に剣術を学ぶことも許された。

 護身術のため最低限の心得は必要だと大臣に掛け合ってくれたらしい。

 というか、今までは子供だましの剣術しか教えてもらえてなかったことに驚いた。


 王子の教育係という立場上、ネーヴェは王宮輝士団に所属することになった。

 勉強や稽古がない時は歩哨に立ったりと輝士の通常任務を行っている。

 彼女は器量が良く、それなりに周囲からの評判も良いようだ。


「上手く王子に取り入りやがって……」


 そんな陰口を叩く声も聞こえていたが、本人はそんなものどこ吹く風と聞き流している。




   ※


「さて、今日は短剣術についてだ」


 ネーヴェは刃渡り二〇センチほどの両刃の短剣ダガーを手にしている。

 もちろん刃の部分は銅製で、殺傷力のきわめて低い護銅剣の一種である。

 それでも、殴られれば痛いし、急所を突かれれば致命的なダメージを受ける可能性もある。


「なんで短剣? 剣は長い方が有利じゃんか」

「短剣は携帯性に優れるし、狭い室内ではリーチが短い方が有利になることもある。それにナイフの扱いに長けておけば、あらゆる場面で役立つぞ。サバイバルになった時の生存確率にも密接に関わる。いざという時の飛び道具としても使える」

「なるほど」

「と言うわけで、今日はこれで中庭の草刈りだ」

「草狩り!?」


 てっきり稽古だと思っていたアルディは、思わず大声で問い返した。


「いろんな役に立つと言っただろう。武器として使う前に、道具としての扱いに慣れることから始めるんだ。何を学ぶにしても基本は大事だぞ」


 しゃがみ込んで手本を見せてくれるネーヴェ。

 慣れた手つきで草を集め、根元を刈っていく。


「ほら、さっさと始めろ」


 闘技場じゃなく中庭って時点でおかしいと思っていたが、まさかこういうことだとは……

 まあいい、彼女の言う通り何事もまずは基本からだ。


「よし、負けねえぞ!」


 それに、勉学よりも身体を動かす方が楽しいのは間違いない。

 ファーゼブル王国の第一王子はその日、王宮庭師もかくやという張り切りっぷりで、日が暮れるまで必死に除草行為に励んだ。




   ※


 その日は単なる草刈りだったが、別の日には動けなくなるまで剣術稽古を行った。

 稽古の時は治癒輝術を使える者が側に控えているため、ネーヴェは手加減なく技を叩き込んでくる。


 王宮輝士の集団剣術とは違う。

 生きるために戦う冒険者の戦闘技術。

 痛くて厳しいが、アルディは目を輝かせて指導を受けた。


 やがて英雄王と呼ばれることになる少年は、そうして少しずつ成長を実感しながらも、充実した日々を送っていた。


 もう一つの運命の出会いを果たす、その日まで……




   ※


「よっしゃ、今日は頑張るぞ!」


 週に一度の野外活動の日。

 その日のアルディは思いっきり浮かれていた。

 冒険者ギルドで受付をして街の外に出られる、特別な日だからだ。


「張り切りすぎて無茶をするんじゃないぞ」


 同行しているネーヴェが釘を刺す。

 アルディはにやけながら余裕の言葉を返した。


「わかってるって。昔の俺とはもう違うんだからな」

「だと良いがな……くれぐれも油断だけはするんじゃないぞ」


 困ったように肩をすくめてみせるネーヴェ。

 だが、口元には優しげな笑みを浮かべている。


 最近は日々の稽古にも努力の成果が見られるようになってきた。

 まだまだネーヴェの足下にも及ばないが、多少は打ち返せるようにもなってきた。


 なんにせよ、己の成長を感じられるのは楽しいことだ。


 受ける依頼は今日も薬草採集だろう。

 マウントウルフの一匹でも出てきてくれれば面白いのに……

 口に出したら怒られるから絶対に言わないが、アルディは内心でそんなことを思っていた。


 まあ、あっちの影で隠れてこっそり着いて来ている王宮輝士がいる限り、そんな状況になっても自分に出番はないだろうが。


「今日の野外活動はちょっと趣向を変えてみようと思ってる」

「お?」


 冒険者ギルドに入るなりネーヴェがそう言った。

 アルディはわくわくして、頭一つ背の高い彼女の顔を見上げる。


「と、言っても戦闘じゃないぞ。本当に危険なことはさせられないからな」

「ちっ、わかってたよ……そんじゃ何すんだ?」


 ちょっとガッカリしつつも改めて尋ねてみる。

 ネーヴェは黙って受付に向かい、カウンターに並べられた依頼カードの一つを指さした。


「これを。パーティは私たち二人だ」

「へいへい」


 当たり前だが、受付の老人はアルディがこの国の王子であることなど知らない。

 いい加減に見える動作で素早く書類に筆を走らせると、依頼の受注が完了したことを示す、小さな紙を差し出した。


 ネーヴェは何も言わずにそれを受け取って、アルディと一緒にギルドの建物を出る。


「今日は少し遠くまで行くからな。辿り着くまでにへこたれるなよ」

「わかってるって」


 先生にして先輩でもある女冒険者。

 乱暴な言葉遣いの彼女に心を許した笑顔で応える。

 すると、何故かネーヴェは慌てたように視線を逸らした。


「ま、まあ馬車に乗って行くから、そんなにはかからないだろう」


 アルディは特に彼女の態度を気にすることもなく隣を歩いた。

 国王ならともかく、市井の人々は公務デビューも果たしていない王子の顔なぞ知らない。

 ましてや腰に剣をぶら下げた冒険者スタイルで堂々と街中闊歩するこの少年を、この国の王子だと気づく人間などいるわけがなかった。




   ※


 街門付近にある乗合馬車の発着所までやってきた。

 ロータリーの側にある屋根のある待合所でしばらく待つ。

 やがて、街道方向から幌付き四輪の大型馬車コーチが入ってくる。


 それは赤い幌で覆われた馬車。

 四頭の馬に引かれた、輝工都市アジール間連絡馬車である。

 青い幌の都市内連絡馬車と違い、エテルノの外へと行くための馬車だ。


 馬車の定員は十名。

 乗っているのはやはり冒険者ばかりだ。


 一般人はまず街壁の外へは出ないし、エテルノに来る商人は大量の荷を運ぶために自前の馬車を持つか、キャラバン隊商に所属しているのが普通だ。


 今の時代、個人で外行きの乗合場所を利用するのは大半が冒険者である。

 今回のアルディたち同様、遠方で行う仕事を受けた者たちだ。


 ちなみに、輝工都市アジールの街門を潜るためには許可が必要だが、冒険者ギルドで仕事を受ければ、それがそのままエテルノの外へ出る許可証になる。


 他の輝工都市アジールへ入る時はまた別の手続きが必要なのだが、今回は必要ない。


 出発ギリギリになって、目深に帽子をかぶった男が乗り込んできた。

 おそらくは輝士団から派遣された監視者だろう。

 アルディは特に気にしなかった。


 簡素な背もたれに体を預けた途端、馬が嘶き声を上げて馬車が動き出す。


「うわっ!」


 車が大きく揺れた。

 アルディは思わずうわずった声を出し注目を集めてしまう。


「大丈夫か?」

「へ、平気だよ」


 ネーヴェに心配されたアルディは唇を尖らせた。

 右手でしっかりと手すりを掴んで激しい揺れに耐える。

 街道の石畳の上を走っているのに、こんなにも振動するものなのか。

 ネーヴェはもちろん、他の乗客たちも揺れをまったく気にしていない様子だ。


 目的地に着く前にだらしない姿を見せては格好がつかない。

 それに、周りの冒険者たちにも舐められたくはなかった。


 アルディは平静を装いつつ必死に揺れと戦った。

 その意気込みも、一〇分後には打ち砕かれることになる。

 初めての乗り物酔いまでは、さすがに耐えることができなかった。

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