412 ▽鋼の勇気

 三人は中央兵舎を出た。

 レガンテが近くの衛兵を掴まえ声をかける。


「そこのお前。北部兵舎に連絡し、輝動二輪を二台出撃できる状態にさせておけ」

「え、あの、あなたは……?」

「明日からここの輝士長を兼任する、グローリア部隊所属のエレガンテだ。後ろの二人は直属の親衛隊である」

「はっ、ただいま!」


 レガンテが輝士証を見せると、衛兵は騎乗のまま敬礼した。

 彼は輝動二輪を走らせ、直ちに北部兵舎へ向かって行く。


「覚悟はいいな」


 レガンテが言う。

 フォルテは無言で頷いた。

 拳を痛いほどに握りしめながら。




   ※


 輝動二輪の操縦は初めてではない。

 もともと小型の機体は所有していた。

 近頃はレガンテの私物である大型にも乗せてもらっている。

 だが、これが初出撃ということもあって、フォルテは常になく緊張していた。


「先に行くぞ」


 レガンテはフォルテに声をかけると、一足早くアクセルを吹かして出発した。

 さすがに正式採用車であるRC900ロッソコリーニョの加速は半端じゃない。

 あっという間に北門を潜り、街の外へ行ってしまった。


「やっぱり、怖い?」


 後部座席に跨がるターニャが耳元で囁いた。

 彼女の両手はフォルテの腰に回されている。


「いや、そういうわけじゃ……」

「大丈夫だよ。私たちならやれる。あんなに訓練してきたんだから」


 ハンドルを握る手に力を込める。

 本音を言えば、恐怖も緊張もある。

 だが、それはターニャだって同じはずだ。

 男である自分が震えているわけにはいかない。

 彼女の言葉に力をもらったということにして、勇気を奮い立たせる。


「行くよ」


 呼びかけにターニャが頷いた気配を背中で感じ、フォルテは輝動二輪を発進させた。


「うっ……!」


 これが輝士団正式採用輝動二輪RC900ロッソコリーニョ

 さすがに市販のものとは、パワーも加速も段違いである。

 以前のフォルテならば、あっさりと振り落とされていただろう。

 だが今は、輝力で強化した腕力でもって、無理やり押さえ込むことができる。


 フィリア市の外に出るのは初めてだ。

 だが周りの景色を堪能している余裕はなかった。

 ハンドルの震えを抑えつつ、アクセルを思いっきりひねる。

 速度計は見なかった。


 ひたすら続く街道の直線。

 機体はますます加速を続ける。

 フォルテにとって初めての速度域。

 市内でこれほどのスピードを出すのは不可能だ。


「ターニャ、大丈夫!?」

「大丈夫!」


 心なしか、彼女の声は弾んでいるように聞こえた。

 スピードに浸っているうちに恐怖も消えて行く。

 代わって高揚感が全身を支配する。


 大丈夫。

 おれたちは無敵だ。

 フォルテの口元には、いつしか凄惨な笑みが浮かんでいた。


 が、突如として高ぶった気持ちに水が差された。


 空気が変わった。

 まるで溶けたバターの中に突っ込んだよう。

 ある地点を境に、纏わりつくような悪寒がフォルテを襲った。


 初めての感覚。

 それが一体何か……フォルテは正しく理解していた。


 エヴィルがいる。

 人類の敵と呼ばれる魔獣が。

 破滅と破壊を振りまく、醜悪な化け物が。


 本能的な恐怖が沸き上がってくる。

 決意したはずの心が挫けそうになる。


 加速を緩めることはできない。

 フェルテは恐怖を振り払うよう、絶叫しながらさらにアクセルを回した。


「うおおおおおおおっ!」


 だが、一度わき上がった恐怖は消えることがない。

 視界は開けているのに、暗闇の中を走っているような錯覚に陥ってしまう。


 先に進むほど悪寒は強くなっていく。

 気がつけば、肉眼で敵の集団を捉えられる距離まで来ていた。


 ここからではまだ、犬が数十匹ほど群れているようにしか見えない。

 近づくにつれ、それが犬と呼ぶには異常に大きいことがわかった。


 先行していたレガンテはすでに輝動二輪から降りている。

 長身のレガンテ、その頭よりも高い位置に犬の首があるのだ。


 魔犬キュオン。

 最も有名な獣型のエヴィルである。


 敵集団との距離はあっという間に縮まった。

 すでにエヴィルの顔すらハッキリと識別できるほど近づいている。

 その時になって初めて、フォルテは減速のタイミングを逃していたことに気づいた。


 このままでは、敵の真っ只中に突っ込んでしまう。


「やべーよターニャ、このままじゃ……」

「特別攻撃キーのレバーを引いて!」

「え?」


 言っている意味がわからない。

 そうしている間にも、フォルテたちは敵に近づいている。

 パニックに陥りそうになり、思わず叫び声を上げそうになった直前、脇から細い腕が延びた。


 ターニャが特別攻撃キーを引く。

 そのまま彼女は、フォルテの体を後ろに引っ張った。


 二人が機体から投げ出される。

 地面に落ちる瞬間、ターニャの風の輝術が二人を受け止めた。


「は、はっ?」


 先端をランス状に変させた輝動二輪が、淡い光の尾を引いて、エヴィルの群れに突進していく。

 それは数匹のキュオンを撥ね飛ばしながら、ひたすらに自走を続けていた。


「輝士用の大型輝動二輪には突進兵装がついてるんだよ。先に説明しておけばよかったね」

「あ、ああ。こっちこそ悪い」


 フォルテは特別攻撃キーの存在を知らなかったわけではない。

 雑誌についていたカタログを読んで知識はあった。

 パニック状態で失念していたのだ。


 ターニャが輝動二輪の雑誌を読んでいたとは思えない。

 今日のため、前もって勉強していたのだろう。

 やはり彼女は頼れるパートナーだ。


「早く立て。エヴィルは待ってくれないぞ」


 レガンテが二人に声をかけた。

 剣を構えて立つ彼の向こうには魔犬キュオンの群れ。

 輝動二輪の突撃兵装で多少は崩れたとは言え、ほとんどは無傷のままだ。


 見れば見るほどに恐ろしい姿である。

 三叉にわかれた爪は、まるでよく研がれた刃のよう。

 頬まで避けた真っ赤な口からは、上下二対の氷柱のような牙が覗いている。


 紫色の体毛に覆われた二メートルを超す体躯。

 その膂力は屈強な輝士でさえ容易く組伏してしまう。


 人が戦える相手ではない。

 根源的な恐怖が湧きあがってくる。

 フォルテの足はガクガクと震えていた。


「れ、レガンテさん。おれ、やっぱこんな――」


 瞬間。

 レガンテの肩越しに見えていたキュオンの頭が消失した。

 魔犬の首が斬り落とされたと気づいたのは、地面に落ちた獣の頭部と、いつの間にか輝攻戦士化したレガンテの握る剣に青黒い体液が付着しているのを見た後だった。


「大半は俺が一人でやってやる。お前たちは戦果を気にせず好きなようにやれ。そうだな……二人で五匹も倒せれば上出来だ」


 頭を失ったキュオンの体が消失する。

 赤色の宝石がその場にころりと転がった。

 あれが話に聞くエヴィルストーンというやつだろう。


「大丈夫、私たちもやれるよ」


 ターニャがそっとフォルテの手に触れる。

 温かい感触が伝わると同時に、彼女の掌が汗ばんでいるのがわかった。


 フォルテが振り返ると、緊張した様子の……

 けれど瞳の奥に強い意志を持った、ターニャの横顔がそこにあった。


 そうだ。

 この日のため、死ぬ気で特訓してきたんだ。

 おれたちだって、レガンテさんと同様に戦えるはずだ。

 学んできたことのすべてを出し切れば、エヴィルにだって負けるはずがない。


 いつまでも臆病者じゃいられない。

 ターニャはおれが守ってやらなきゃ。


 フォルテは怯えるのを止めた。

 再び、心地よい高揚感に満たされていく。

 恐怖に凍り付いた体がターニャという太陽のおかげで氷解していく。


 やれる。


「いくぞぉっ!」


 フォルテの周囲に微弱な輝粒子が舞う。

 この戦場で命を落とすかもしれないとは考えない。


 おれは鋼の戦士の力と技、そして勇気を手に入れた。

 しかも、ターニャが背中を守ってくれる。

 負けるわけがない。




   ※


「ば、ばかな……」


 フィリア市輝士団の現団長ジャッカは、目の前の光景が信じられなかった。


 たった三人の人間が、三〇を超えるキュオンを圧倒している。

 彼が五〇名の部下を伴って戦場にやってきた時には、すでに残っているエヴィルは五体未満であった。


「すごいですね、あれが輝攻戦士の戦いですか」


 素直に感心している部下の声が耳に触る。

 緊張感のない彼を思わず怒鳴りつけたくなった。


 グローリア部隊から異動してきた、レガンテとかいう男はまだいい。

 フィリア市は近くにエヴィルの巣窟もなく、輝士団には輝攻戦士のひとりもいない。


 戦力増強のため、中央から人員を受け入れるのは仕方ないだろう。

 しかし、輝攻戦士と言えど、輝士としての経験はこちらの方がずっと上だ。

 団長の地位を明け渡すのは癪だが、せいぜい上手く利用してやろう……そう思っていた。


 だが、他の二人はなんだ。

 直属の部下が居るとは聞いていた。

 しかし部下まで輝攻戦士だなんて聞いていないぞ。


 レガンテとともに戦う水色の髪の少年。

 彼は二メートルあるキュオンの巨体を軽々飛び越え剣を振った。

 すると魔犬の背中に亀裂が入り、なにかの冗談のようにあっさりと裂けた。


 少女の方はどうやら輝術師のようだ。

 前衛二人の陰に隠れつつ、王宮輝術師のような高威力の攻撃術を使う。


 彼らは確実に敵の数を減らしていった。

 気がつくと、すでに残りのキュオンは二匹。


「だ、団長、我々はどうすれば……?」


 別の部下が問いかけてくる。

 その声にジャッカはふと我に返った。

 こうやってボーッとしていても仕方ない。

 隊列を組むのに手間取り、新参者に功を奪われたとあっては、立つ瀬がない。


「よぉし皆の者、我に続け! レガンテ殿に加勢す――っ!?」


 輝動二輪のアクセルを捻って前進。

 直後、ジャッカは慌ててブレーキを引いた。


 前方の地面が凍りついている。

 まるで、彼らの行く手を阻んでいるように。


 こんな所を通ったら、間違いなくスリップしてしまう。

 後続の機体を巻き込めば大惨事にもなりかねない。


 一体どういうことだ?

 いくら初冬とはいえ、自然に氷が張るような気温ではないのに。


「……まさか」


 ジャッカは輝術師の少女が、こちらにちらりと視線を向けるのを見た。

 その、あまりに冷たい表情に鳥肌が立つ。


 ――邪魔するな。

 そう言われたような気がした。


 なんだ、今のは。

 恐怖したのか、この俺が。

 ばかな、相手はあんな少女だぞ。


「とどめーっ!」


 最後のキュオンが、水色の少年によって両断される。

 ジャッカたち正規の輝士団は、呆然とその光景を見ていることしかできなかった。


「ジャッカ団長、ジャッカ団長っ!」


 部下の声が耳に届いたのは、その後に三回ほど名前を呼ばれた後だった。

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