175 ケイオスの実力

火矢イグ・ロー!」

 

 私はとっさに輝術を撃った。

 小さな弓を引くように、曲げた人差し指を親指に引っ掛け、弾く。

 指の先から放たれた火の矢が、ビッツさんに顔を近づけていた女の子に向かって飛んでいく。


 女の子の反応は素早かった。

 後ろに大きくジャンプして攻撃を避ける。

 彼女はそのまま三メートルほどの高さにある木の枝に飛び乗った。

 普通の人間じゃあり得ない跳躍力だ。


「ルー!?」

「その子、人間じゃない!」


 こんな夜中に女の子が一人で歩いているだけで十分に不審。

 けどそれ以上に、私の直感が明白に彼女を危険だと伝えている。

 エヴィルと同じ嫌な感じを、彼女は全身から強く発していたから。


「へぇ、流読みを使える輝術師がいるのかあ」


 くるん、と女の子が足を起点に枝の上で回転する。

 どうやっているのか、靴の裏が枝にくっついている。

 さっきまでの不安そうな表情は消え、一転して無邪気な笑みを浮かべている。 

 逆さまのまま、私たちを見下ろしながら。


「な、何者なんだ?」

「あの娘はたぶん、エヴィル……ううん、ケイオスだよ!」


 ジュストくんの疑問に、私ははっきり確信を持って答えた。

 以前に私が見たケイオスは、外見情はどう見ても普通の女性にしか見えなかった。

 だからこの子が人間にしか見えなくても、見た目だけに騙されちゃいけない。


「それじゃ、ルーが感じたエヴィルっていうのは……」

「うん、きっとあの子がそうなんだと思う」

エヴィル異世界の魔物なんて呼ばないでよ。一応わたしはこっちの世界の出身なんだからさ」


 女の子はチッチッと指を振って私の言葉を遮った。

 そういえばあの時のケイオスも、下位のエヴィルは動物だから一緒にして欲しくないとか言っていた。


「エヴィルじゃなくて、ケイオスって呼べって?」

「おまえたちの定義ならそうかもね。わたしは一度も自称したことないけど」

「どちらでもいい。お前が人間を襲うバケモノであることに変わりはないんだろう」

「バケモノ扱いなんて、ひどいなあ」


 ジュストくんの言葉に彼女はムッとする。


「わたしも色々と事情があってね。強い輝力を持った人間を『食べ』なきゃいけないんだ」

「そんなことさせない!」


 人を食べるなんて。

 可愛らしい姿をしていても、やっぱりこいつは人間じゃない。


 どうしてケイオスがこんな所にいるのかわからない。

 だけど、出会っちゃった以上はやっつけるか追い払うかしなきゃ。

 ケイオスと戦ったことはないから、こいつがどれくらい強いかわからない。

 けど、もしあのスカラフかそれ以上の強さなら、他の皆の手助けもあった方が良い。


「ビッツさん。ここは私たちに任せて、ダイたちを呼んできてください」


 私はケイオスを睨んだままビッツさんに言う。

 申し訳ないけど、足止めするなら私とジュストくんの二人の方が良い。

 どっちにしろ誰かが行かなきゃ行けないなら、ビッツさんに任せようと思った。

 けれど、彼からの反応はない。


「ビッツさん……?」


 不審に思って顔を覗き込むと、彼は視点の定まらない目で虚空を見ていた。

 やがてその身体がふらりと倒れる。


「ビッツさん!?」


 地面に倒れた彼は、やはりうつろな目を宙に向けている。

 私は彼の顔を覗き込むけれど、その瞳にはなにも映してはいない。


「どうしたの!? しっかり!」

「無駄だって。もうそいつはわたしが食べちゃったんだから」

「ビッツさんに何をしたの!?」

「だから食べたの。そいつの輝力をね」


 ケイオスはさかさまの態勢からさらに一回転し、その勢いのままに木の上から跳び下りた。

 いつの間にか全身黒ずくめの服に着替えてる。

 背中には大きなだぶだぶのマントを羽織り、頭には丸い帽子を被っていた。


「わたしの名はカーディナル。ヒトと同じ姿を持ち、ヒトを超えた力と知恵を持つ者。おまえたちの言うところのケイオスさ」

「王子の輝力を奪ったのか……!」

「そ。でも、思ったほどの輝力は得られなかったな。紛い物の輝攻戦士なんてガッカリだよ」


 カーディナルと名乗ったケイオスは残念そうに肩をすくめる。

 そして視線をジュストくんに向け、彼を指さした。


「おまえは、美味しくいただけるかな?」

「ビッツさんを元に戻しなさい!」

「うるさいな、さっきから。わたしはそっちの男と喋ってるんだよ」


 怒鳴る私をカーディナルが睨み付ける。


「お前を倒せば王子は元に戻るのか?」

「さあ?」


 ジュストくんの質問に適当に返しながら、彼女はふふふと冷たく笑う。

 その姿は人間と変わらない。

 けど、明らかに異質な妖しさがあった。


「どちらにせよ、お前を放っておく訳にはいかない。ここで退治させてもらう」

「いいよ、かかっておいで。これじゃ全然物足りないし、おまえの輝力もいただくとするよ」


 ケイオスはどこからともなく大降りの剣を取り出した。

 自分の背丈ほどもある大きな刃を片手でくるくると振り回す。

 細い身体なのに、なんて腕力!


「はいそうですかと、くれてやると思うなよ!」


 ジュストくんが剣を構えて前に出る。

 相手はケイオス、たぶんその辺の残存エヴィルとは訳が違う。

 一筋縄じゃいかない、けど。


 やるしかない。

 都合の良いことに、すでに彼は輝攻戦士化している。


「行くぞっ!」


 ジュストくんが飛び掛かった。

 地面スレスレを滑空しながら一気に距離を詰める。

 瞬く間に懐に飛び込み、輝粒子の力を込めた一撃を叩きつける。


「いいね、輝力の扱いも上手い。とても美味しそうだ」

「ちっ」


 カーディナルは手にした大剣で易々と受け止めた。

 ジュストくんはその場で足を止め、続けざまに二撃、三撃と攻撃を繰り出す。

 そのすべてがあの大剣で受け止められてしまう。


「ほらっ」


 カーディナルが大剣を振り下ろす。

 ジュストくんは三撃目の後で輝粒子が揺らいでいる。

 後ろに飛び、間一髪で攻撃を避けた。


 空を斬った大剣は易々と地面を切り裂き、刀身の半ばまでを地中に埋めた。

 それをチャンスと見て、ジュストくんが再びカーディナルに斬りかかる。


氷矢グラ・ロー


 カーディナルの指先から氷の矢が飛び出した。

 ジュストくんはとっさに足を止める。

 左手首に装備した盾代わりのガントレット篭手に輝粒子を纏わせ、氷の矢を受け止めた。

 その隙にカーディナルは大剣を地面から引き抜き、肩に担ぐ。


「強い……!」


 あんなに大きい武器を振り回しているのに、まるで重さを感じさせない。

 輝攻戦士のように輝粒子の揺らぎによる隙もなく、しかも無詠唱の輝術まで使いこなす。

 これが上位エヴィル、ケイオスの力!


 私も援護しなきゃ。

 戦力は心許ないけど、ここは二人でどうにかするしかない。


 力を引き出すんだ。心に念じて。

 私はつよい、私はつよい……


「さて、次はこっちの番かな?」


 どくん!

 体の奥底から突き上げられるように心臓が震えた。

 こ、ここまでだっ。


「あれ?」


 体の奥から輝力があふれ出てくる。

 わたしは、つよい。


 ――そうだ、あいつを殺、


 違うっ!

 私たち、あいつを倒して、ビッツさんを元に戻す!


「ふー、はー」


 深く深呼吸して、気持ちを落ち着ける。

 よし、安定してる……


「なんだ、いきなり輝力が増えた……?」


 戦う気持ちを高め、自分の中に眠っている天然輝術師の力を引き出す。

 以前にやったときは力が暴走しちゃったけれど、何度かの実戦を経て、私はその限界を見極めることができるようになっていた。


「行くよ、ジュストくん!」

「ああ!」


 さあ、ここからが勝負だ!

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