475 ▽盲目の少女

 もう、一月も前のことになるだろうか。

 ダイの姉捜しの旅は、最悪の形で終わった。


 最愛の姉は故郷の大人たちと同じ心を狂わす病気に冒されていた。

 多くの人を殺め、最期はダイの仲間たちに倒されて……死んだ。


 ダイは旅の目的を失った。


 共にいた仲間たちは当初の予定通り、大賢者のいる大国へと向かった。

 今ごろはもう到着している頃だろうか?


 あの時、みんなと別れたことに、深い意味があったわけじゃない。

 惰性で行動を共にするという選択肢もあっただろう。

 だが、ダイはそれを選ばなかった。


 ノルド国に来たのだって、特に意味があるわけじゃない。

 かつて、故郷の剣術の極意を使っていった英雄がいた。

 そんな噂を聞いて、なんとなく訪れただけだ。


 その人物がこの辺にいる確約はない。

 会って何をしようと思っているわけでもない。

 ただ、何かしらの目的を持って行動しなければ、二度と立ち上がれないような気がした。


「お待たせしましたっ!」


 ティニーが食事を載せたトレイを運んでくる。

 その足運びは非常に不安定だった。

 トレイの上をゆで卵が転がり、なみなみ注がれた白いスープが波打っている。


「おい、こっちだ。あと三歩。もっとゆっくりでいい」


 危なっかしすぎる。

 ダイは声に出して誘導してやった。

 ティニーは嬉しそうに近づき、ベッド脇の棚にトレイを置いた。


「ありがとうございますっ」

「いや……」


 礼を言われることじゃない。

 ベッドに食事をぶちまけられちゃたまらないだけだ。


「こら、ティニー! 勝手に持って行くんじゃないよ。また客人にこぼしたりして、取り返しのつかない火傷を負わせたらどうするんだい」


 おたまを片手に恰幅の良い中年女性がやってきた。

 なにやら不穏な台詞が聞こえたが、無事だったので深く追求しないことにしよう。


「っと、目が覚めたってのは本当だったんだね。具合はどうだい?」

「ああ……」


 ダイは曖昧に答えて女性の顔を見た。

 まだ、自分が助けられた真意がわからない。

 命を救われたとはいえ馴れ合うつもりもなかった。


 しかし、女性はそんなことお構いなしの様子である。

 布団の中に手を突っ込むと、無理やりダイの足を引っ張り上げた。


「なにを――つっ!」

「うん、だいぶ良くなってるね」


 抵抗しようにも、激しい痛みで下半身が動かせない。

 見ると、ズボンの先から覗く足先は血の気が引き薄紫色に変色していた。


「もう少し救助が遅かったら足を切り落とさなきゃいけないところだったんだよ。まったく、雪国をなめるんじゃないよ。この時期にあんな薄着で出歩くバカがいるかい」

「なんでオレを助けた」


 体は動かない。

 武器も手元にない。

 命運を握られているも同然だ。

 ダイは半ば覚悟を決めながらも、単刀直入に質問した。


「あなたが倒れていたからだよ!」


 ティニーが答えになっていない答えを叫ぶ。

 自分が聞きたいのはそういうことじゃない。

 ダイは苛立ちながらもう一度真意を尋ねた。


「折れた輝攻化武具ストライクアームズを見て偉い輝士と勘違いしてんなら言っとくぞ。オレはアテのないただの旅人だ。オマエらがわざわざ助けるような価値なんてねー人間だ」

「……ずいぶんとひねくれた子だねえ。死にそうな少年を見つけたから保護してやったってだけじゃないか。別に見返りを求めたりなんてしないよ」

「不用心だな。実は盗賊の類いかもしれねーぞ?」

「そんな体で何ができるんだい。武器を含めたあんたの手荷物一式は、こっちで預からせてもらってる。あんたが盗賊ならそんなマヌケな目には合ってないだろ」


 女性の言うとおりである。

 今の自分には彼女たちに危害を加えるだけの力もない。


「事情はわからないけど、ずいぶんと大変だったみたいだね。こんな辺境まで一人でやってくるなんて、よっぽどの理由があったんだろ」

「……別に」


 かといって、同情されるのも気分が悪い。

 ダイはそっぽを向いて視線を背けた。

 と、足にわずかな重みがかかる。

 ティニーが食事の載ったトレイを置いたのだ。


「辛いことはたくさん食べて忘れるのが一番だよ! これ、私が煮たんだ。よかったら食べて感想を聞かせてくれると嬉しいな!」

「腹減ってねえから、いら」


 ねえ、と言おうとしたそのタイミングで、ちょうど腹の虫が鳴った。


 顔が熱い。

 ちらりと二人に視線を向ける。

 ティニーは笑顔でスープ皿を差し出している。

 中年女性は顔を伏せながら笑いをかみ殺していた。


「……わかったよ。ありがたくいただくぜ」


 ダイは観念して食事をもらうことにした。

 スープだと思ったのは、柔らかく煮たライスの入ったお粥だった。




   ※


「つっ……」

「我慢しな、男の子だろ」


 痛みよりも、ダイはその言葉に顔をしかめた。

 中年女性……シュナメル婦人は、ダイの足に磨りつぶした薬草を塗っている。

 年の差を考えれば親子以上に離れているが、まさかこんな風に子ども扱いされるとは。


 足の凍傷は本当に危険な状態だったらしい。

 園芸輝術師が栽培した特殊な薬草を惜しみなく使った。

 八方手を尽くしてもらい、ようやく峠を乗り越えた状態である。


 ちなみに、この薬草は非常に高価らしい。

 とてもじゃないが、治療費を支払えるあてはない。

 とはいえ治療を断る訳にもいかず、結果的に文句も言えず、されるがままの状態だった。


「うん、これならあと数日で歩けるようになるでしょう」


 ぺしん、と包帯を巻いた足を叩くシュナメル。

 ダイは歯を食いしばって悲鳴と文句を飲み込んだ。


「そしたら私たちの村を案内してあげるねっ。みんないい人たちばっかりだから、きっとダイ君も気に入ってくれると思うよっ!」


 横でにこにこ笑っているティニーは無視する。

 そもそも目が見えない彼女に案内ができるのか疑わしい。

 もちろん、それを口にしない程度には、ダイも分別はあるつもりだ。


「で、いい加減に話してくれたらどうだい?」

「何がだよ」


 ふいに真面目な顔で問いかけるシュナメル。

 ダイは仏頂面で睨み返した。


「アタシが言うのもなんだけど、この辺りは本当に何にも無いところだよ。冒険者が探索するような遺跡も、物見気分で観光するような名所も、資源を求めて侵略する価値すらない。アンタみたいな胡散臭い東国人がやってくるなんて、この村はじまって以来のことだよ」


 東国とはミドワルトと文化圏の異なる東の大森林の向こうにある異境の土地のことである。

 目の見えないティニーと違い、シュナメルにはダイが異邦人であることはわかっているようだ。


「怪しーって思うなら追い出しゃいーじゃねーか」

「んなこと誰も言ってないだろ……ホントにひねくれた子だねえ。アタシたちはアンタのことが心配なだけさ。まあ、言いたくないなら、無理に話せとは言わないよ」

「私もはやくダイ君が元気になってくれると嬉しいよ!」

「……勝手にしろ」


 どうやら本当に善意だけで言っているようだ。

 しかし、ダイはそれを素直に受け取る気にはなれない。

 ふてくされたフリをして、布団を頭から被って会話から逃げた。




   ※


 一週間もすると、足の具合はだいぶ良くなった。

 高価な薬草をふんだんに使って治療してもらったおかげだろう。

 しかし、当然ながらダイは金銭とは別の形で対価を支払うことになった。


「ちくしょう、面倒なことになったぜ……」


 飼い葉を大量に詰め込んだ桶を担ぎ独りごちる。


「ふふっ」


 その後ろでティニーが笑っていた。

 ダイが雪を踏みしめる足音を頼りに後を着いてくる。


「でも、良かったよ。ダイ君が元気になって」

「ま、感謝はしてるけどよ……」


 さすがに全くの善意で治療をしてくれただけではなかった。

 ダイが歩けるようになったとわかると、しばらく村に留まって働くよう命令された。

 折れたゼファーソードを含めた荷物一式はどこかに隠されているので、逆らうこともできない。


 まあ命を助けてもらったのも事実だし、ここで逃げ出すのはさすがに仁義に悖る。

 それに、荷物を諦めて体一つで雪国を探索するような気にもなれない。

 ダイは治療の礼として村で家畜の世話をして働くことになった。

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