212 ▽いやし
新代エインシャント神国という国がある。
五大国の中では最も歴史が古く、今の人類の歴史が始まる以前から存在する唯一の国家。
魔動乱期は最大の激戦地になったにもかかわらず、今も陰りを見せることのない輝術大国である。
首都は神都とよばれ世界三大
神都から少し離れた土地に、それなりに規模の大きな町があった。
その町には遥か昔から人々を見守っている一人の少女がいた。
少女は悠久の命と若さを持つ。
普段は決して人々に正体を気付かれないよう、何食わぬ顔で人間たちに混じって暮らしていた。
そして、町に危機が迫った時には、持てる力を発揮して外敵を打ち払った。
少女は町の守り神だった。
まだ神話時代のエヴィルが跋扈していた頃、町は過去に幾度となく彼女によって救われている。
それでも彼女の姿をはっきりと目にした者は少なく、町の守り神の伝説は噂だけが風のように伝い、いつしか新代エインシャント全土で語られる伝説になっていった。
だが、ある時を境に少女が人々の前に姿を現すことはなくなった。
少女は人間の男と恋に落ち、子を産んだ。
人間の男は間もなく戦で命を落とす。
それ以来、彼女は人間たちの前に姿を現すことはなくなった。
少女は自分が産んだ娘とともに、新しく建てられた時計塔に移り住んだ。
母となった少女とその娘は、二人きりで町を見守り続けていた。
そんな話が人々の間で語り継がれ、やがて一つのおとぎ話となる。
けれど、平穏の日々は長く続かなかった。
魔動乱の時代がやってきたのだ。
おとぎ話は錆びた伝説となり、かつての感謝の気持ちも薄れたころ、人間たちは自分たちとは違う存在を脅威に思うようになった。
母はもちろん、その血と特徴を色濃く受け継いでいた娘も、迫害の対象になった。
人間たちはおとぎ話にさえ敵意を向け、時計塔の守り神に牙をむいた。
それでも、母は人間たちを恨まなかった。
悪いのは人間たちではない。
この平和を乱そうとする異界の王。
母はその原因を断ち切るため、娘を残して町を出た。
しかし、母は二度と町に帰ってくることはなかった。
娘は一人残された。
それでも娘は生きていた。
人々から隠れながらひっそりと過ごしてきた。
いつしか友達と呼べる二人の人間ができて、それなりに満ち足りた日々を送っていた。
けれど、ウォスゲートが発生の頻度を増し、異界とミドワルトとの境界が薄れるにつれ、娘は次第に抗いがたい『かわき』を感じるようになった。
人を襲いたい。
輝力を喰らいたい。
そうしなければ癒されない。
飢餓感は次第に娘の身体と心を蝕んでいった。
人間を襲いたくはない。
けれど、そうせずにはいられない。
それは生きていくために必要な、生き物が食事を取ることと同じくらい、当然な欲求だった。
ある事件をきっかけに人を殺めた。
娘は衝動に逆らう術をもたなくなった。
そしていつしか最強のケイオスと呼ばれ、人々から恐れられるようになった。
人間たちは娘をこう呼んだ。
黒衣の妖将と。
※
カーディナルは木の上から、街道を行く軌道馬車を眺めていた。
少女の姿をした、かつて黒衣の妖将と呼ばれた娘。
その紅い瞳には、辛さも悲しさも知り尽くしたような、深い色がにじんでいる。
「本当は、一緒に行きたかったんじゃないんですか?」
眼鏡をかけた緑髪の輝士がカーディナルの背中に声をかける。
カーディナルが眉をしかめながら輝士を振り向く。
「くだらないことを言うな。あのピンクはあくまで非常食、おまえは都合のいい乗り物だから関わっているだけだよ。ケイオスのことを教えたのも、わたしが効率良く輝力を得るためだからな」
そう、人間と慣れ合えるわけなんてない。
多くの人を殺めた黒衣の妖将は、魔動乱の終盤に五人の英雄によって倒された。
ウォスゲートが閉じた後、運よく生き延びた黒衣の妖将は、言葉の通じない獣たちとともに人里離れた場所でひっそりと生きることを選んだ。
もう二度と人間と親しくすることはないと思っていた。
あの姉弟を助けられなかった時から。
姉を救えず、弟に必要のない力と足枷を与えてしまった時から。
「なら、なおさら一緒に行った方がよかったんじゃないですか? 見失ったりしたら面倒でしょう」
「うるさい。いいから早く新代エインシャント神国へ向うぞ」
自分を恐れるどころか、馴れ馴れしい態度で接してくるピンク色の少女。
正直に言えば、カーディナルはどこかあの姉弟を思わせる彼女に戸惑っているのかもしれない。
嫌だというわけではない。
けれど、また人を襲いたくなるのが怖い。
「でも、なんだって新代エインシャント神国に向かうんです? ボクが言うのもなんですけど、あなたが往年の力を取り戻すだけなら、自分でケイオスを倒して回った方が速いでしょうに」
「思い出したからさ」
輝士は続く言葉を待っていたが、カーディナルは黙って、遥か新代エインシャント神国で待つ人間の姿を思い浮かべた。
かつての友人、幼い頃に別れた姉弟の弟の方。
魔動乱の時代には伝説の五英雄と呼ばれた男。
わたしの心をいやしてくれた、あの少年を。
「……いま行くぞ、グレイ」
呟きは、輝士の耳には届かなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。