4.5章 旅の道中 編 その2 - evils behaviour -
213 ドラゴン強襲
心地よい潮風が頬を撫で、髪を揺らして通り過ぎて行く。
遠くにはどんどん遠ざかる陸地と、白い家々が立ち並ぶ小さな港町が見える。
さっき出発したばかりの港がもうあんなに小さい。
「うー、いい天気!」
デッキの上で大きく伸びをして、雲ひとつない青空を見上げた。
陸と反対側に見えるのは一面の海と空の青。
故郷のファーゼブ王国を思い出すような澄んだ光景だった。
「ルー、あんまり乗り出すと危ないよ」
声のした方を振り向くと、ジュストくんが立っていた。
ブラウンの髪を潮風に揺らし、優しい瞳で私を見ている。
エヴィルと出会う心配のない海上でも、いつ戦闘になってもいいようにレザー系の軽装備を纏い、腰には一振りの剣を下げている。
「初めての船旅だから、嬉しくって」
私ははしゃいでいた気恥ずかしさを誤魔化すため笑ってみせる。
生まれ育ったフィリア市でも、港めぐりの遊覧船に乗ったことはある。
だけど、こんなふうに船で遠くまで移動するのは始めてだから、つい浮かれてちゃった。
「僕も初めて船に乗ったときは興奮したのを覚えてるよ。こんな大きな乗り物がこんなに速く進むんだってね」
ジュストくんもそう言って笑った。
と言っても、この船はそこまで大きいわけじゃない
申し訳程度のデッキ船室が二部屋あるだけの、小さな帆船だ。
いま私たちはシュタール帝国とグラース地方を隔てる内海にいる。
アルヒェというシュタール帝国最西端の港町で、運航中止になっていた定期遊覧船を借りて、海路を進んでいる。
「それにしても、ビッツさんは残念だったね」
「仕方ないさ。合流する場所はわかってるんだし、ありがたく馬車を任せておこうよ」
「うん。向こうで合ったらありがとうって言わなきゃね」
ビッツさんは現在、一人だけ別行動で陸路を進んでいる。
というのも、輝動馬車を船に積むことができなかったからなんだけど。
せめて輝動二輪だけでもって頼んだけど、この船の持ち主さんに怒られちゃった。
底が抜けたらどう弁償してくれる、なんて言われちゃ、無理を言うわけにはいかない。
輝動二輪がなければ、旅の速度はガクンと落ちる。
とはいえ、陸路を進めば山岳地帯を大きく迂回しなきゃいけないため、ものすごく時間が掛かる。
そこでビッツさんが提案したのが、私たちだけ船で海路を行き、ビッツさんは馬車を切り離した輝動二輪でひとり陸路を行くっていう方法だった。
輝動二輪だけで進めば遠回りでもかなり早く到着することができる。
皇帝さまからもらった馬車を捨てるのは気が引けるけど、高価な輝動二輪と違って、馬車本体は向こうでいくらでも代えが利く。
結局、彼の言葉に甘えて、私たち四人は海路を行くことになったんだけど……
「で、ダイはまだダウンしてるの?」
「今はフレスが看病してるよ」
ダイは思いっきり船酔いしたみたい。
さっきから船室で横になっている。
船旅は初めてじゃないなんていってたのに、軟弱なやつ。ぷぷっ。
とはいえ、本気で辛そうな姿を見ていれば、茶化すこともできそうにない。
「かなりヤバイの?」
「向こう岸まで一時間もかからないって言ってたし、大丈夫だと思うけど」
「そっか」
おかげでジュストくんと二人っきりで居られるんだから、むしろダウンしてくれてありがとう。
なんて、口には出さないけどね。
「けど本当に船って速いね。地図を見て山ばっかりだった時はどうしようかと思ったよ」
進行方向の左側を見れば、海岸沿いにまで青々とした山塊が飛び出している。
間の村とも交易はあるだろうから道はあるにしても、山中の移動は四方からのエヴィルの襲撃に備えなければいけないため、どうしても低速になってしまう。
陸路沿いに進行方向を見渡せばうっすらと対岸の陸地が見えた。
下の方は霧が出ているのか、はっきりと海岸線までは見られない。
出発した港町までの大きさを考えればたいした距離はなさそうだ。
一陣の風が二人の間を通り過ぎる。
私は乱れる髪を手で押さえた。
「風が強くなってきたな。これなら予定より早く到着できるかもね」
「本当だ。いつのまにか雲も出てきたみたい」
さっきまでは快晴だったのに、向こうの岸がにわかに白み始めてきた。
鳥たちがぴいぴいと鳴きながら後方へと飛んで行く。
進行方向に一羽だけ遅れている影が見えた。
「見て、あの子だけ置いてかれちゃってる」
「上手く飛べないのかもね」
それにしては危なげな様子もなく、真っ直ぐに飛んでいる。
というか、かなり速い。
みるみるうちにその姿が大きくなる。
思っていたよりずっと遠い場所にいたことがわかる。
というか……
「……大きすぎない?」
「うん、僕もそう思った」
「っていうかさ」
「鳥じゃ……ない?」
顔を見合わせた瞬間、船室から中年男性が飛び出してきた。
この船の持ち主の人で、船のかじ取りをしてくれている。
「あ、あんたら! 早く逃げろ!」
「え?」
「見えねえのかよアレが! ええい、俺は先に行かせてもらうぜ!」
そう言うなり、彼は迷いもなく海に飛び込んだ。
「えええええっ?」
たしかに陸地はそれほど遠くないとはいえ、簡単に泳げるような距離でもない。
彼のような屈強な男性なら可能かもしれないけど、少なくとも多少は泳ぎが得意な私でも、試してみたいとは思わない。
「な、なんで? なんでいきなり?」
その疑問はすぐに解消することになる。
しかも、最悪な形で。
「ルー、あれ……」
ジュストくんが指差したのは、先ほど見ていた大きめの鳥。
いや、鳥じゃなかった。
蝙蝠のような大きめの羽に、爬虫類を思わせる体。
頭には二本の角が生え、大きく開いた顎からは、剣のような牙が覗いている。
その全体のスケールはこの船よりも大きい。
「
かつて一度だけ目にしたことのあるそれを思い出して、私は思わず叫んだ。
炎のブレスで森を焼き払い、私が使える最強の術でも傷一つ付けられなかった、最強クラスの戦闘力を持つエヴィル。
「な、ななな、なんでこんなところにあれが!?」
「落ち着け! とりあえずやり過ごせるかどうか確認する。念のために輝攻戦士に!」
ジュストくんが手を差し伸べてくるのを見て、少しだけ落ち着いた。
手を握り返して輝力を送る。
彼の体が淡い光を放つ輝粒子に包まれた。
とはいえ、輝攻戦士になったジュストくんでも、ドラゴンを相手に戦うのは無茶だ。
「ダイたちを呼んできてくれ」
「わ、わかった」
言うとおりに船室へと駆けこむ。
そこではベッドの上でうなされるダイと、傍らで濡れたタオルを絞っているフレスさんの姿があった。
「ふ、フレスさん!」
「どうしたんですか、そんなに慌てて」
ジュストくんと同じブラウンの長い髪に、村娘らしい素朴な容姿。
青色の聖職者服を着ているフレスさんが船室に駆け込んできた私を驚いた目で見る。
私はできるだけ冷静に現状を伝えた。
「ど、どどど、ドラゴンが、ドラゴンで、ドラゴンなの!」
「よくわかりませんけど、すごく大変なことはわかりました!」
察しのいい人で本当に助かる!
「ジュストは?」
「いま外で、やり過ごせるかどうかって――」
言い終わるより先に、船が不自然に大きく揺れた。
窓の外を見る。
甲板が炎に巻かれている。
直後に空高く飛び立っていくジュストくんの姿が見えた。
さっきのドラゴンが攻撃してきたんだ!
「ど、どうしよう!」
「落ち着いてください。火は私が消します」
フレスさんはタオルを放り出して甲板へと飛び出した。
氷の輝術を得意とする彼女なら、火の手が回る前に消火できるかもしれない。
いざという時の判断力は私よりもずっと優れている。
自分はどうしようかと考え、とりあえずうなされて眠っているダイを起こすことにした。
「ダイ、起きてっ!」
ミドワルトでは見かけない黒髪の少年。
眠っていればかわいいけど、口を開けばとんでもなく生意気な男の子。
私は彼の頬を遠慮なくバチバチと叩いた。
ダイはすぐに目を覚ました。
「痛ってーな!」
飛び起きるなり飛んできたパンチをかわし、「それどころじゃない!」と大きな声で叫び返す。
「外にドラゴンがいるの! いまジュストくんが戦ってる!」
「なんだって!?」
流石に行動が速い。
ダイは素早くベッドから降りると、壁に立てかけてある輝攻化武具ゼファーソードを手に取る。
けれど……
「んぐっ!」
船酔いが残っているのか、船が揺れたせいか、ダイはその場で思いっきり転倒する。
「なに遊んでるのよ!」
「うるせえ! 好きで倒れたわけじゃ――」
信じられない現象が起こり、口論は強制的に中断させられた
船室の壁が吹き飛んだ。
突風が入り込んでくる。
崩れていく木板の向こうには、緑色に光るドラゴンの巨体。
「うおおおおっ!」
空からジュストくんが降ってきた。
彼はドラゴンの背中に剣を突き立てようとする。
けれど鋼の皮膚は刃をまるで通さない。
ドラゴンが天を仰いだ。
耳障りな咆哮を上げる。
氷の術で消火活動をしていたフレスさんが、ビクッと体を震わせるのが見えた。
弾かれたようにダイが飛び出した。
私は壁を背にして、攻撃を放つ体勢に入った。
ダイの剣が届くより、私が輝術を放つより早く、ドラゴンの前足が振り下ろされた。
とてつもない衝撃。
船体が割れる。
全員がバランスを失って転がった。
さらに追い打ちをかけるように、炎のブレスがドラゴンの口から放たれた。
「海に飛び込め!」
その声を発したのはジュストくんだった。
私は本能的な死の恐怖に突き動かされ、迷うことなく海に飛び込んだ。
轟音と激しい水の流れに五感を失う。
自分がどちらに流されているのかもわからない。
深い闇の底に沈んでいくような感覚。
穏やかだった水面が荒れ狂う。
みんな、どうか無事でいて……
激しい水流に翻弄されながら、私は硬く目を閉じて祈った。
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