293 表も裏もなく……

 ナコさんは嬉しそうに口元を手で隠しながら一人で戻ってきた。

 今度は包みの上から何やら木の枝のようなものを取り出す。

 よく見るとそれは、本物の枝じゃなく作り物。

 装飾のように小さな花びらがついている。


「るうてさん、受け取ってくださいますか?」

「え、えっと」

「つまらないものですが、迷惑をかけたお詫びです。私が昔に使っていた髪留めなんですよ」

「えっと……」


 どうしよう。

 受け取っていいのかな。


「き、奇麗な花ですね」

「桜という、故郷の木の花を模したものなのです。春の短い間だけ咲くのですよ」


 ナコさんは髪留めを私の頭に近づける。

 斬られた記憶が蘇り、思わずビクッとする。

 けれど彼女は気にすることなく、丁寧に私の髪にサクラの髪留めをつけてくれた。


「まあ、とても似合っていますよ。るうてさんの奇麗な色の髪にぴったりです」

「そ、そうですか……」


 ナコさんは満足げにうんうんと頷いた。

 すると、着替え終わったダイがおずおずと戻ってくる。


「ね、姉ちゃん。着てみたよ」


 前で合せるタイプの、異国風の紺の上着。

 やたら裾の長いスカートのような灰色のズボン(?)。

 不思議な格好なんだけど、不思議とダイによく似合ってる。


「とても似合ってますよ、大五郎」

「そ、そう?」


 ダイもまんざらではない様子。

 きっとこの服装は、東国じゃ当たり前の格好なんだろう。


「あとはこれを腰に差して、と」

「えっ」


 ナコさんは自分がつけていたカタナを鞘ごと外す。

 それをダイの服の腰帯に差して、紐で結んで固定した。


「うんうん、どこから見ても一人前の武士ですね」

「だ、だめだよ、これは姉ちゃんの……村の大事な護神刀なんだから、オレみたいな未熟者が佩いちゃ……」

「良いのです。ダイの方が似合ってますし、そもそも村はもうないんですから」


 武器をダイに渡してしまったナコさんは、完全に丸腰の状態だ。

 ビッツさんの考えた「可能なら武器を奪う」っていう作戦は思いがけず達成されてしまった。


 さすがに素手じゃ輝術を切り裂くことはできないはず。

 捕らえるなら今……だけど。


「お姉ちゃんね、とても嬉しいんですよ。大五郎がひとりでも元気でいてくれたことが」


 こんなに嬉しそうに微笑む女性を攻撃するなんて……


「一人じゃないよ。みんながいたから、ここまで来れたんだ」


 ……ひょっとしたら、ナコさんが村の人たちを殺したっていうのは何かの間違いなんじゃ?

 私たちが攻撃されたのも、ダイが奪われてしまうかもしれないと思って、つい早とちりしちゃっただけなんじゃ?


 ……ううん、違う。

 だって私はこの目で見てる。

 ヴェーヌさんの部下の人が、ナコさんに殺された瞬間を。

 女将さんだって……


 じゃあ、いま目の前にいるこの優しそうな女の人は何?

 わけがわからず混乱していると、ふいに頬に冷たいものが当たった。


「あら?」


 雨が降ってきた。

 最初はポツポツと。

 次第に勢いが強くなる。

 本降りになるのも時間の問題だ。


「あらら、服が濡れてしまいますね。大五郎、こっちに」

「あ、待って」


 ナコさんがダイの手を引こうとするのを遮って、私は空間スパディウムの術を使った。

 半径数メートルの空間が外界から隔離され、小さなドーム状になって雨を遮断する。

 温度も一定に保たれ、室内にいるのと変わらない状態になる。


「っ!」


 その瞬間、矢で射抜かれたような強烈な殺気を向けられた。

 けれどそれも一瞬のことで、ナコさんは首を振って反省するような表情を浮かべた。


「いけませんね。これから一緒に暮らしていくのに、いつまでも毛嫌いしていては」

「え、えっと」

「妖術とはいえ、ちゃんと使えばこんなに便利なんですもの。るうてさんのことを悪く思うのは筋が違います」


 ヨウ術じゃなくて輝術なんだけど……

 前にダイが輝攻戦士になったときみたく、ぶたれなくてよかった。

 でもこうしていると、やっぱりナコさんが大勢の人を殺した殺人鬼だなんてとても思えない。


「なあ、姉ちゃん。本当に姉ちゃんがみんなを殺したの?」


 ダイが直球で問いかけ、私は思わず息を呑む。

 彼の瞳は真っすぐにナコさんを見ていた。

 間違いであって欲しいと願う、頼りない光を湛えて。


「……ええ」


 長い間をおいて、ナコさんは頷いた。


「私がやりました。この辺りに住む人たちを、たくさん殺しました」

「なんで? なんでそんなことしたの?」


 ダイの表情が絶望に歪む。

 かすかな希望は、本人の口からハッキリ否定されてしまった。


「差別されたから? 襲われたから? 姉ちゃんくらい強かったら、いくらでも一人で生きていけるじゃないか。なんで、殺す必要があったんだよ!」

「だってやめられないんだもの!」


 詰問するダイ以上の大声でナコさんは怒鳴り返す。


「なに、言ってるんだよ……」

「あなたは覚えていないでしょうが、村のみんながおかしくなったあの日、私は初めて人を斬りました」


 以前にダイが言っていた、村に起きた悲劇。

 それを語るナコさんの顔に浮かぶのは、怒りでも悲しみでもない。


「あなたを連れて逃げ込んだ高台の神社で、私はこの御神刀を見つけました」


 ナコさんはダイの隣に並び、彼の腰に差したカタナの柄を愛しそうに撫でる。


「これを手にして最初に殺したのは、病に冒され狂った私達の母様でした」


 陶酔したような笑顔で。


「あなたを守るために私は母様を斬りました。けれど、それで助かったわけではありません。おかしくなったのは村中の大人たちも同様なのですから。いつ誰が、隠れている私達を殺しに来るかわからない。だから私は考えました。私達が生き残るためには、一体何をするべきなのか」

「ま、まさか……」


 ダイの肩が震える。

 ナコさんは鮮烈な笑みを浮かべて答えた。


「そうよ、村の人たちを一人残らず殺したの!」


 美しい異国風美女の面影はそこには残っていなかった。

 狂った殺人者の絶叫が、暗闇の森の中に響く。


「父様も、村長も、剣術師範も、緒方さんも、千葉さんも、私の婚約者だった一郎さんも、みんなみんな、手当たり次第に殺したの! すべてはあなたと私が生き延びるためにね!」

「そんな……」


 ある日とつぜん、すべての人が狂ってしまった村。

 彼女は自分自身と、ただ一人残った弟を救うため、心を鬼にして知り合いの人たちを斬った。

 それがどれほどの絶望だったのか、私には想像もつかない。


「で、でも。姉ちゃんはオレを助けるために仕方なくやったんだろ? そうしなきゃ、オレも姉ちゃんも殺されてたから――」

「ええ、最初はそうでしたよ。けれどね、途中からたまらなく楽しくなってしまったの! 人を斬るのがね!」


 それはきっと、心さえも狂わせてしまうほどの。


「肉を断つときのあの感触。この手が命を刈り取っているという快感。あんなに気持ちいいなんて知らなかったわ。気がついたらやめられなくなって、みんなこの手で殺していたの。狂った大人たちだけじゃなく、正気を保って土蔵に隠れていた子供たちもね!」


 ナコさんがダイの腰に差さったカタナを抜いた。

 彼女が武器を手に取ることを止めることはできなかった。

 ギラリと光る銀色の刃が、闇の中に浮かぶ。


「なんだよそれ……おかしいよ、なに言ってるんだかわかんないよ」

「安心して、大五郎。私はあなただけは命に変えても守りますから。だって、たった一人残った、大切な大切な家族なんでですもの」


 狂気と慈愛。

 ナコさんの表情がコロコロと変化する。

 それはきっと、どっちも本当のナコさんの姿。

 惨劇を経て精神を壊してしまった、悲しい彼女の心を映すように。

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