440 ▽英雄王の帰還

 ナータは病院のベッドの上で悶えていた。


「うおお……」


 体が痛い。

 打撲ではない。

 強烈な筋肉痛である。


 神殿での戦いから一晩明けた翌日。

 雪崩を打つようにやってきた王宮輝士団によって、事件は完全に幕を閉じた。

 首謀者らしき金髪の輝士はその場で処刑され、テロ行為に加わった少年たちもすべて逮捕された。


 ナータたちは念のため、病院で検査を受けることになった。

 最初は必要ないと断ったのだが、翌日になって体中が軋むように叫びを上げた。

 耐えきれないほど痛みを訴え始め、結局そのまま入院することになってしまったのである。


 確かにかなり無茶はしたが、こんなにも後を引くものだろうか?

 まともに座って本を読むこともできないので、横になって痛みが引くのを待つしかできない。

 なんとも苦痛な時間であった。


 そんなとき、病室のドアが控えめにノックされる。


「ど、どうぞ」

「入るぞ」


 病室に入ってきたのはベラだった。

 南フィリア学園の先輩であり、今は現役の王宮輝士。

 今回の事件でフィリア市に真っ先に駆けつけてくれたのも彼女だった。


 ベラはナータの様子を見て小さく笑い、その態度にこちらが不快感を示すのも構わず、勝手にパイプ椅子を広げて腰掛けた。


「ご苦労だったな。随分と活躍したそうじゃないか」

「別に、たいしたことはしてないわよ」

「謙遜するな」


 そう言ってベラはナータの肩をバシバシと叩く。


「うごあっ!?」

「あははっ」

「痛いわ、バカぁっ!」


 ナータは涙目で文句を言った。

 叩かれた部分はもちろん、全身が引き裂かれるように痛い。

 叫んでもやっぱり痛い。

 とんでもないことしやがる。

 鬼かこの先輩は。


「まあ、元気そうでなによりだ」

「こ、これが元気に見えると……?」

「命があっただけマシと思うんだな」


 ベラは急に真面目な顔になる。


「いくらなんでも無茶しすぎだ。レガンテはもちろん、ターニャだってケイオスと同等の力を持っていた。ひとつ間違っていたら殺されていてもおかしくなかったんだぞ」

「……無事だったんだからいいじゃない」

「結果的にはな。今回の事件は子供のケンカじゃない。いつも自分で解決しようとせず、もうちょっと輝士を頼ってくれ」


 彼女はそう言った後、深くため息を吐く。


「と、言ってもフィリア市の輝士団が内側から乗っ取られていたんだから、説得力もないだろうけどな。簡単に市役所を占拠されたことといい、この街の警備態勢は根本から見直さなくては」


 輝士団なんかどうでもいいが、ナータはそれ以上何も言わなかった。

 ベラは市庁舎でナータたちを助けた後で事件の本当の首謀者と戦っていたらしい。

 結果的には間に合わなかったけれどナータたちのために腹心の部下を送ってくれたとも聞いた。


「……捕まったやつらはどうなったの?」


 市役所でナータたちが倒した者。

 神殿で輝鋼石の影響を受けて気を失った者。

 テロ行為に関わった少年たちは、すべて王宮輝士に身柄を拘束された。

 彼らはその後、どうなるのだろうか。


「人心掌握に長けたケイオスに操られていたと考えれば情状酌量の余地はある。だが仮にも国家転覆に荷担した重犯罪者だ。裁判次第だが、ある程度の処分は免れないだろうな」

「関わったやつ全員?」

「……ターニャに関しては少し事情が異なる」


 ナータはあえて言葉を濁したが、ベラは本当に知りたかったことを答えてくれた。


「彼女は少年たちを先導していた立場にある。レガンテが死亡した今となっては彼女は生き残った唯一の重要参考人だ。あまりに衰弱が激しいので現在は拘束して隔離室で治療中だがな」

「衰弱って……」

「言葉もほとんど喋れない状態だ。自力で立つこともできない。体に関しては……もう、元に戻ることはないかもしれない」


 輝士に連行される前、老婆のように枯れたターニャの姿を見たのを思い出す。


 それほど親しいわけではなかった。

 ルーチェやジルと共通の友達だから一緒にいただけ。

 本音を言えば、取っつきにくいやつだなくらいに思っていた。


 それでも、友達には変わりない。

 ジルの悲しむ顔は今も目に焼き付いている。

 今回の事件を知れば、帰ってきたルーチェも悲しむだろう。


「ねえ、ベラお姉様」

「なんだ?」

「どうして、ターニャはあんなバカなことをしたのかな」


 惚れた男に騙されたから?

 与えられた力に溺れたから?


 理由はいろいろ考えられる。

 けど、友達をあんなふうに友だちを憎むものだろうか。


 なんとなくだけど、ジルとターニャは決して上辺だけの付き合いじゃなかったと思う。

 あいつが言っていたように昔からずっと恨んでいたとはどうしても思えない。


「それはこれから調査するとしか言えないな。いろいろと複雑な事情もあるようだし」

「事情って?」

「家庭の事とか、普段の生活の事とか……大きな声では言えないが、貴族会の連中の腐敗ぶりも今回の件をきっかけに明るみに出るかもしれない」


 よくわからないが、胸くそ悪い大人の事情が絡んでいることはなんとなく理解できた。


 ここから先はベラたち輝士の仕事である。

 ナータにできるのは、落ち込んでいるジルを励ましてやることくらいだ。


「そういえば、ジルは?」

「彼女は特に問題も見られなかったので、軽い聴取を行った後すぐに退院させた。特別に隔離室への出入りを許可してあるから、今頃はターニャのお見舞い中かもな」

「大丈夫? あいつのことだから、拘束されてるターニャを見たら無理やりにでも連れ出そうとするんじゃない?」

「見舞い中は複数の輝士が立ち会っている。さすがにそんな無茶はできないさ」

「ならいいんだけど……」


 ジルがターニャに引き込まれなかったのが、今回の唯一の救いだ。

 いや、占拠された市庁舎に乗り込んでる時点で、十分バカな事をしてるんだけど。


 ジルを連れて逃げた時、彼女が言った言葉を思い出す。

 もし道を誤ったのがターニャでなくルーチェだったら……


 自分はどうしただろう。

 ジルと同じように全力で止める?

 それとも、すべてを投げうって彼女に協力する?


 どっちにせよ、大人たちに任せて黙っているなんてことは絶対にない。

 だから自分たちがしたことは間違いじゃなかったと思う。


「おっと、もうこんな時間か」


 ナータが一人で考えていると、ベラは壁時計をちらりと見て立ち上がった。


「悪いがそろそろ失礼するよ。見舞い品の一つも持たずに来て済まんな」

「もう帰んの?」

「なんだ、側に居て欲しいのか?」

「全然。っていうか叩くな! 早く帰れ!」


 ニヤニヤしながら体に触れてくる悪魔。

 ナータは涙目になって抗議をする。


「冷たい後輩だな。それじゃ、体が治るまで安静にな」

「あんたがいなきゃいくらでも安静にできるわっ」

「そうそう。言い忘れていたが、事件の解決に協力した功績ということで、お前とジルに市民栄誉賞が授与されるらしいぞ」

「別にいらない。辞退するか代わりにもらっといて」

「わかった、そう伝えておく」


 それだけ言ってベラは病室から出ていった。

 ドアが閉まるのを確認して、ナータは布団の中に潜り込み、深くため息を吐いた。


 自分のしたことは間違っていない。

 間違っていないが、ターニャを救うことはできなかった。


 もう少し自分に力があれば。

 別の結末もあったんじゃないか。


 そんなふうに考えて、それじゃ結局は力に溺れたテロリストの少年たちと変わりないと気づき、胸が苦しくなる。


 結局のところ、なるようにしかならないのだろう。

 互いにできることを精一杯やった結果が今の自分たちだ。

 それでも、何か一つが違えば、別の未来もあったのかも知れない。


 ああ、頭が痛い。

 考えがまとまらない。

 熱もあるかも知れない。


 堂々巡りの思考の中、いつしかナータは眠りに落ちていった。




   ※


 ナータの観察を終えた後、ベラは北部兵舎に戻った。


 彼女の足が遺体安置室の前で止まる。

 そこには今回の事件の犠牲者たちが眠っている。


 首謀者のレガンテと、少年たちのリーダーであるフォルテという少年。

 その他に、彼らが道場と呼んだ施設に放置されていた、三人の少女たち。


 少女たちの遺体には拷問を受けたような痕があった。

 その他には、フィリア市を囲むエヴィルの群れとの戦いで殉職した輝士が数名。

 都市ひとつを揺るがすほどの事件にしては、死者数は奇跡的なほど少なかったと言えるだろう。


 とはいえ、決して喜べるような結果ではないが。


「……馬鹿が」


 ベラはかつての片腕であり、友人とも思っていた金髪の輝士に小さく悪態を吐いた。

 悪魔に魅せられ、権力欲に取り憑かれた末の暴走なんて。

 誰よりも頼れる男だと信じていたのに。

 あまりに残念でならない。


「あまり責めてやるなよ。そいつも犠牲書の一人なんだからな」


 ドアを睨みつけていたベラに、背後から声をかける人物がいた。


 振り向くと、奇妙な男が立っていた。

 豪奢な鎧を身につけた姿は、彼が位の高い輝士……

 あるいは、それらを束ねる武官の地位にあることを示している。


 だが、鎧以上に目を引くのは、その顔であった。

 顔全体を覆うような真っ白な仮面を被り、その表情を伺い知ることはできない。


「ええ、承知しております。悪しきは人身を惑わすケイオスなのですから」

「その通りだ。すべてのエヴィルを駆逐するまで、人類に安息の日は訪れない」


 理想を語るその言葉と裏腹に、仮面の男の声からはまるで感情が感じられない。


「準備は整った。これより俺も王宮へ向かう」

「はっ」


 慇懃に頭を下げるベラ。

 反応がなかったので、ゆっくり顔を上げる。

 男は仮面の奥の真っ暗な瞳で、ベラの顔をジッと見つめていた。


「あの、何か……」

「お前には苦労をかけるな」

「輝士の身なれば、苦労などとは些かも――」

「四ヶ月前、俺はお前から大切な人を引き剥がした」


 輝士として当然の態度で応えようとしたベラの言葉を遮り、仮面の男は言った。


「そして今回は学園の後輩を巻き込んだんだ。さぞや俺を恨んでいることだろう?」


 思わず拳に力がこもる。

 思うところがないと言えば嘘になる。

 しかし、ベラは決してそれを口にすることは許されない。


「いいえ。王女殿下の件に関しては、王兄殿下も苦渋の決断だったと理解しております」


 男が仮面の下で苦笑する。

 一切の感情のない、空恐ろしい笑い声で。


「わかってくれて助かる」

「一つお聞きしたいのですが、インヴェルナータの体は……」

「しばらくは反動があるだろうが、数日中には治まるだろう。後遺症も残らないはずだ」


 いくら人並み外れた行動力と目を見はるほどの運動神経を持つとはいえ、ただの女学生であるナータが輝攻戦士であるレガンテや、ケイオスの力を得たターニャとまともに戦えるわけがない。


 一般人であるナータが、あれほどの活躍ができた理由。

 それは彼が騙して与えた身体能力増強剤と、現代技術の粋を集めた神器にすら匹敵する武器のおかげだ。


「貴重な試作品だったが、娘の友人の安全を買えたと思えば安いものだろう」


 仮面の男は身を翻す。


「すぐに王都へ出発する。俺の輝動二輪を準備しろ」

「承知しました。アルジェンティオ殿下」

「くく、ビオンドのやつを早く似合わない王の重責から解いてやらねばな」


 自国の王を呼び捨てにし、彼は薄く笑った。

 彼は魔動乱以後、姿を消していた五英雄の一人。


 英雄王アルジェンティオが王都エテルノに帰還する。

 それはエヴィルとの最終決戦が遠くないという事実を示していた。

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