471 ▽英雄王

 ローザを失ったジュストは、失意のうちに村を飛び出した。

 母から譲り受けた木剣だけを持って山を下り、ファーゼブル王国領に密入国。

 国内の小さな町で開かれていた武術大会に飛び入り参加し、そこで運命の出会いを果たす。


 試合そのものは一回戦であっさりと負けてしまい、まともに剣も振れない自分の弱さを思い知ったジュストは、大会が終わった後も呆然としながら会場に残っていた。


 そこを、たまたま視察に来ていたシュタール帝国の輝士に目をつけられた。

 後に師と仰ぐことになる、星帝十三輝士シュテルンリッターのザトゥルである。


 ザトゥルに拾われたジュストは、彼に連れられて帝都アイゼンへとやってきた。

 剣術や輝士作法を習いつつ、初等学校に通わせてもらえることになった。


 元々気が弱く、田舎者で勉学の知識などまるでない。

 最初は授業についていくだけで精一杯だった。


 だが、いつか立派な輝士になって自分の手で大切な人を守りたい。

 それだけの目標を胸に、日々必死になって頑張った。


 学校から帰ってからも休んでいる暇はない。

 公務を終えたザトゥルの世話をしつつ、彼から剣術の指導を受る。

 一日の訓練が終わった後は翌朝まで泥のように眠ることを繰り返すだけの毎日。

 もちろん、休日もひたすら自主訓練を行った。


 その甲斐もあって、中等学校までは優秀な成績で卒業することができた。

 ザトゥルが熱心に指導してくれたおかげもあって、気づけばジュストは同年代で並ぶ者のないほどの剣術の腕前を身につけていた。


 星帝十三輝士シュテルンリッターの弟子ということで、シュタール帝国輝士団入りも期待されたが、ジュストはやはり輝士を目指すなら故郷に近いファーゼブル王国が良いと思った。


 ザトゥルにその希望を申し出た時は複雑な表情をされたが、最終的には王都エテルノの輝士学校への紹介状を書いてもらえることになった。


 そしてジュストはファーゼブル王国の王都エテルノにやって来て、今の輝士学校に通い始めた。

 帝都アイゼンでの生活で、すでに輝士側付きの過程は終えていると見なされている。

 輝士学校を卒業すれば正式な輝士として採用されることも約束されていた。


 授業や日々の稽古は相変わらず厳しかったが、一人暮らしを初めて精神的にも余裕ができはじめ、休日は友人らと息抜きをしつつ学校生活を楽しんでいた。


 取るべき単位は一、二年目ですべて取り終え、三年時は卒業課題を残すのみとなった。

 輝士見習いの見本のような優秀な生徒だったと言えるだろう。


 だが、三年生になったある日。

 ジュストの運命を一変させてしまう事件が起こった。


 それは友人と一緒に図書室の在庫整理をしていた時のことだった。

 面倒な役目を押しつけられて愚痴をこぼす友人を宥めながら、ジュストは普段なら決して入ることのない、書庫の奥へと足を踏み入れて――




   ※


「そこで君は、エヴィルを封じていた禁書を開いてしまった」

「はい」


 現実の馬車の中、国王陛下の言葉にジュストは小さく首を縦に動かした。


「現れたのは最弱のエヴィル、コアグルム」


 コアグルムはネバネバした半液体状のエヴィルである。

 両手で抱えられる程度の大きさでで、小さな手足のような突起と豆粒のような黒い瞳を持つ。


 色は個体によって異なるが、それは薄い緑色だった。

 見ようによっては、かわいらしい愛玩動物にも見えなくはない。

 だが、れっきとした人類の敵エヴィルであり、不用意に触れればたちまち体を解かされてしまう。


「最弱とは言え実戦経験もない学生にとっては恐るべき怪物だ。しかし君は平静を失うことなく、機転を利かせてこれを撃破した」

「は、はい。ありがとうございます」


 本当はものすごいパニック状態だったし、動きを止めるためとは言え書棚をメチャクチャに倒してしまったのだが、わざわざ訂正しなくても良いだろう。


 本棚で挟んだ上で、部屋の隅に放置されていた輝術師の杖で何度も叩いてやった。

 すると、コアグルムは最終的に水風船のように破裂した。

 周囲はネバネバの液体が散乱する大惨事だった。


 なんとか生き延びたものの、ジュストたちは戦々恐々としていた。

 事件の内容を包み隠さず教師に話し、処罰は追って伝えるということで自宅待機を命じられた。


 エヴィルの封印を説いた挙句、大暴れして図書室をメチャクチャにしてしまった。

 果たしてどのような処分を受けるのだろう。

 最悪、退学もありうるのではないか?

 考えると眠れない夜が続いた。


 そして、三日目の朝。

 ジュストは学校長から呼び出された。


 こうなったら覚悟を決めるしかないと思い、校長室に足を踏み入れたジュストは、そこで予想を遙かに超える驚きを味わった。


 学校長と並んで、ジュストを待っていた人物。

 それこそが他ならぬこのビオンド三世陛下だったのだ。


「禁書を放置していた学校側にこそ非があれ、君が処分を受けるいわれはまるでない。本来なら見舞金の一つでも渡した上で、即座に復学させるのが筋というものだっただろう」


 国王陛下は重々しげに言葉を発した後、鋭い視線をジュストに向けた。


「その禁書が、王家の血筋の者しか開けないはずの書でなければな」


 後で知ったことだが、あれは別に邪悪なエヴィルを封じていたわけではなかった。

 邪悪な輝力を中和され、人間を襲うことのないよう改良された……

 つまり、ペット化したエヴィルを閉じ込める書だったのだ。


 そういえば、あの薄緑色のコアグルムは、じゃれるように飛びついて来ただけだった気もする。

 素手で触れたのに、皮膚が解かされることもなかった。


 なぜそのような本が、忘れられたかのように書庫に残されていたのか?

 その理由をジュストは国王陛下から直々に聞くことになった。


「陛下……」

「到着した。話の続きは兄上とな」


 輝動馬車が停止する。

 扉が外側から開き、御者が恭しく礼をした。

 国王陛下は座ったままジュストに向かって顎をしゃくる。


 ここから先は一人で行けと言うことらしい。

 国王陛下が、本当に自分を出迎えるためだけに来て下さったのだ。

 ジュストに意見などできるはずもなく、最敬礼をして馬車から降りた。




   ※


 目の前には小屋があった。

 いつの間にか王宮の敷地に入っていたらしい。

 城壁の中ではあるが、周囲は木が生い茂っている。

 中庭いうよりはちょっとした森の中のような、奇妙な場所である。


 こんな何のためにあるのかわからない区画に、その小屋はひっそりと建てられていた。


 すでに国王陛下を乗せた輝動馬車は行ってしまった。

 仕方なくジュストは建物の戸に手をかける。

 鍵はかかっていない。


 あっさりと開いた戸に拍子抜けしながら、ジュストは小屋の中に足を踏み入れた。


 木椅子にもたれ掛かって座っている男がいた。

 机にはなにやら用途不明な機械マキナが置かれている。

 その男は中途半端に組み立てられたそれを眺めながら言った。


「よお、遅かったな」


 彼は始めて会った時のように、気さくな感じで話しかけて来る。

 以前と違うのは、その服装。

 フィリア市で会った時は油に汚れた技術者服を着ていたが、今は立派な貴族服を纏っている。


「いや、むしろ無事にやって来られたと喜ぶべきか? くく……ビオンドのやつも甘いよな。俺があいつの立場だったら、間違いなく将来の政敵は早めに潰しておくぜ」


 ジュストは人知れず拳に力が入るのを自覚した。

 それがわかっていて、国王陛下に自分を迎えに行かせる厚顔さ。


 目の前の人物に対してこらえきれない怒りがわき上がる。

 だが、怒り任せに感情をぶつけることはできない。


 これでも目の前の人物は、魔動乱を終わらせた生ける伝説……

 英雄王アルジェンティオその人なのだから。

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