392 ▽不良

「大丈夫っ!?」


 フォルテが慌てて駆け寄ってくる。

 ターニャは乱れた息を整え、激しく高鳴る胸に手を当てて、


「ごめん、怪我はなかった? 力をかけ過ぎないでって言うの忘れて――」

「ふ、ふふっ」


 口元を押さえた。


「か、カスターニャさん?」

「ふふふっ、あははっ」


 思わず笑いがこみあげてくる。


 風を切った。

 空想なんかじゃない。

 たしかに、私は飛んでいた。


 楽しい。

 こんな感覚が、現実で味わえるなんて。


「ねえ。今の私、上手じゃなかったですか?」

「え」

「ブレーキですよ。言われたとおり、ゆっくり止まれましたよ」

「あ、ああ。うん。上手だったよ」


 できるんだ。

 ちょっとの勇気を出せば。

 無理だって決めつけていたことも。

 想像の中でしかできないと思っていたことも。


「今度は発進もうまくやりますよ。もっと上手に乗りこなしてみせます。だから、もっと教えてください。もっともっと練習しますから」


 フォルテはしばしきょとんとしていたが、やがて彼も頬を緩め、笑い始めた。


「あはは……カスターニャさんって、意外と」

「おてんばですよ。ジルの友だちですからね」


 今度は、ちゃんと向き合って言えた。


 空想じゃなくても飛べるんだ。

 もう、アルコールは必要ない。




   ※


「よっ、と」


 その後も何度か練習を繰り返した。

 ターニャはすでに、危なげなく発進停止ができるようになっていた。


「すげー、もう完璧だね」

「まっすぐ進んで止まるだけですけどね」

「おれなんかそこまでに三回はコケたよ」

「フォルテ君の教え方が上手いからだよ」

「カスターニャさんの呑み込みが早いんだよ」


 フォルテとの会話に、さっきまでのぎこちなさはなかった。

 夜中に男の子と公園で輝動二輪の練習なんて、まるで不良みたい。

 こんなことでも、お嬢様育ちのターニャにとってはたまらなく楽しかった。


「次は曲がる練習だね。カーブできるようになれば、街中を走ることもできるから」

「ちょっと怖いな。しっかり見ててね?」

「もちろん。ここまで面倒みたからには、最後まで――」

「おやぁ? こんな時間にガキどもが戯れてんぞ」


 突然の見知らぬ声。

 ターニャとフォルテは公園入口の方を見た。


「おっ、小型輝動二輪じゃんか」

「本当だ。しかも最新モデルだぜ」


 ガラの悪そうな男が三人。

 酒を飲んでいるのか、顔は真っ赤だ。


「夜中に逢引かぁ?」

「近頃のガキぁ教育がなってねぇな」

「素行不良の罰として、女と輝動二輪は没収だな」


 いやらしい目つき。

 男たちが近づいてくる。

 フォルテの友だち……というわけではなさそうである。


 いわゆる地元のチンピラだろう。

 そう言えば、最近この辺りで深夜に遊びまわっている連中がいると……

 物騒だから暗くなってから出歩かないようにと、学校で注意を受けていたのを思い出した。


 彼らは何をするつもりなんだろう。

 女と輝動二輪は没収?

 女って誰のこと?


 ターニャはパニックになった。

 チンピラに絡まれる経験など生まれて初めてである。


「どうしよう、どうしよう……!」


 そんなターニャを庇うように、フォルテが前に出た。


「おやぁ? どうしたんだい、ボクぅ?」

「彼女に手を出すな」


 とくん。

 自分を守る言葉と声。

 不謹慎ではあるが、胸が高鳴った。


「カスターニャさん」

 

 フォルテが背中越しに囁く。


「あいつら、この辺りで有名な不良なんだ。しかも、酔っ払ってるから、何をされるかわからない。おれが合図したら輝動二輪で逃げ――」

「あぶないっ!」


 ターニャが叫ぶより早く、酔っ払いの拳がフォルテの横っつらを殴りつけた。


「輝士きどりか? ガキのくせにナマイキなんだよ」


 信じられない。

 どうして殴るの?

 フォルテ君が何をしたって言うの!?


「なろっ……!」


 フォルテはすぐさま起き上がり、男の横っ顔を殴り返した。


「てめえ!」


 しかし男は倒れない。

 少しよろけたが、すぐに体制を立て直す。

 間髪入れずにフォルテは相手の股間を蹴り上げた。


「うごっ」


 さすがに男は悶絶する。


「いまだ、カスターニャさん、逃げろっ!」

「この、ガキっ!」


 仲間をやられ、気色ばんだ残り二人の男。

 彼らは一斉にフォルテに襲い掛かった。

 殴り合いが始まった。


 二対一。

 しかも小柄なフォルテに比べて、男たちは体格もガッシリしている。


「つぅ……よくもやってくれたなぁ、クソガキがっ!」


 やがて、股間を蹴られて蹲っていた男も起き上がり、ケンカに参加しはじめた。


 フォルテは幼少のころから道場に通って格闘技を習っていた。

 だが、体格にも才能に恵まれなかったため、中途半端に投げ出している。

 ケンカ慣れした男三人に囲まれて、勝てる道理はなかった。


「あ、あ……」

「なにやってんだ、早く逃げろっ!」


 それでも、フォルテは必死に抵抗を続けていた。

 誰か一人が彼から離れようとすると、落ちている石をぶつけ、ターニャに注意が向かないようにする。


 ターニャは頭では冷静な判断を下していた。

 自分を逃がすため、フォルテは負けを覚悟で戦っている。

 このまま留まっていたら、そんな彼の努力はすべて無駄になってしまう。


 小型輝動二輪は公園の出口を向いている。

 アクセルを捻るだけで簡単に逃げることができる。


 助かるためにそう行動するのは、一番簡単で合理的だ。


 でも、そしたらフォルテは?


 彼が酷い目に遭っているのは、ターニャのせいだ。

 無理を言って、夜中まで付き合わせたから。

 見捨てて逃げるなんてこと……

 できるわけがない。


 ターニャは輝動二輪に跨った。

 大きく息を吸ってアクセルを捻る。

 そして、見よう見まねで機体を傾けた。


「ええいっ!」


 方向転換に成功。

 そのまま、男たちめがけて突っ込んでいく。


「う、うおおっ!?」


 男たちがターニャの接近に気づいた時にはすでに遅い。

 輝動二輪に乗ったまま、彼らの一人に体当たりを食らわせる。

 鈍い衝撃。

 ターニャは男を撥ね飛ばした。


「か、カスターニャさんっ!?」

「だめだよ! フォルテ君も一緒に逃げるの!」


 もちろん恐怖はある。

 とんでもないことをしている自覚もある。

 けれど、ボロボロのフォルテを見捨てて逃げ出すなんて、絶対に無理。


「このアマっ!」

「きゃっ」


 男の一人がターニャの服を掴んだ。

 圧倒的な力に、為す術もなく輝動二輪から引きずり下ろされる。


「やめろっ、彼女に手を出すな!」

「うるせえっ!」

「ぎゃっ!?」


 別の男が、止めようとしたフォルテの脇腹を蹴りつけた。

 短い悲鳴を上げて彼は地面に倒れてしまう。


「フォルテ君っ」

「いい加減にしやがれ!」


 彼の所に駆け寄ろうとした、その時。


「あぐっ……!?」


 背中に今まで経験したことのない衝撃が走った。


 殴られた……?

 わからない、何もわからない。

 あまりの痛みに、意識が、遠のいていく。


「こうなったらもう関係ねえ! この女、この場でやっちま――」

「そこで何をしている!?」


 薄れ行く意識の中、ターニャは彼らとは違う男性の声を聞いた。

 最後に目に映ったのは、悲痛な表情でこちらに手を伸ばす、フォルテの姿だった。

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