480 ▽喪失の先の希望
ダイスは生物学者ではない。
エヴィル専門の研究家でもない。
だから、詳しいことはわからない。
エヴィルというのは、およそ通常の生物のとはかけ離れた特徴を持つ生物である。
その特徴の一つが、個体の死の特異さだ。
攻撃部位に関係なく、一定のダメージを受けると、煙のように霧消する。
体は肉片一つ残さず消滅してしまい、エヴィルストーンと呼ばれる宝石だけが後に残る。
しかし、体内にあるエヴィルストーン
また、エヴィルストーンを破壊されたエヴィルは、なぜかその凶暴性を失ってしまう。
人を襲うことはなくなり、家畜として飼い慣らすことすら可能になる。
端的に言えば、
ただし、体内にあるエヴィルストーンの破壊は容易ではない。
頑強な肉体を持つエヴィルはあくまで『叩いて』ダメージを与える相手だからだ。
輝攻戦士にせよ輝鋼精錬された武器を使うにせよ、肉体を『斬り裂く』ことは非常に難しい。
特に、エヴィルストーンがある部位は大抵の場合そのエヴィルの最堅度箇所でもある。
そこを斬れるほどの攻撃を与えれば、ほぼ間違いなくダメージ過多で霧消してしまうだろう。
だが『斬輝』なら。
エヴィルの体を過剰に傷つけることはなく、頑強な肉体に刃を通してエヴィルストーンだけを破壊することもできる。
「言っておくが、他人に技を教える気はないぞ。そもそも余人に扱えるような技術ではないのだ」
隠居したダイスをわざわざ訪ねてくる理由なんて、そう多くはない。
力を借りたいか、さもなくばこの技を我が物にしたいと思うかのいずれかだ。
若い少年剣士なら、後者であろう。
ダイスはあらかじめハッキリと断った。
実は過去、斬輝と呼ばれるこの技を他人に教えようとしたこともあった。
国一番の天才剣士だともてはやされて調子に乗っていた頃。
弟子らしき若者を何人も囲っていた時期があった。
しかし、いくら丁寧に教えたところで、斬輝を扱えた者は一人もいなかった。
そもそもダイス自身、技の理屈を説明することができない。
自分にとってはただ剣を振っているだけ。
むしろ、他人に同じ事ができないのか不思議で仕方なかった。
そうなると当然、増長する。
自分は世界で無二の天才なのだと思い上がってしまう。
非才の身に気づかず、英雄と持て囃された結果が、あの惨劇を――
「まあ、そりゃそうだよな」
ダイスはハッとして顔を上げる。
少年はキュオンの肉に齧りつきながら言った
いかん、いかん。
気を抜くとすぐにふさぎ込んでしまう。
思考の迷宮に陥ったところで、何も得るものはないのに。
あれからもう、十数年も経っている。
「意外に淡泊だな。俺の技を我が物にしたくないのか?」
「さすがに突然押しかけた人間に、いきなり秘伝の技を教えてくれるとは思ってねーよ」
別にもったいぶって教えないわけではないのだが。
それで納得したのなら構わないと思い、ダイスは訂正をしなかった。
しかし、命がけでここまでやって来たくせに、ずいぶんと諦めが早いものだ。
「それよかさ、悪ぃけど今晩だけ泊めてもらえるか? 適当にその辺に転がって寝るからよ」
「あ、ああ、構わん。元よりそのつもりだ。ただし武器は預からせてもらうぞ」
「当然だな、ほらよ」
少年は素直に剣を差し出した。
もしやと思ったが、自分の命を狙いに来たわけでもなさそうだ。
今のダイスに殺す価値などないのだが、英雄をその手で倒したという歪んだ栄光を求める者もいないとは言い切れない。
だが、この少年はそういったわけでもなさそうだ。
※
食事を終え、食器を洗って戻ってくる。
少年は自分で言った通り床に寝っ転がっていた。
今は暖炉の火があるからまだ良いが、夜中はまた一段と冷える。
ダイスは寝室から余っている毛布を一枚持ってきてやった。
こちらに背を向けて寝息を立てている少年に放り投げる。
「変なやつだな……」
そんな風に思いながら、ダイスは食後の読書に入った。
特注の椅子で本を読みながら、自然と眠りに落ちるのが彼の日課である。
吹雪の中で狩りをした疲れもあって、意識が途切れるまでそう時間はかからなかった。
※
翌朝。
目が覚めると、少年の姿はなかった。
窓からはまぶしく輝く太陽の光が差し込んでいる。
吹雪はすでに止んでいるようだ。
「せっかちなやつだ」
何も朝一番で出て行くこともないだろうに。
本当に、なんのためにこんな所までやってきたのだ?
あるいは最初から物見気分だったのかもしれない。
隠居したかつての英雄を一目見て、満足して帰って行ったか。
……自分にそれほどの価値はないのに。
ふと、ダイスは寝室の隅に残っている少年の剣に気づいた。
そういえば、昨晩預かっていたことを思い出す。
まさか忘れていったのか。
もしかしたら、まだ近くにいるかも知れない。
小屋を出てみると少年はすぐに見つかった。
「……何をやっているんだ」
「おう、ちっす」
巨大な雪玉を転がし、それを壁面の隅にいくつも集めている。
まさか雪遊びをしているとは、何を考えているのかますますわからない。
「悪ぃけど、ちょっとここ借りるな」
少年は二つの雪玉を重ね、それぞれを押しつけ始めた。
ダイスは呆れて小屋の中に戻って朝食をとることにした。
干し肉を囓って暖炉の火で紅茶を涌かす。
一服してまた表に出た時には、雪の塊は随分と大きくなっていた。
少年はその中に入って必死に内側から削っている。
「まさかと思うが、雪室を作っているのか?」
「オレの生まれた辺りじゃ『かまくら』ってんだ。結構あったかいんだぜ」
そんなことを聞いているわけではない。
場所を借りると言ったが、ここに住み着くつもりなのだろうか?
「ここでしばらく、あんたの技を見させてもらう」
あきらめが良いと思ったら、とんでもない。
この少年は最初から技を教わる気などなかったのだ。
ダイスの斬輝は日常の食料集めで不可欠な技術である。
エヴィルを狩って食わなければ、こんな極限の環境で生きられない。
だが、それはこの少年にも言えることだ。
「昨日のような天候は決して稀ではない。また吹雪になれば、雪室なぞ一夜で埋もれるぞ。それに食料はどうするつもりだ」
「ま、なんとかなるだろ」
気軽に言ってくれる。
ここの生活が軌道に乗るまで、自分がどれだけ苦労したか。
ダイスは呆れるが、彼の気楽そうな表情の中に、見知った色を発見する。
「……お前」
「ん?」
一見すると無根拠な楽天家に見えるが、違う。
この少年は自分と同じ、何かを失った者の目をしていた。
「いや、なんでもない」
かと言って馴れ合うつもりも、過剰に親切にしてやる気もない。
ダイスは少年に背を向けて再び小屋に戻ろうとした。
その途中でふと足を止め、雪室作りを続ける少年に問いかける。
「お前、名前はなんという」
「
人の名前としては聞き慣れない響きだ。
特異な外見からもしやと思ったが、ミドワルトの人間ではないのだろう。
「キリサキよ」
「あん」
世界に数多いる、絶望に囚われ己を失った者の一人になるか。
強い意思を持って己が往くべき道を定めるか。
はたまた道半ばで無為に散るか。
未来がどうなるかはわからない。
だが、少年の瞳には喪失と共に希望の光が残っている。
ダイスは告げる。
「精々、頑張って生きるんだな」
「おうよ。言われるまでもねーぜ」
そして今度こそ、ダイスは自分の小屋に戻っていく。
目的を失った少年と、世を捨てた過去の英雄。
二人の奇妙な共同生活はこうして始まった。
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