391 ▽深夜の輝動二輪練習
どうしよう。
せっかく付き合ってくれたのに。
きっと、つまらない女と思われているに違いない。
なにか……なんでもいいから、話題をふらなきゃ。
「あの、フォルテ君は……」
勇気を出して声に出してみる。
「うん?」
「えっと……」
けれど、彼の顔を見ると、言葉が続かない。
なんて情けないんだろう。
「カスターニャさんも、南フィリア学園だっけ?」
「え、あ、はい」
ターニャがふがいない自分に落ち込んでいると、彼の方から話しかけてきてくれた。
「いいなぁ。俺も高等学校って行ってみたかったよ」
「中等学校とたいして変わりませんよ」
「それがいいんだよ。おれなんか、毎日くたくたになるまで働きっぱなしだし。気楽に遊んでられた頃が懐かしいよ」
フィリア市の高等学校進学率は、およそ三〇パーセントである。
フォルテもその例に漏れず、中等学校卒業と同時に働き始めていた。
「でも、フォルテ君は中等学校の時からずっと変わってないように見えますよ」
「そう?」
「はい。きっと職場でも、変わらずに楽しくやってるんでしょうね」
「楽しく、か……」
ふと、フォルテの横顔に影がさした。
「どうなんだろうな。大工ったって、最初の数年は雑用ばっかりだし。いざ建物が完成しても、ほとんど何もやった気がしないから、特別な感慨もないし」
社会に出るというのは、そういうことなんだろう。
高等学校に進学したターニャは彼とは少し違うが、基本的には同じことだ。
市民の生活の向上と安全のため。
この街を構成する一部になるということ。
大人になれば誰だってそうなる。
わかりきったことだが、ターニャは少し戸惑った。
あの無邪気だったフォルテが、こんな表情を見せるなんて。
「あ、あの」
慌てて取り繕おうとする。
けれど、言葉は何も出てこない。
なんだかんだ言って自分は気ままな学生である。
実際に働いている彼の苦労を本当には理解できないだろう。
ところが、フォルテはすぐに笑顔を取り戻す。
「まあ、楽しいっちゃ楽しいかな。休みはきちんともらえてるし、仲間もいるしな」
「今日はお休みだったんですか?」
「うん。今日はスタジオライブがあって」
「スタジオ……ライブ?」
「趣味で音楽をやってるんだ。さっきいたもう一人のやつがギターで、おれがボーカル」
「へぇ、すごいですね」
「いやいや、始めたばっかりでみんな下手だし。まだ遊び半分だよ」
「いつかはプロデビューですか?」
「あくまで趣味の範囲。仕事をおろそかにはできないしね」
いつのまにか、自然に話せている自分に気付いた。
なんだ、私もやればできるじゃない。
あのルーチェが、男の子を追ってフィリア市を出た。
その話を聞いた時は、驚き半分に、うらやましさが半分だった。
もし自分に同じようなチャンスが巡ってきても、活かすことはできないだろうから。
そんなことはない。
自分だって女の子なんだから。
本当の私を知られなければ、きっと上手くやっていける。
そう安心した次の瞬間、思いもよらない不意打ちを食らった。
「カスターニャさんは、小説とか書いてるんだっけ」
「ぶっ!」
ボディーブローを食らったような衝撃だった。
ジュースを吹き出し、みっともない姿を晒してしまう。
ターニャは口元をハンカチで拭いながら、
「……なんで知ってるんですか」
と、消え入りそうな声で尋ねた。
「ジルが前に言ってたよ。なんか、すごい難しい話を書いてるんだって?」
「まあ、いろいろです」
そういうことか。
ターニャは少し安心した。
以前、うっかりとジルに小説を書いているのがバレた時のことだ。
見せてくれとしつこくせがむので、わざと難解な文体と複雑な言い回し、荒唐無稽なストーリーで即興の作品を書いて読ませたことがある。
「なんか、すごいんだな……」
それしか感想を言えなかったジルは、それ以来ターニャが書いた小説を読みたいとは言ってこない。
大丈夫。
本当の趣味を一端でも知っている人間は多くない。
ルーチェと、ひまわりの一部の先輩だけ。
しかもソフトなのしか見せていない。
学外の人間にバレるはずない。
「おれ小説とかあまり読まないけど、ああいうの書けるのって、ほんとすごいと思うよ。やっぱりすごく頭いいんだね」
「そ、そんなことないですよ。思いついたことをだらだらと書き並べてるだけですから」
まずい、この話題はまずい。
内容に関しては今のところ勘違いしてくれている。
だけど「こんど読ませてよ」なんて言われた日には約束の日を待たずして死ねる。
話題を変えなければ。
でも何を言えば良いだろう。
ただでさえいっぱいいっぱいなのに……
ターニャは助けを求めて辺りを見回した。
と、彼の小型輝動二輪が目に入る。
「あの輝動二輪……」
好きなんですか?
かなり高価ですよね?
なんていう名前なんですか?
質問はいくらでもあったはず。
だが、ターニャは別のことを言った。
あるいは内心の欲求だったのかもしれない。
「乗ってみても、いいですか?」
※
「ゆっくり、ゆっくり……すこーしずつ、開けていくような感じで」
「こ、こうですか……?」
「もうちょっとまわして大丈夫。あと少し、六角鉛筆を一面だけ転がすくらい」
「ええと……わわっ」
ターニャはアクセルをひねった。
すると、小型輝動二輪がゆっくりと前進を始める。
歩いた方が早いくらいの速度だが、手首のひねりだけで前に進む感覚はとても不思議だ。
次第に速さを増していく。
ターニャは怖くなった。
「と、止まるっ。とまりたいですっ」
「落ち着いて! ゆっくりとアクセルを戻して、ブレーキを引いて」
フォルテが隣を走りながら身振り手振りで説明する。
だが、半ばパニック状態のターニャに見る余裕はなかった。
「戻すって、どうやって戻すんですかっ」
「手を離せば自然に戻るから、落ち着いて」
「手を離したら倒れちゃいますよっ」
「そうじゃなくて、アクセルを戻すの! そしたらブレーキを引いて」
「ブレーキってどれですかっ、わわ、ぶつかりますっ」
「ハンドルの先のレバーがブレーキ! 左右の両方を同時に引いて!」
「同時に……うわっ!」
言われた通りに力いっぱい引いた。
車体が急停止し、後輪がふわりと浮いた。
危うく転倒するところだったが、フォルテに支えられ、事なきを得る。
「大丈夫?」
「な、なんとか大丈夫です……ありがとうございま――」
抱きかかえられている自分の格好に気づいて、ターニャは顔を赤くした。
目の前に彼の顔がある。
思わず視線を逸らしてしまう。
二重の意味で心臓が高鳴り続けている。
「ご、ごめんなさい。へたくそで」
「最初は誰だってうまくいかないもんだって」
だんだんと落ち着きを取り戻す。
取り乱していた自分が恥ずかしくなった。
実際に走った距離はほんのわずか。
ぶつかると思った公園の壁も五メートル以上先だ。
走っていた時のスピードだって、風を切るには程遠いゆっくりさだ。
「どうする、もうやめとく?」
「い、いえ。やります。やらせてください」
怖かった。
けど、初めての感覚に心躍った。
次はもっと、うまく運転してみたい。
無理して乗せてもらっているんだから、もうちょっとがんばりたい。
「おっけー。じゃあ、今度はゆっくり止まれるように練習してみようか。ちょっと貸して」
ターニャと入れ替えに小型輝動二輪に乗ったフォルテ。
彼は倒れそうなほど機体を傾け、簡単に方向転換をしてみせた。
ターニャに配慮してなのか、壁ではなく草むらの方に機首を向ける。
「どうぞ。危ないと思ったら、すぐにブレーキを引いてね」
「わかりました」
もう一度輝動二輪に跨る。
今度は少しだけ強めにアクセルを捻る。
「うわっ!」
いきなり猛スピードで走り出した!
体が強く後ろに引っ張られる。
今にも振り落とされそう。
「ブレーキ! アクセルから手を離して、でも慌てず数回に分けて!」
「あ、あわわわわっ!」
恐怖の中でもはっきり聞こえる彼の声。
ターニャはそれに従ってアクセルを戻した。
そして、少しずつブレーキに力を加えていった。
ゆっくり、ゆっくりと。
輝動二輪は速度を落とす。
やがて、動きを停止させた。
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