7.5章C 妖将復活 編 - heart seek -

481 ▽妖将と大賢者

 新代エインシャント神国は輝術大国と呼ばれている。

 神都の中央に聳える白の聖城は地上百メートルに及ぶ威容を誇る。

 月光に照らされたシルエットは、さながら神々の居城のごとき荘厳さである。


 人類栄華の結晶。

 邪悪を払う希望の砦。

 神々の寵愛を受けた、神聖にして不可侵……


 の、はずの聖城に、今宵ひとつの影が落ちた。


 聖城の外周を囲む堅牢な城壁と聖水堀。

 水も漏らさぬ生真面目さで歩哨に立つ勇敢なる兵士たち。

 それらの頭上をあっさりと飛び越え、影は滑るように城内へ侵入した。


 影は迷いなく一点を目指す。

 居住区を抜け、兵士の詰所を横切る。

 そのまま迷うことなく奥部へと向かって行く。


 ある部屋の前で影は立ち止まった。

 ドアノブへと伸ばした手を引っ込める。

 少し間を置いた後、影は律儀にノックをした。


「開いていますよ。罠はないので安心して入って下さい」


 影は肩をすくめた。

 言われたとおりドアを開ける。

 罠どころか、施錠すらしていなかった。


 あまりにあっさりと侵入できたことに、彼女は拍子抜けしていた。

 背を向けて椅子に腰掛ける男へ思わず皮肉めいた言葉を投げかける。


「不用心にも程があるね。わたしが敵国の暗殺者だったらどうするつもりだ?」

「どこの国が五英雄の大賢者に危害を加えると? こんな時期に火種を落とすような協調性のない国なら早いうちに滅んだ方が良いですね。こちらから出向いて潰してやりますよ」

「自信家ぶりと口の悪さは相変わらずだね、グレイ。誰もおまえの心配なんてしてないよ」


 魔動乱の五英雄。

 人類最強の輝術師。

 輝術師団を統べる大賢者。


 彼の者の名はグレイロード。


「おやおや冷たいですね。久しぶりに会った一言目がそれですか」

「というか、わたしを招くためにわざと見張りの数を減らしただろ?」

「弱っていると聞いていたので、念のため。本当は昨日のうちに来てくれると思っていたんですが、何をモタモタしていたんですか。黒衣の妖将ともあろう人が」


 グレイロードは椅子を回転させこちらを振り返った。

 部下の前では決して見せない、優しい笑みを浮かべて。


「待たせて悪かったね。まさかノーセキュリティとは思わないから、罠を疑って調査してたんだよ。つまり、おまえが余計なことしなきゃもっと早くに来れたんだ」


 窓から差し込んだ月明かりが影を照らし出す。

 影の正体は真っ黒な衣装に身を包んだ金髪の少女。


 見た目こそ十六、七の年若い女の子。

 しかし、彼女は人ではない。


 かつて最強のケイオスと呼ばれた者。

 黒衣の妖将カーディナルである。


 英雄と人類の敵。

 互いの立場を考えれば決して相容れぬ関係。

 だが大賢者と黒衣の妖将、二人の間には柔らかい空気が流れていた。


「最後に会ったのは、ウォスゲートが閉じた直後でしたね」

「ああ。あの坊やがずいぶんと大きくなったもんだ」

「からかわないでください、貴女が変わらなさすぎるだけですよ」


 傲岸不遜で知られる大賢者が敬語を使うのは、基本的に五大国の王に対してのみ。

 数少ない例外が、幼少期からの友人にして師も同然のこの少女である。

 カーディナルはグレイロードの古き友人なのだ。


 魔動乱期には『かわき』に抗えず人類と敵対した。

 しかし本来、彼女は古くからこの地に住まう守り神のような存在だった。

 と言っても半ば伝説のようなもので、彼女の正体を知る者は今やグレイロードのみである。


「そうだ、礼を言うのが遅れました。ルーチェをここまで連れてきてくれてありがとうございます」


 グレイロードの慇懃な物言いにカーディナルの眉がぴくりと跳ね上がる。


「やっぱり、おまえが手を引いてたんだね。シュタール帝国に内政干渉までしてさ」

「人聞きの悪い。私が要求したのはアイゼンでの事件を放置させたくらいですよ。貴女なら余計なことをせずとも彼女に興味を持ってくれると思っていましたからね」

「白々しいね。そんなにあいつとわたしを引き合わせたかったの?」

「ええ。貴女以上にふさわしい教育係は思いつきませんから」


 半ば冗談のつもりで言ったのだが、ハッキリと肯定されたカーディナルは眉をひそめた。


「異界進攻は『トリ』を使うんだよね」

「他にゲートを越える方法がない以上、そうなるでしょう」

「ということは定員は五人までだ。ミドワルト各国の推薦を押し切ってでも連れて行く価値があるっていうの? あいつに」

「もちろんです。そのためにわざわざ呼んだのですから」

「いったいあいつは何者なんだ」

「ルーチェの正体ですか? プリマヴェーラの隠し子ですよ」


 あっさりと秘密を暴露する大賢者。

 だがカーディナル聞きたいのはそこではない。


「そんなのは見ればわかる。聖少女の再来だなんて寝惚けた言い訳が通用するか。本人を見たことある人間なら、血縁者だってことは一目瞭然だ」

「一応、本人も気付いてないはずなんですがね」


 くっくっく、と大賢者は笑う

 黒衣の妖将は核心を問い質した。


「あいつの力は規格外だが、母親のそれとは明らかに異質だ。そもそも、あの女の力は遺伝するような性質のものじゃなかった。ルーチェの力の根源はもっと別の何かだ」


 カーディナルも聖少女プリマヴェーラとは一度ならず戦ったことがある。


 その力を一言で言うなら、非常識。

 ルーチェのような曲がりなりにも体系立てられた輝術は一切使わない

 ……いや、使えないという方が正しいか。


 最初はよく似ていると思った。

 だが、すぐに全くの別物だとわかった。


「ハッキリ言うが、この世に。創作の中の存在を隠れ蓑に使ってまで、何を隠したかったんだ?」

「苦労しましたよ。表向き存在を隠していることにしつつ、実在を世間に信じ込ませるのはね。『深緑の聖女』って小説を知っていますか? あれ、私が東方探索の途中に暇つぶしで書いたんですよ」


 カーディナルはグレイロードの言葉を無視し、さらに続ける。


「理屈はともかく、プリマヴェーラの力は普通の人間が後天的に得たものだ。では、何もせずとも輝術師としての能力が備わっている、ルーチェの力の源はなんなんだ?」


 グレイロードはしばしの間を置く。

 やがて、視線を壁に向けながら答えた。


「ルーチェの力は遺伝ですよ。なんの調整も受けていません」

「おい」

「ですが、受け継いだのはプリマヴェーラからではありません」


 一瞬の空白。

 カーディナルは嫌な想像をした。


「父親はアルジェンティオかと思っていたが……まさか、お前が」

「違いますよ」


 グレイロードは肩をすくめた。

 その軽薄な態度とは裏腹に額に汗が滲んでいる。

 先の言葉を発することに対し、少なからず緊張をはらんでいるようだ。


「気付いているでしょう? 彼女はどちらかと言うと貴女に近い。いや、もっと遙かに……」


 言葉を濁し、口を噤む。

 静寂の中で流れる時間は無限にも等しく思えた。

 その間、カーディナルの思考は彼方へと飛び、怖ろしい想像を連れて戻ってきた。


「……まさか」

「ご想像の通りだと思いますよ」

「おまえらは、なんてモノを利用しようとしているんだ!」

「そうでもしなければ、この世界を飲み込もうとしている災厄には勝てないんだ!」


 落ち着いた態度をかなぐり捨て、グレイロードは激情を露わにした。

 そんな自分の態度を恥じたのか彼は咳払いをして冷静さを取り繕う。


「俺も本当はこんなふざけた手段に縋りたくはないんだ。あの人の忘れ形見を利用するのも心が痛む。だが時間がないんだ。あと二ヶ月、いや、一ヶ月後には……」


 グレイロードはカーディナルの目を真っ直ぐに見て、その事実を告げた。


「ウォスゲートは、この神都の上空で開く」

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