334 消えた黒幕

 ノイモーントさんは相変わらず、目を閉じたままベッドで横たわっていた。

 その姿を悲しそうな顔で眺めるヴォルモーントさん。


「母さん……」


 体中に繋がれていたチューブは既に外されている。

 ゴツゴツした巨大なニセモノの延命器具も撤去されていた。


 広々とした病室で眠るノイモーントさんは、『血塗れ』の二つ名からは想像もできないほどに、穏やかな寝顔をしていた。


「残念ですが、やはり治療は不可能です」


 産業奨励派議員とグルになっていた専属医師たちは逮捕された。

 代わりにラインさんがノイモーントさんの容態を確認する。

 けど、やっぱり手の施しようはないらしい。


「生命維持だけなら投薬で可能ですけど、意識が回復する見込みは――」

「わかった。もういい」


 目を伏せたままヴォルモーントさんが呟く。

 ラインさんは口を閉じた。


「悪いけど、アナタたちも……」


 呪法で朽ちかけた命の灯を呼び戻すことは誰にもできない。

 彼女のためにできることはなにもない。

 私たちは黙って病室を出た。


「ねえ、カーディ」

「なに」


 病室を出たところで、私はカーディに気になっていたことを尋ねてみた。


「カーディは、気付いてた? 中庭の……」

「あのチビのこと? そりゃ、もちろん」


 私が言っているのは、さっきやっつけた小さなラルウァのこと。

 カーディは私よりずっと鋭くエヴィルの輝力を感じられる。

 だから気付かなかったはずがないと思ったけど……


「なんで言わなかったの」

「凶暴性は消えてたし、放っておいても問題ないと思ったから」

「人を襲うことはなかったってこと?」

「操っていたケイオスが消えたからね。結界内だし、暴れる力も残ってなかったでしょ」


 最期に見せた、ラルウァのあの表情。

 それはどう見ても、恐怖に震える人間の子どもと変わりなかった。


「私、エヴィルが残ってたら人を襲うと思って、あぶないと思って……」


 殺した。

 抵抗する意思のなかった一つの命を。

 憂さ晴らしくらいのつもりで、わざと強力な術をつかって。


「それは間違いじゃないよ。凶暴性がないとはいえ、エヴィルはヒトにとって危険な存在だからね。まあ、ヒトの子どもに包丁を持たせて遊ばせるくらいには危ないかな」

「カーディはどう思うの?」

「どうって?」

「私が無意味にエヴィルを殺したの、不愉快だった?」


 私たちと一緒に戦ってくれる時、カーディはめったに手を貸してくれない。

 手伝ってくれるとしてもケイオスとの戦いの時だけ。


 これまではサボってるだけかと思ってた。

 けど本当は、エヴィルと戦うのが嫌だったからなんじゃ……


 私だったら、たとえ他人でも目の前で人が殺されるところを見たら、嫌な気持ちになる。


 エヴィルは人類の敵。

 私はずっとそう思っていた。

 だから、エヴィルを倒すことに……

 殺すことに、何の躊躇ももたなくなっていた。


 街中にエヴィルが溢れたときは、街の人たちを守るっていう理由があった。

 けど、ダサヨアッタの閉鎖空間では、完全に自分に力を試すためだけに闘っていた。

 あそこで殺した何百のエヴィルたちも、ケイオスさえ先に倒しちゃえば、殺す必要はなかったのかもしれない。


 こう戦った方がいいんじゃないかな。

 この方が多くのエヴィルを倒せるんじゃないかな。

 まるっきりゲーム感覚で、私はたくさんのエヴィルを殺した。


 戦っている間はぜんぜん気にならなかったのに。

 今になってこみ上げてくる気持ちは……

 たぶん、罪悪感。


 エヴィルたちがケイオスの意思で統率されてるだけだとしたら。

 ある意味、彼らにとっても望まない戦いだったのかもしれない。

 それを――


「別になんとも思わないよ」


 頭の中がごちゃごちゃになっていた私は、カーディの声が質問に対する答えだと、すぐには気付かなかった


「どうして?」

「ヒトはエヴィルってひと括りにするけど、人魔と妖魔はそもそも別物だ。言葉もしゃべれない下級のエヴィルに対して特別な感傷なんて持ってないよ。そもそもエヴィルに限らず自然界では力が全てだ。ヒトとエヴィルは敵対する存在だし、生存競争にいちいち余計な感情を挟む方がおかしいよ」

「そういうものなの?」

「そういうものなの。というか、普通のヒトはそんなこと考えないよ。エヴィルは人類の敵だって、どいつもこいつも当然のように思ってるし。ピンクはひょっとしたらわたしたちに近いのかもね」


 そういうことじゃないと思うけど……

 人とエヴィルじゃ、命に対する考えも違うかもしれない。


「ともかく、そんなことをいちいち気にかける必要はないよ。あいつだって放っておいたらヒトを殺したかも知れない。やらなきゃ誰かがやられていたかもしれないから守るために倒した。それでいいじゃない」

「……ありがとう」


 そう言ってもらえて、少しだけど気が楽になった。

 

 やっぱり私は間違っていない。

 ちょっと調子に乗っていたところはあるかもだけど……

 人間の私が、人間を守るために人間の敵をやっつけるのが、間違っているはずないよね?


 けど。

 無理やり戦わされたエヴィルたち。

 あいつらもある意味では被害者だとしたら。

 やっぱり許せないのは、こんな事件を起こした黒幕だ。


「話は変わるけど、どうしてなんとか派議員の人たちはケイオスと手を組んだんだろうね?」

「労働力を確保して街を活性化させて、自分たちが甘い蜜を吸うためでしょ」

「それはわかってるんだけど」


 多くの人たちを街の中に閉じ込め、最強の輝攻戦士を自分たちの利益のために利用する。

 まもなくウォスゲートが開いて世界そのものが大変なことになるかもしれないのに。

 足を引っ張るようなことができる人の気持ちが、私にはよくわからなかった。


「自分の利益のためには他人なんかどうだっていいんだってやつはいくらでもいるよ。アイツラは極端な例だけど、多かれ少なかれヒトなんてそんなのばっかりだよ」

「…………」


 カーディが指摘するのは人間の醜い心。

 やっぱり、何が正しいのかわからなくなってくる。


「けど今回に限って言えば、一概にヒトが悪いとも言えないよ」

「どういうこと?」


 そういえば、ダサヨアッタは一体何をしようとしていたんだろう。

 なんとか派の議員たちを口封じして逃げた同志とかいうやつの存在も気になる。


 合計五体のケイオスと、千を超えるエヴィルを使って、一つの輝工都市アジールを裏で操ってまでやりたかったこと。


 それは――


「ケイオスの目的は赤髪の足止めだ」

「足止め?」

「ウォスゲートが開く前にヒトが大規模な反抗作戦を行うつもりなのはケイオスもすでに知っている。だけどその盟主である新代エインシャント神国を落とすのは容易じゃない」

「世界一の輝術大国だもんね」

「中でも大賢者グレイロード、そしてシュタール帝国の赤髪がやつらにとっては最も厄介なはずだ」


 グレイロード先生とヴォルモーントさん。

 この二人がケイオスに負けるところなんて想像もつかない。


 まさに人類のツートップ。

 最高の輝術師と最強の輝攻戦士。


「いまの残存ケイオスに、この二人を倒せるようなやつは存在しない。だからせめて足止めをして、二人が共闘することを阻止しようとしたんだろう」


 なるほど。

 新代エインシャントに戦力が集まれば、来る決戦の日にケイオス側の旗色は悪くなる。

 そうならないため、ケイオスはヴォルモーントさんをこの街で足止めしてたのか。


 それほどに、ヴォルモーントさんはエヴィルにとって恐ろしい存在らしい。

 合計で二〇〇〇近くのエヴィルを倒した後、ダサヨアッタをザコ同然に倒した今日の戦いぶりからも、それはよくわかる。


 ケイオスもいろいろと考えてるんだなあ。


「で、その作戦を考えてたケイオスが、予定を変更してまでこの街から去った理由は?」

「たぶん、わたしたちがやって来たからじゃないかな。ノイモーント治療の嘘がバレるのは時間の問題だったし、これ以上の足止めは無理だと悟って別の作戦に移ったんだよ」

「今度はいったい何をやろうとしてるんだろう」

「そこまではわからないけど、近いうちになにかアクションを起こすだろうね」


 確信めいた口ぶりに、少しの違和感を覚えた。


「カーディは今回の首謀者の正体を知っているの?」

「絶対とは言い切れないけど、たぶんね」


 私は続きの言葉を待った。

 けれど、カーディは何も言わなかった。


 今回あまり表に出て来なかったカーディ。

 彼女は彼女なりに何かを探っていたのかも知れない。

 まあ、彼女が話したくないなら無理に聞き出すのは無理だろうな。


「どっちにしろ、あの様子じゃ赤髪は新代エインシャント神国に向かうことはなさそうだけどね」

「そうだね」


 決して完治することのないノイモーントさん。

 彼女がいるかぎり、ヴォルモーントさんはこの街から動かない。


 人類の平和のために死にかけの家族を放っておいて戦ってくださいなんて誰にも言えない。

 最強の輝攻戦士って言っても、私と二つしか変わらない年齢の女の人なんだから。

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