393 ▽蒸し暑い夜の出会い

 気がつけば、ターニャはベッドの上にいた。


 ゆっくりと瞳を開く。

 見知らぬ古ぼけた天井が見える。


 ここは……どこだろう?

 ターニャが疑問を口にしようとした時。


「お目覚めかい?」


 誰かの声がして、ターニャはぎくりとした。


 声の方向を振り向く。

 知らない女の人がこちらを見ていた。

 長い赤色の髪の、化粧っけの多い女性だった。


「あの、ここはどこで……いっ」

「まだ動かない方がいいよ。傷が痛むだろう」


 言われたとおり、背中にズキリと鈍い痛みが走った。

 ターニャは自分がなぜ眠っていたのかを思い出す。


 夜の公園でフォルテと一緒に輝動二輪の練習をしていた。

 そしたら、街の不良に絡まれてしまったのだ。

 抵抗したけれど、殴られて気を失った。


 あの不良の仲間?

 いや、そうじゃない。

 背中にひんやりとした感触。

 湿布かなにかが張ってあるようだ。


「ここはアタシの彼氏の家さ。心配しないでも、取って食ったりしないよ」


 いつのまにかターニャは自分のではないパジャマを着ている。

 どうやら彼女が怪我の治療をしてくれたようだ。

 少なくとも、悪い人じゃない。


「そうだ、フォルテ君は!?」


 ホッとすると同時に、真っ先に心配すべきことを思い出した。

 不良たちからターニャを庇おうとしていたフォルテ。

 自分の体より、彼のことが気になった。


「落ち着きなって。アンタの彼氏も隣の部屋で手当をさせてるから」


 隣の部屋にはもう一人別の誰かいるんだろうか?

 というか、この人は一体何者なんだろう。

 不良の仲間ではないようだけど……


「お、そっちも気づいたか」


 隣の部屋のドアが開いた。

 そこから顔を覗かせたのは金髪の男性だった。


 声に聞き覚えがある。

 そうだ……思い出した。

 不良たちに殴られ、意識を失う直前に聞いた声だ。


「こら、ノックもせずに入ってくるんじゃないよ。着替え中だったらどうするんだ」

「失礼した。だが、こちらの彼が気になって仕方ない様子なので――」

「フォルテ君!?」


 ターニャは反射的に飛び起きた。

 金髪の青年の脇をすり抜け、隣の部屋に入る。

 ベッドの上に、あちこちを包帯で巻かれた、悲痛な姿のフォルテが座っていた。


「カスターニャさん。よかった、無事で――」

「ごめんなさい!」


 ターニャはフォルテに抱きついた。


「か、カスターニャさん……?」

「ごめんなさい、私のせいでこんなに傷ついて、ごめんなさいっ」

「あ、あの。おれは大丈夫だから……それより、その、胸」


 言われてターニャははっとした。

 包帯越しとはいえ、上半身裸の彼に抱きついてしまった。

 迂闊な我が身を振り返り、途端に恥ずかしさが込み上げてくる。


「ご、ごめんなさい。私ってば、痛かったですか?」

「ううん、痛くはないよ。むしろ…………いや、身を呈した甲斐があったよ」


 ちょっと恥ずかしそうに笑うフォルテ。

 変わらない笑顔を見て、ターニャは心から安堵した。

 しかし、なぜかフォルテの表情はどんどん暗く沈んでいく。


「ごめんな……おれがもうちょっと強ければ、危ない目にあわせないで済んだのに」

「えっ」


 なぜフォルテが謝るのか、ターニャにはわからない。


 だって、悪いのは私の方なのに。

 あなたはこんな怪我をしてまで、私を守ろうとしてくれたのに。


「おれがもっとしっかりしてれば、ジルみたいに強ければ、怪我なんてさせなかったのに……」


 フォルテは膝の上で拳を握りしめる。

 その手がわなわなと震えていた。


「運よく人が通りかかったからよかったけど、そうじゃなければ、今ごろきみは……ちくしょう、弱い自分が情けないっ!」


 不良たちに手も足も出なかった。

 そのことを彼はひどく悔やんでいるようだ。

 彼は体以上に、心に深い傷を負ってしまったらしい。


 それはきっと、包帯や薬草じゃ癒せない痛み。

 ターニャにはわからない、男の子の痛み。


「私は、大丈夫ですよ……」


 それに比べれば、自分の痛みくらいなんでもない。


「弱いのが悔しいのなら、強くなればいいのさ」


 二人は同時に振り返った。

 その声はさっきの金髪の青年のものだった。

 厳しい言葉と裏腹に、彼は優しそうな笑みを浮かべている。


「あの、貴方は……?」

「この人がおれたちを助けてくれたんだよ。王都から来た輝士なんだって」


 ターニャの質問にフォルテが答える。


「輝士……!」


 ターニャは表情を固くした。

 ケンカや飲酒行為が輝士にバレてしまった。

 学校に連絡が行けば、自分たちは停学か、あるいは……


「と言っても、今は非番中だ。夜遊びをしていた若者たちを補導する気はないよ」


 輝士の青年は両手を軽く挙げて見せた。

 その言葉を完全に信用するわけにはいかないだろう。

 けど、彼がこちらを安心させようとしているのは確かなようだ。


「あの……ひとつ聞きたいことがあるんですけど」

「なんだい?」


 フォルテが恐る恐る金髪の輝士に尋ねる。


「強くなるために必要なものって、一体なんですか? 何かの才能とか、これが必要だっていうものがあれば、おれに教えてください!」

「フォルテ君……」


 必死の様子で問いかけるフォルテ。

 輝士の青年はそんな彼を諭すように答える。


「あきらめないことかな。それと、変化を受け入れる勇気」


 ターニャには彼が適当なことを言ってるように聞こえた。

 あまりに綺麗事すぎて、なんの具体性もない。


 しかしフォルテはその言葉をマジメに受け取ったようだ。


「はは、どっちもおれにはないものだな……」

「そんなこと――」

「そんなことはないさ」


 自嘲するフォルテを、ターニャより早く輝士がフォローをする。


「君はその娘を守るため、勝ち目の薄い敵に立ち向かった。その勇気があれば何にだってなれる」

「でも、おれこんなに貧弱だし。むかしは格闘技も習ってたけど、根性がなくて途中で辞めたんだ」

「その時の君には明確な目標がなかったからだろう。体格も才能も関係はないさ。変わりたい、強くなりたいと願えば、今からだって強くなれる」


 フォルテは無言でうつむいた。

 彼が今の言葉を聞いて何を思ったのか、ターニャにはわからない。

 ただ、話しかけてはいけない雰囲気だけは理解できたので、黙って彼の横顔を眺めていた。


「おまたせ。寒かったでしょう」


 先ほどの女性がトレイに乗せた四人分のカップを持ってきた。

 温かい紅茶の香りが部屋中に漂う。

 ターニャは二つを手に取り、片方をフォルテに差し出した。


「はい」

「ありがとう」


 フォルテはカップを受け取り、そっと紅茶に口をつけた。

 ターニャはそんな彼の横顔を黙って眺めていた。




   ※


「気をつけてな」

「風邪をひくんじゃないよ」

「助けていただいて、本当にありがとうございました」


 ターニャは金髪輝士と彼女さんに深く頭を下げた。

 輝士の家は不良たちにからまれた公園のすぐ裏手にあった。

 偶然助けに入ったなんて都合が良すぎると思っていたが、騒げば聞こえて当然の距離だったというわけだ。


「あのっ」


 ずっと俯いていたフォルテが顔をあげた。

 その瞳は金髪輝士の目をまっすぐに見ている。


「おれ、強くなります。今日みたいに、情けない気持ちにならないよう、きっと」

「ああ、がんばれよ。少年」


 輝士はフォルテに手を差し伸べた。

 フォルテは嬉しそうにその手を握り返した。


「ありがとうございました!」


 二人の手が離れる。

 フォルテはスッキリした顔で深々と頭を下げた。


「おまたせ、行こう」

「あ、はい」


 そんなフォルテを見ていると、ターニャも嬉しくなる。

 単純だけど、一途でまっすぐな男の子。

 私が好きになった男の子。


「あの、よければ名前を教えてもらえますか」


 よっぽどこの輝士のことを気に入ったのだろう。

 フォルテは声を弾ませて彼の名を尋ねた。


「レガンテだ。機会があったらまた会おう」


 金髪輝士は優しい声でそう名乗った。

 フォルテとターニャはもう一度お礼を言い、小型輝動二輪に跨がった。


 キーをひねり、アクセルを回す。

 二人を乗せた輝動二輪が闇を切り裂いていく。


 生暖かい風が肌にまとわりつく、蒸し暑い夜の出会いだった。

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