288 なおった(治ったとは言っていない)

 気がつくと、私は暗闇の中に立っていた。


 ここはどこだろう。

 懐かしいような、恐ろしい記憶を呼び覚まされるような……

 そんな不思議な感覚のする場所だった。


 目の前に誰かがいる。

 暗くて顔はよく見えない。

 何も見えないのに、声だけが聞こえてくる。


「ルーちゃん」


 その綺麗な声は忘れるはずもない。

 私が小さい頃からの一番の友だちだ。

 声を認識した瞬間、暗闇の中に彼女の姿が浮かぶ。


 久しぶりだね、ナータ。元気だった?


 問いかける私の目の前で、ナータの足元の地面が崩れた。

 私は手を伸ばして彼女の腕を掴んだ。


「離して。このままじゃルーちゃんまで落ちちゃう」


 そんなわけにいかないよ。

 引っ張り上げるから、そっちの手も貸して。


「ダメ。これだけは捨てられないの」


 ナータの逆の手には、私が小さい頃にあげた人形が抱えられていた。

 それ、まだ大事にしてくれていたんだ。

 嬉しいけど、いまはそれよりもナータの方が大事。

 はやく両手で捕まってくれないと、もうすぐ私も支え切れないよ。


 なのに、彼女は断固として人形を離さない。

 別に離さないでもそっちの手を伸ばしてくれたらいいのに。


「ルー」


 反対側から別の声が聞こえた。

 そこには悲しげな表情のジュストくんがいた。

 よく見ると、彼の足元も今にも崩れそうだ。


 危ないから、早くこっちに来て。


「それはできない」


 よくわからないこと言ってないではやく。

 私はジュストくんを無理にでも引っ張ろうとした。

 そして、差し出すべき左腕がないことに気づく。


 ああ、そうか。

 斬られちゃったんだ。

 痛くはないけど、これからのことを考えると辛いなぁ。


 そうしている間にも、ジュストくんの足元はどんどん崩れていく。


「そいつとあたし、どっちをとるの?」


 振り向くと、ナータが冷たい目で私を見ていた。

 反対には諦めきったような表情のジュストくん。


 腕は一本。

 助けられるのは一人だけ。

 そんなの、選べるわけないよ!


 答の出せない思考を続ける。

 そのうちに、私の足元の床も崩壊を始めた。




   ※


「ひあっ!?」


 足場が崩れ落ちる感覚。

 とっさに何かを掴もうと手を伸ばす。

 けれど伸ばした手は何にも触れることはなく、体が落ちることもなかった。


 体に感覚が戻ってくる。

 自分がいる場所を手探りで確認する。


 背中にやわらかい感触があった。

 どうやらベッドの上で寝ていたみたい。


 あったかい毛布。

 私の部屋とは違う見慣れない天井。

 窓からは光が差し込んで、部屋の中を明るく照らしている。


 えっと……

 周りを見回して、すぐ傍に見知った顔を発見する。

 床に座ったジュストくんが、ベッドの上に顔を突っ伏して眠っていた。


 一瞬のうちに、これまでの記憶が駆け巡る。

 彼と出会ったこと。

 フィリア市を飛び出したこと。

 みんなと一緒に旅を続けていること。


 えっと……

 それで、何があったんだっけ?

 なんだかすごく嫌な夢を見ていた気がする。

 崩れる足場、暗闇、それから、恐ろしい敵と戦う夢。


「ん……」


 低い声で唸りながら、ジュストくんが目を覚ました。

 瞳が開いたと思った次の瞬間、彼はガバッと跳ね起きた。


「っ! ルー、気がついたのか!」

「わっ」


 び、びっくりした!

 急に大声を出さないで欲しいな!


「大丈夫か? もう痛くないか?」

「え、う、うん。別になんとも……」


 ない、と言いかけて、私は口を閉じた。

 眠りにつく前の記憶が甦る。


 暗闇の前に見ていた光景は、夢なんかじゃない。

 たくさんの人が殺された。

 それをやったのは、ダイがずっと探していたお姉さん。

 おかしくなった彼女と戦って――

 私は自分の左腕を確認した。


 ……ある。

 肘の少し先が包帯でぐるぐる巻きになってるけど、しっかりと腕がある。

 ぐっ、ぱー。

 ちゃんと手も動く。


 ど、どこまでが夢なの?

 戦ったのは本当?

 斬られたのは夢?


 ううん。

 私はしっかり覚えている。

 あの時の衝撃も……痛みも。


「あの、ジュストくん。私……」

「まだ動かない方がいいよ。すごい怪我だったんだからね」


 彼の手が私の肩に触れる。

 起きようとした私をベッドの中に戻す。

 なんだか恥ずかしいような、嬉しいような。


 こんこん。

 部屋のドアがノックされる。


「ジュストさん、起きてますか? ちょっと失礼しま――うわっ!」


 開いたドアの隙間からラインさんが入ってきた。

 彼は私と目が合うと、逃げるようにドアの影に引っ込んだ。


 な、なに何?

 その態度はなんなの?


「る、ルーチェさん、目が覚めたんですか?」

「はい、おかげさまで」


 私の代わりにジュストくんがそう言った。


「あ、後はボクが診ますよ。ジュストさんは休んでいてください」

「わかりました。お願いします」


 よく見ればジュストくんの左肩にも包帯が巻いてあった。

 薬草を塗って治療をしていたのか、濃い緑色に染まっている。

 そういえば彼も結構な怪我をしていたはず。

 なのに、私の傍にいてくれていたんだ。

 嬉しい半面、申し訳ない気持ち。


「あの……ありがとね」

「うん。よく寝て、早く元気になってね」


 そう言って部屋から出て行くジュストくん。

 彼と入れ違いに、ラインさんが部屋の中に入る。

 お盆を盾のように構えながら、恐る恐ると近づいてくる。


「あの、どうして怯えてるんですか」

「あ、いえ……」

「そりゃ、アレだけやられたら怖くもなるよね」


 隠した口元からラインさんとは違う幼い少女の声が聞こえた。


「あらカーディ。いつの間に戻ってたの?」

「ずいぶんな態度だね、命の恩人に向かってさ。こいつだって必死におまえを助けようとしたのに、酷い目にあわされて、かわいそうだよね」

「どういうこと?」

「ほら」


 ラインさん(というかたぶんカーディ)はお盆を置いて、左腕の袖をまくって見せた。

 袖の下には包帯が巻いてあった。

 それをするすると解くと、ひどい火傷の痕が見えてくる。


「ど、どうしたんですか?」

「おまえがやったんだよ」

「…………え?」

「ひどいよね。治療してあげようとしたのに」


 えっと、その火傷……

 わ、私がやったの?


「半狂乱で叫びながら、見境なしにあちこち燃やし始めてさ、どうしようもなかったんだから。とんでもない凶悪な一面を見せてもらったよね」

「私、そんなことしたの?」

「あ、う……」


 ラインさんは思いっきり眼を逸らした。

 い、いや、確かに前から怒ると見境なく暴れちゃう事はあったけど。

 まさか、無意識に仲間を傷つけるなんて……


「ご、ごめんなさい!」


 十分ありえるという結論に達しました。

 私はベッドの上に手をついて頭を下げた。


「い、いいんです。あれだけの怪我をしたなら、気が動転するのも当然ですから」

「でも、治療してくれようとした人を逆に傷つけるなんて……」

「元気になったようで何よりですよ」


 ラインさんはぎこちなく椅子に腰掛けた。


「本当に危ないところだったんですよ。カーディナルさんの適切な処置と輝力供給がなければ、元通りにはならなかったと思います」

「それじゃやっぱり、腕が斬られたのは夢じゃなかったんだ」

「ああ! まだ動かさないでください。一応くっつきましたけど、安静にしてなきゃダメです」


 ラインさんが慌てて私の左腕を押さえる。

 えっと、そんなに心配しないでも大丈夫ですよ?

 もう痛みもすっかりないし……


「切断された腕がくっついたのは奇跡みたいなものなんですよ。ボクの輝術医療知識とカーディナルさんの輝力を操る技術があって、初めて成功したんですから」

「そ、そうなんだ……けど、すごいですね。完全に治って、もうちっとも痛くないです」

「それは特殊な薬物で痛覚をマヒさせてるからです」

「はい?」

「本当は禁止されてるんですけど、暴れて大変でしたから、やむなく……」

「そんなものを持ち歩いてるメガネもおかしいけどね」


 私は試しに自分のほっぺたをつねってみた。


 痛くない。

 まったく全然痛くない

 つねられている感覚はある。

 なのに、痛みだけがすっぽりと抜け落ちている。

 やああ、気持ち悪い!


「何これ! 何これ!?」

「今のおまえは何があろうが痛みを感じないよ。内臓がはみ出ようが脳が飛び散ろうがね。といっても別に不死身になったわけじゃない。勘違いしてバラバラのぐちゃぐちゃになるんじゃないよ」


 人がショックを受けてるのに、カーディはさらに気分が悪くなるようなことを言う。


「後遺症もなく治ったのはルーチェさんの莫大な輝力あってこそですよ。普通の人だったら、治療の際の消耗だけで輝力欠乏症になってしまいます。もちろん、カーディさんが蓄えた輝力を吹き込んでくれたおかげでもありますけど」

「余計なこと言わなくていいよ。っていうか、なんでおまえまでわたしを略称で呼ぶようになった」

「え? だってかわいいじゃないですか」

「ころすよ」


 ラインさんとカーディが一つの体で争い始める。

 右腕で自分の頭を殴り、左腕で防御するという面白い姿を見せてくれる。


 そっか、カーディも私のためにがんばってくれたんだ。


「ありがとね。ラインさん、カーディ」

「いいえ。元気になったようでなによりです」

「ふん、おまえが死ぬと食料に困るから助けただけだよ」


 ラインさんはにこやかな笑顔と、照れたような顔を交互に浮かべた。

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