507 異界へ

「ひあっ――あああああああっ」


 トリは飛ぶ。

 ものすごい速度で進んでいく。

 身体がぐっと椅子に押しつけられる。

 雲があっという間に後ろへ流れていく!


 こ、こわい!


「ひゃっはー、いいねいいね!」


 そんな中、ヴォルさんだけがやたらとはしゃいでた。

 ちらりと横を見ると、ジュストくんは険しい顔で身を屈めている。


 カーディは平然と遠くの空を眺めている。

 私はというと、椅子にしがみついて必死に恐怖に耐えるだけ。

 しばらくすると、押さえ付けられる感覚にも慣れ、周りを見回す余裕も出てくる。


 それがまずかった。

 スケスケの足元に気づいてしまった。

 ずーっと下にある大地が、ものすごいスピードで流れていく。


「落ちる! ねえカーディ落ちちゃうよ!」

「落ちないから落ち着け!」


 だって怖い!

 空飛ぶ絨毯だってこんな高く飛ばなかったよ!

 床が透明なだけだってわかってても、この高さは怖いよ!


「着いたぞ」

「おぐっ!?」


 急にトリが停止した。

 ベルトに身体が食い込む。


 き、きもちわるい……


「速っ。一時間かからないって言ってたけど、実質二十分程度しか経ってないじゃない」


 ヴォルさんが驚きの声を上げる。

 足下にはまったく見慣れない景色が拡がって……

 下を見るのはこわいからやめよう。

 遠くを見てれば安全だね。


 向こうの山がうっすらと白い。

 もしかして、雪が積もってるのかな?

 短時間でずいぶんと北の方にまで来ちゃったんだなあ。


「ウォスゲートが開く予定時刻まで一時間五十二分。このままここで待機する」


 先生はそう言うと、肩の力を抜いて、椅子の背もたれに寄り掛かった。

 こんなとんでもない乗り物を操縦するのって、やっぱり神経を使うんだろうな。


 っていうか、二時間近くも待つの?

 こんな高い所で!?


「あの、待機するならもっと低い所に降りてもいいんじゃないでしょうか」

「ダメだ」


 却下されました。


「次元振からゲートの発生地点は予測できるようにはなったが、精度はまだ完璧と言いがたい。特に今回のケースは規模が小さく、予測地点から大幅にズレる可能性も十分にある。どこに発生しようがすぐ向かうためには、視界の利く高所で待たなくてはならない」


 そ、それなら仕方ないね……

 でもやっぱり、予測は完璧じゃないんだ。

 魔動乱以降、実際にウォスゲートが開いたことがあるわけじゃないしね。


「じゃあ、最悪の場合、このままゲートが開かない事もありうるんですか?」

「その可能性はほとんど無いはずだが、なんとも言えないな」


 あれだけ盛大に見送られておいて、ゲートが開かなかったから帰ってきましたって……

 そんなことになったら恥ずかしすぎるんだけど。


「どちらにせよ、近いうちにゲートが開くのは確実だ。多少のズレならこのまま待つぞ。一週間くらい持てるだけの食料は積んであるからな」


 一週間もこんな狭くて広い場所に閉じ込められるのは嫌だあ。


「もしもの時はお前とカーディナルが頼りだ。何かを感じたらすぐ俺に報告しろ、それまでは身体を休めておけ」


 先生はそれだけ言うと目を閉じてしまった。

 操縦している人が寝て、このトリ落っこちないでしょうね?


 当たり前だけど、暇を潰せるようなものは何にも持ってきてない。

 ヴォルさんは今か今かとわくわくしながら腕を慣らしてる。

 ジュストくんやカーディは黙って外を見ていた。


 だ、誰かお話しましょうよ。

 なんか話題でも……そうだ。


「そう言えばさ、カーディとヴォルさんは仲直りしたの?」


 瞬間、狭いトリの内部が凍り付いたような気がした。

 主にカーディの冷たい視線が私に突き刺さる。


「そうだね。散々苦労させられたから、この件が終わったらキッチリとケジメつけないとね」

「アタシは命令されただけだし。別に気にしてないけど、やるなら受けて立つわよ」


 うわあ、やぶ蛇だったあ。

 いや、でも、一触即発ってほどでもなさそう?

 とりあえず今は肩を並べて協力し合おうって気持ちはあるみたいだね。


 うん、よし。

 話題を変えよう。


「ところでジュストくんは――」


 相変わらず外を眺めている彼に話を振ろうとした、瞬間。

 全身をゾッとするような悪寒が駆け巡った。

 な、何これ?


「おい。グレイ」

「わかっています」


 先生もいつの間にか目を開けていた。

 素早くカタカタと手元のパネルを操作している。

 透明な壁にこの辺りの地形図らしい緑色の線図が描かれる。


「えっと、今の感じって……」

「ウォスゲートが開く予兆だね。間違いないだろう」


 やっぱそうなんだ。

 あの背筋が凍るほどの濃度。

 エヴィルの接近とは比べものにならない邪悪な感覚。


 これがエヴィルの世界へと続く扉の予兆。


「二人とも、正確な位置と方角はわかるか?」


 先生に聞かれて、私とカーディは揃って同じ方向を指差した。


「あっちの山。一番高い峰から見て、左側に四つめの麓です」

「遠いな……」

「まだ開いたばっかりだから、急げば十分に間に合うよ」

「よし、行くぞ」


 トリがまた急加速する。

 押しつけられるような感覚も、今度は苦痛にならなかった。

 それ以上の緊張感で満たされていたから。


「あれだ!」


 ほのかに雪の積もった山間の地。

 地面から少し上に、真っ黒な歪みが見えた。


 あれがウォスゲート。

 エヴィルの世界へと続く扉。


 ぐるりと弧を描いてトリが進路を変える。

 速度を上げながら、地面に、ゲートに近づいて行く。


 目指すは黒い歪みへ一直線。


「もしグレイが操縦をミスったら、みんなまとめてあの世行きだね」


 カーディが薄笑いを浮かべながら超こわいことを言う。

 確かにその通りで、この速度で地面にぶつかったら絶対に助からない。

 しかも、こんなふうに椅子に身体が固定されてちゃ、逃げるに逃げられないし。


 さっきまでの私なら彼女の冗談を真に受けて恐怖で叫んでいたかも知れない。


 でも大丈夫。

 先生がそんなミスするわけない。


「行くぞ!」


 その瞬間を、私はしっかりと目を開いて見た。

 黒い歪みに飛び込む。

 周囲の景色が奇妙な色に染まる。

 まるでコーヒーにブルーベリージャムを溶かしたような変な色。


 何とも言えない暗澹とした雰囲気の空間だった。

 手を伸ばせば何かに触れそうなのに、どこまでも拡がっているようにも思える。


 不思議な場所。

 これがウォスゲートの中。

 ここはもう、敵地に繋がる道の途中なんだ。


「ゲートはまずこっち側に開く。その後しばらくしてから、あっち側に繋がる」


 カーディが淡々と説明をする。


「えっと、つまり……」

「まもなく数百数千のエヴィルに囲まれるぞ。ちゃんと対策はとってあるんだよな、グレイ?」

「もちろんですよ」


 そういえば先生、カーディに敬語使ってるんだね、なんか変な感じ。


「この機体は多少の攻撃ではビクともしません。囲まれる前に突破しますよ!」


 歪んだ空間の先に一条の光が見えた。

 トリはさらにもっとスピードを上げていく。

 遠くに見えた光は、あっという間に近づいてくる。


 ゲートの出口がそこにある。


 光に影が差した。

 何かが向こう側からやってくる。

 黒い塊に見えるそれは、うぞうぞと蠢いて見える。


 悪寒がますます強くなる。

 あれはエヴィルの集団だ。

 それも十や二十じゃない!


 視界を埋め尽くすほど大量のエヴィル。

 それがあちら側の入口から、ゲートの中に入ってくる。


「このまま突っ込むのか?」


 カーディが問いかける。


「それでもいいですが、ちょっとコイツを試してみましょう」


 それに返す先生は、珍しくいたずらっぽい表情を浮かべていた。


 先生は素早くパネルを操作する。

 ひときわ大きな丸い模様が、ヴォルさんの正面に描かれた。


「なによこれ?」

「触れてみろ」


 先生に言われるまま、ヴォルさんがそれに触れた、直後。


「うわっ!?」


 目の前が真っ白になった。

 光の筋がエヴィルの群れへと向かっていく。

 出口近辺で蠢くエヴィルたちのど真ん中で、凄まじい大爆発が巻き起こった。


「な、何が起こったんですか!?」

「慌てるなジュスト。今のはトリに内蔵された兵装を使っただけだ」


 私たちに外の音はまったく聞こえてこない。

 爆光が消えた時、ゲート出口周辺に動く影は残っていなかった。

 すごい、たった一発で、何百ものエヴィルをまとめてやっつけちゃった……


 大輝術もびっくりの、とんでもない威力の攻撃だった。

 先生が前にドラゴンを倒した術に似ている。

 っていうか……


「こんな超兵器があるなら、アタシたち必要なくない?」


 ヴォルさんが私の考えていたことを代わりに言ってくれた。

 そうだよ、これを使ってエヴィルを片っ端から撃てばいいじゃん。


「この兵装は大量の燃料を消費する。撃てたとしてもあと一発が限度だ。帰りのことを考えるなら、これ以上は使わない方が良い」


 ま、そんな簡単な話じゃないか。


 前方の障害を取り除いた私たちは、ぐんぐんと出口へと近づいて行く。

 やがて、視界いっぱいの眩い光の中に飛び込んでいった。

 勢いそのままにゲートから飛び出していく。


「ついに来たか……」


 先生が呟く。

 そこには『世界』が拡がっていた。


 まず目に付いたのは、切り立った崖。

 真下には深い森が拡がっている。


 前にシュタール帝国でも似たような風景を見たことある。

 けれど、それとはまったく異質な、底が知れない真っ黒な海のよう。

 その遙か向こうには、槍のように鋭く尖った、いくつもの岩山が並んでいる。


 最も異様なのは、空。

 黒と紫のマーブル模様に彩られた空。

 あちこちで雷鳴が鳴り響き、本能的な不安を駆り立てる空。


「ここが、エヴィルの世界……」

「その通りだ。ミドワルトとは異なる、もう一つの大地。おまえたちがエヴィルと呼ぶ生物が跋扈する異界――『ビシャスワルト』だ」


 心なしか震えているようなカーディの声を、私は夢の中にいるような気分で聞いていた。

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