294 無敵の剣客

「ですが、あれは大きな失敗でした。こちらの大陸に来る途中、どうしてもガマンできずにやってしまったことは」

「な、何を……」

「もう一度あの感触を味わいたくて、衝動的に人を斬ってしまったのです。同じ船に乗っていた人たちを、片っ端からね。でも、あの隊長の妖術使いはとても強く、私は海に落とされてしまいました」

「そんな、だって姉ちゃんが船から落ちたのは、海のエヴィルがいきなり襲ってきたからって……」


 自分を納得させるようなダイの言葉は、消え入りそうに小さくなっていく。


「さすがに反省をしましてね。それで私は決めたのです。大五郎に会えるまでは、絶対に人を斬らないと。そう誓ってから二年間、私は殺人衝動を押さえつつ、あなたの行方を探してきました。数日前に山賊に襲われる時まではね」

「あ、それって……」


 ビッツさんたちが調べてくれた、この近隣の村を逆恨みしてるっていう盗賊団のことだ。


「いきなり集団で襲いかかられたものですから、勢いあまって一人を殺してしまいました。その瞬間、これまで耐えていたものが一気に吹き出してね。こちらから敵の本拠地に乗り込んで、皆殺しにして差し上げましたよ。でも、全然斬り足りなくて、たまたま立ち寄った村の人たちを殺しました。肉を裂く感触、逃げ惑う人々の恐怖、目の前で消えていく命! 最高に気持ちよかったわ! これまで我慢していたのがバカらしくなるくらい!」


 ……狂ってる。

 酷い目にあったからかもしれない。

 辛くてどうしようもなかったのかもしれない。


 けれどもう、彼女は村の大人たちと同じ。

 狂気に支配されて人間らしさを失った、ただの怪物だ。


「うわあああっ!」


 ダイがゼファーソードを拾い上げ、切っ先をナコさんに向けた。

 刃を喉元に突き付けられても、ナコさんは表情一つ変えずに微笑んでいる。


「どうしたのですか? 私はあなたを傷つけたりはしませんよ」

「ち、近寄るな!」

「こんなお姉ちゃんで幻滅しましたか? でも心配しないでくださいね。こんな風になっても私は大五郎だけは全力で守りますよ。もちろん、あなたの大切なるうてさんも一緒に」

「黙れ! オマエなんか姉ちゃんじゃない!」


 ダイの手の震えが剣にも伝わっている。

 ナコさんはそっと刃を手で退けると、数歩下がって抜き身の刀を一振りする。


「理解してもらえないなら仕方ありません。けれど、あなたがなんと思おうと、私はもう人を斬ることをやめられないのです。言うことを聞いてもらえないのなら、力づくで連れて行きますよ」


 向けられた絶望的な言葉にダイは歯を食いしばる。

 彼は腕の震えを必死に堪え、剣を構えて叫んだ。


「姉ちゃんが狂ってしまったなら、オレが姉ちゃんを斬る!」

「よろしい。なら、もう一度稽古をつけてあげましょう」


 二人が刃を向け合い対峙する。

 せっかく惨劇を生き延びて、再開できた姉弟なのに。

 どうしてこんな事になってしまったんだろう……




   ※


 ダイが跳んだ。

 輝攻戦士化した彼は疾風となる。

 その勢いのまま、ナコさんの懐に飛び込んだ。


「遅い」

「くっ……」


 ナコさんは体を僅かに後ろへ傾けた。

 それだけで、いとも簡単にダイの攻撃を避ける。


 ナコさんはガラ空きになったダイの胴にカタナを向けた。

 確実に斬られたと思ったけど、彼女は攻撃を当てる直前で武器を止める。


「ち、ちくしょう!」


 ダイは構わず剣を振る。

 至近距離からの大ぶりの一撃。

 それはナコさんの鼻先スレスレを掠めた。


 ナコさんがカタナを振る。

 当たる直前で止める。

 ダイがもう一度攻撃する。

 もう一度、もう一度、もう一度。


「そんな雑な動きでは、何度やっても当たりませんよ」


 ナコさんはダイの攻撃を全て、最小限の動きで避けていた。

 そのたびにダイは隙を晒し、ナコさんは振るったカタナを当てる直前で寸止めする。


 相手が本気なら、もうダイは何度も斬られてる。


 今のダイは確かに冷静さを欠いている。

 けれど、普段と比べて特別動きが鈍いわけでもない。

 流読みを使わなきゃ目で追いきれないくらいの速度もある。

 輝攻戦士の人間離れした攻撃を紙一重でかわし続ける、ナコさんが異常なだけだ。


「ちくしょう、ちくしょう……」


 それでもダイは剣を振る。

 何度やっても、彼の剣はナコさんに届かない。


「もう止めましょう」


 ダイの動きが止まる。

 首筋にナコさんのカタナが触れていた。

 いつ攻撃に転じたかもわからない神速の剣さばき。

 何度振っても届かないダイの剣とは、あまりに対照的な動きだった。


「ちくしょう!」


 ダイが叫んだ。

 首筋に当てられた刃を無視し、ゼファーソードを振り上げる。


「何をやっているのです、危ないではないですか!」


 ナコさんは驚いてカタナを引いた。

 彼女はあくまでもダイを斬るつもりはないらしい。


「うわああああっ!」

「……仕方ありませんね」


 叩きつけるようにゼファーソードを振り下ろすダイ。

 ナコさんは腰を沈めると、カタナを振り上げそれを迎え撃った。


 一閃。


 ナコさんのカタナが、ダイのゼファーソードと交わる。

 乾いた金属音が響く。

 折れた刃が宙に舞う。


「勝負あり、ですよ」


 折れたのはゼファーソードの方だった。

 武器を破壊されたダイは戦意を失い、地面に膝をつく。

 輝攻戦士モードはすでに解除されていた。

 彼の手から折れた剣が落ちる。


「ちくしょう……」

「ごめんなさいね、大五郎」


 ナコさんはカタナを地面に突き刺し、蹲っているダイに手を差し伸べた。


「姉ちゃん……」


 顔を上げたダイの頬には涙が伝っている。

 今にも折れてしまいそうな、弱気な表情だった。


「理解して欲しいとは言いません。だけど、どうか私のことを信じてください」


 ナコさんの表情はとても穏やかで、慈愛といたわりに満ちていた。

 心は歪んでしまったけれど、ダイを思う気持ちだけは変わっていない。

 だけど、それは――


 ぱあん。


「え……?」


 目の覚めるような破裂音が響いた。

 ダイに手を差し伸べていたナコさんが苦痛の表情を浮かべている。


 彼女は右肩から出血している。

 直後、私の張った空間スパディウムが破裂するように破れた。

 すでに土砂降りになっていた雨が勢いよく降り注いでくる。


「何者です!?」


 誰何の声に応える代わりに、雨に混じって無数の氷の矢が降り注いだ。

 ナコさんはそれを一つ残らず斬り裂き身を守る。

 直後、突風のように人が飛び込んでくる。


「ジュストくん!」


 彼の不意打ちをナコさんはギリギリでかわした。

 けれど腕を怪我しているせいか、反撃に移る余裕はない。

 ジュストくんはその隙に私を抱きかかえ、ナコさんから距離を取った。


「ルー、無事か!?」

「う、うん! え、あれ? どして!?」


 私はまだ輝力を渡してない。

 なのに、なぜか彼はすでに輝攻戦士化している。


「雨と空間スパディウムで周囲の気配を感じ難くなっていたのは思わぬ幸運だったな。どうやら輝力を込めないただの弾丸が一番効くようだ」

「観念してください。もう逃げ場はありません」


 続けて森の中から姿を現す、火槍を手にしたビッツさんとフレスさん。

 ジュストくんは私を地面に下ろすと、ナコさんに剣先を向けて言った。


「ナコ・キリサキ。多くの人々を殺めたあなたの罪、輝士の名にかけて決して許しはしない」

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