287 ▽挿話・発病

 薄暗い船内。

 少女は一歩一歩、踏みしめるように歩いていた。

 その手に持つ、細長い布袋に包まれたモノの感触を確かめながら。


 一度自室に戻った後、それを持ち出した少女は、人を探していた。

 狭い船内である、探し始めてすぐにヒトは見つかった。


 前方から歩いてくる人物。

 前髪を短く切り揃えた若い青年だ。

 長い船旅のためか、表情には疲れが見られる。


 少女より二周りほど背が高く、体格もがっしりしている。

 しかし、背を曲げて歩く姿はどこか弱々しい。


 青年はちらりとこちらに視線を向けた。

 しかし、すぐに逃げるようにそっぽを向いた。


 元より名前も知らない相手だ。

 しかも、自分は陰気臭いよそ者である。

 避けたからと言って、咎めようとも思わない。


 どうせすぐ、その必要もなくなるのだから。


 少女は自分を避けた青年の背中を見つめながら、手に持った布の袋の帯を解いた。

 昂ぶる感情を抑えきれず、くすっ、と笑みを漏らした。


 ハラリ。


 布が床に落ちる。

 青年が振り返った。

 訝しげな視線をこちらに向ける。

 その表情は、すぐに驚愕へと変わる。


「おっ、お前! 何を――」


 青年は最後まで言葉を発することができなかった。

 少女が奮った刀が、青年の首を吹き飛ばしたからだ。


 首から上を失った胴体から鮮血が噴出する。

 力を失った胴体はバランスを崩し、少女の方に倒れ込んできた。


 少女はそれを避けようともしない。

 飛び散る鮮血が全身に降り注いだ。


「あは、あははっ。あははははははっ!」


 全身を真っ赤な血に染め、少女は狂ったように哄笑を上げた。




   ※


「だっ、誰か――」


 男は助けを呼ぼうとした。

 しかし、それを果たすことはできなかった。

 口だけが開かれたまま、恐怖に染まった表情の首が胴から別れ、通路に転がる。


「どうした! 何があっ――」


 騒ぎを聞きつけて、船室から別の男が姿を現す。

 筋骨隆々な、いかにも武人らしい体格の戦士だ。


 少女はその姿を認めると、一瞬のうちに距離を詰めた。

 その手に握る凶刃は、やすやすと男の腹部に吸い込まれる。

 真っ赤な血飛沫が上がる。


「かっ……?」


 筋骨隆々の男は不思議そうに目を見開いた。

 自分になにが起こったのかもわかっていないようだ。


「ふふ……」


 鮮血に染まった少女が妖艶に微笑む。

 美しき少女を染める赤色が、自らの体から噴き出したものと気づいただろうか?


 男は意識を失ってうつぶせに倒れ込む。

 そのまま二度と目を覚ますことはなかった。




   ※


「お前、何を……はぐっ!」

「た、助け」

「ごぶあっ!」

「あははっ、あはははっ!」


 少女は船内を駆け回り、目に留まった人を片っ端から切り捨てていった。

 辺りには血の臭いが充満し、少女に心地いい安らぎを与える。


「何が起こっているんだ、エヴィルの夜襲か!?」

「違う、あいつだ! 大賢者様が調査中に拾った二人組の姉の方――あぐあっ!」


 また一人、少女の刀が命を奪う。


 あの夜と同じだ。

 あの惨劇の夜と同じ光景。

 それを今、自らが演出している。


 止まらない。

 押さえられない。

 少女の心はどうしようもなく渇望していた。


 血だ。

 血が欲しい。

 叫び声が聞きたい。

 人を斬る感触を味わいたい。


 あの感触を、もう一度この手に感じたい。

 あの夜以来、少女の心を支配し続けていた願いだ。

 そして今日、ついに抑えきれなくなった想いが爆発した。


 少女は狂ったように――

 いや、実際に狂っているのだろう。

 あの恐怖の中で見つけ出した快楽をもう一度得たい。

 それだけを望んで、少女は刃を振るった。


 村の者を襲ったのは病か?

 あるいは悪しき呪術か?


 少女にはわからない。

 それは今、少し遅れて少女の身体と心を蝕んでいた。


 少女自身もその事は理解している。

 しかし、抑えることができない。

 抑えたいとも思わない。


 ただ、ひたすらに。

 破壊と殺戮の衝動に身を任せたい。

 それ以外に、この身体の疼きを押さえる術はないのだから。


「この、魔女め!」


 長身の剣士が少女の前に立ち塞がった。

 その物腰を見るに、かなり戦い慣れている様子である。


 剣士の剛剣が、少女の肩口を狙って振り下ろされた。

 少女は真っ赤に染まったその身体を、スゥと流れるように移動させる。


「なっつ」


 男の一撃を事も無げにかわす。

 次の瞬間には、少女の凶刃が男の胴を薙いでいた。

 胴体を斬り裂かれた剣士は断末魔の悲鳴すら上げることすらなく、血と臓物を撒き散らして死んだ。


「そんな、ディン分隊長が、一撃で……」

「だから俺はこんな訳のわからないやつを連れて行くのは反対したんだ! イカレた未開の地の人間なんか――」


 仲間がやられる様を間近で見てパニックに陥る二人の青年。

 彼らが慌てふためく様子を最後まで黙って見続けることはなかった。

 分隊長が倒された数秒後には、二人とも少女の手で二度と言葉を喋れぬ骸と化していた。


 長身の剣士が少女の前に立ち塞がってから、わずか十秒足らず。

 この程度の男が隊長なら、この一団もたいしたことはないと少女は思った。


 少女は落ち着いて現状を分析する。

 如何にしてより効率よく快楽を得るか。

 本能的とも言っていいほどに、冷静に次の行動を考えている。


 木張りの廊下を駆ける多数の足音が聞こえた。

 敵の援軍の存在も、今は少女の笑みを深くするだけ。


「ちくしょう、よくも同胞たちを!」

「怯まず取り囲め! 東国の剣術使いと言えども、ただの剣士に過ぎん! 距離を取って戦えば恐れることはないはずだ!」


 新たに現われたのは、黒衣に身を包む中年の男たち。

 彼らは陣形を整えて口の中で聞き慣れぬ言葉を唱え始めた。


 少女は床を蹴った。

 剣を腰に構え、新たな獲物に向かって走る。

 接近するよりも早く、男たちの手から炎が放たれた。


火球弾イグ・グロブス!」


 超常現象を操る力。

 彼らはそれを輝術と呼んでいる。

 およそ妖術の類と言っていいだろう。

 この一団と行動を共にするようになって何度か目にしたが、吐き気を催すような邪悪な力である。


 人間の頭ほどもある火球が轟音を立てながら迫ってくる。

 少女は慌てることなく刃を振るった。

 神速の一振りが、妖しき術で作られた炎を容易く切り裂いた。


「ば、バカなっ! 輝術の炎を切り裂くなど――」


 常識を覆す現象。

 輝術師たちは愕然として目を見開いた。

 二発目の術が放たれるよりも早く、少女の刀が彼らの首を刎ね飛ばした。




   ※


 勇敢にも立ち向かってくる戦士を斬る。

 怯えた顔で輝言を唱える輝術師を斬る。

 恐怖に逃げ惑う非戦闘員の女性を斬る。


 少女の剣に迷いはない。

 己の快楽を満たすために、罪のない人の命を奪う。


 少女は無敵だった。

 彼らとて、長旅を続ける勇敢な一行である。

 しかし少女の故郷に伝わる剣術は、彼らの理解を遥かに上回っていた。


 少女は村一番の剣の使い手だった。

 その技量は異郷の戦士たちに対しても十分に発揮される。

 狙われた敵は、為す術もなく死を受け入れることしか許されない。


 ただ快楽のために少女は剣を振る。

 その姿はまさしく殺戮の鬼だった。

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