163 ▽神隷輝士
「ジュストくん!」
伏していたルーチェが起き上がって涙でうるんだ瞳をジュストに向ける。
見たところ彼女に大きな怪我はない。
騒ぎを聞いて慌てて駆けつけたがどうやら間一髪で間に合ったようだ。
だがその後でジュストは部屋の隅に倒れたダイの姿を見つける。
「ダイが、私を庇って……」
服は焦げ左腕には決して浅くない火傷の痕がある。
まだ状況は飲み込めていないが部屋の中央で蹲っているあの男がやってのは間違いないだろう。
とっさに敵だと判断して廊下にあった小さな彫刻を投げつけたが、ジュストの判断は間違いではなかったようだ。
実は勘違いだったらどうしようと内心で焦っていたことはおくびにも出さない。
いつものように意図的に声を低くし、剣を構えて目の前の男に言い放つ。
「どんな理由があるかは知らないが、俺の仲間を傷つけたお前は許さないぞ」
「何も知らぬ若造が些細なことで吠えるな。いいかよく聞け、俺は神隷輝士レギリオ。神の意志に従いこの世をあるべき姿に整えるという崇高な目的のため――」
「いつまでそんな馬鹿なこと言ってるんだよ!」
レギリオの話を少女の声が遮った。
ジュストの後ろに安物のドレスを着た若い女の子がいた。
先ほど屋敷の裏手で出会いここまで一緒に連れてきた金髪の少女である。
「テオロ、何故ここに……」
少女の名はテオロ。
温泉の村で出会い町の教会まで送り届けた女の子だ。
安物とはいえドレスで着飾った彼女は以前に会った時とは大分印象が違っている。
「あれ、えっと、さっき馬車でも一緒になったよね?」
テオロは問いかけるルーチェに答えず、ツカツカと部屋の中に足を踏み入れると、レギリオを正面から睨みつけて叫んだ。
「神隷輝士なんて何年も前になくなったって言ったのは父さんだろ!? 魔動乱はとっくに終わったんだよ! こんな盗賊みたいなことまでして、どうしていつまでもくだらない理想にしがみついてるんだよ!」
「だ、黙れ! 子どもに何がわかる!」
レギリオは明らかに動揺していた。
レギリオの家系は代々教会に属する
神隷輝士の究極の目的に『神下の大同団結』を目指すというものがある。
すべての国家を解体し教会がミドワルト中の民を導くべきという歪んだ思想である。
元々は魔動乱期に有力な対策を打てない大国に反発していた教会の急進派が考えた妄言だった。
だが新代歴史区分第六期『魔動乱の時代』に教会は五大国との権力闘争に敗れた。
神霊輝士団はその際に危険思想集団として解体されることになった。
レギリオは神隷属輝士団解体後は冒険者として世界中を回った。
神下の大同団結の思想を広めようと尽力したが果たせないまま魔動乱は終焉を迎える。
時代が第七期『現代』に入っても彼は平和の中に身を置くことを良しとしなかった。
生まれたばかりのテオロを教会に預けて一人布教の旅を繰り返していた。
だが時代はすでに変わっていた。
エヴィルという人類共通の脅威はもう去っている。
無駄な争いを引き起こす神下の大同団結の思想を受け入れる者は存在しなかった。
「許せんのだ。教会は民が都合の良い祈りを捧げるための場ではない。神がミドワルトを人類に託した『再生の時代』から教会は民を導く権威だった! それを輝鋼石もろとも奪ったのは誰だ!? 古代スティーヴァ帝国の台頭! 長く続いた『戦乱の時代』! そしてあの魔動乱! 人々をより良く導くことができるのは教会だけなのだ!
レギリオは力説する。
だが、誰ひとりとして彼の言葉が胸に響いた者はいない。
そもそも彼の怒りの中身を理解できる人間がこの場にはいなかった。
国家と教会の権力闘争の歴史を深く知る者などいない。
重力は元に戻っても部屋の空気は重苦しいままだ。
「言いたいことはそれだけか」
全員の視線が一か所に集まる。
レギリオにではない。
決して浅くない傷を負いながら、なお立ちあがった東国の少年に。
「ダイ、無茶だよ!」
ルーチェが彼に駆け寄りふらつく体を支えようとする。
しかしダイはそれを振り払って叫んだ。
「ムカつくんだよ。こいつも、あのババアも、以前のビッツもそうだ。どいつもこいつも過去の栄光にしがみつきたいだけのくせに、自分だけが正しいってツラして好き勝手やりやがって。それで普通に暮らす人間がどんだけ迷惑してるかも考えずによ」
「崇高な理想の前には多少の犠牲は必要なのだ!」
ダイは怒りを込めてレギリオを睨みつける。
「……本当ならこの手でぶん殴ってやりたいけど、ちょっと体が動かねえ」
当たり前だ。
どう見ても瀕死の重傷。
立ち上がったこと自体が不思議なくらいだ。
それでも、この独善男に言ってやらなければ気が済まなかったのだろう。
「ジュスト」
「ああ、わかっている」
二人の剣士が交わした言葉はそれだけだった。
「ちょっと休ませてもらうわ」
「あ、ダイっ!」
ダイはそのまま身体をルーチェに預けるように倒れ込んだ。
その姿を見てジュストはフッと微笑む。
それも一瞬、すぐに戦士の顔に戻り戦うべき敵に視線を向ける。
「さあ、観念してもらうぞ」
「俺に挑む気か。上等だ若造が」
いくつもの武具や彫刻が散らばった狭い部屋。
二人の輝士が刃を向け合った。
「テオロ、いいよな」
「ああ。父さんの目を覚まさせてやってくれ」
少女に確認を取ったジュストは本気で戦うと決めた。
生身の剣士同士の戦いなら勝負は一瞬で決まる。
ジリジリと相手との距離を詰める。
己の間合いに入るまで。
その地点まであと少しと言うところで突然ルーチェが叫んだ。
「ジュストくん、うかつに近づかないで!」
「もう遅い!」
レギリオが間合いの外で剣を振った。
切っ先から炎が舞い上がる。
ジュストは即座に横に飛んだ。
服の裾を焼かれたが、なんとか直撃は避けた。
「古代神器か……!」
「その通りだ。ただの剣士では俺に触れることすらできんぞ」
こいつは厄介な相手だ。
ただの輝術師とは違い古代神器が引き起こす現象は輝言詠唱による隙もない。
そういう意味では天然輝術師を相手にしているようなものだ。
「ジュストくん、こっちに!」
ルーチェが手を差し伸べる。
彼女から力を借りて輝攻戦士になればあの程度の炎は脅威にもならない。
輝攻戦士の戦闘力ははあの程度の古代神器など容易く上回る。
この勝負も簡単に決着が付く。
しかし。
「いや、必要ないよ」
ジュストはその場で再び剣を構えた。
「あんな道具に頼らなきゃ戦えないような弱い相手にルーの力を借りるまでもない」
「のぼせあがるなよ……!」
レギリオの表情が怒りに歪む。
「神隷輝士を侮辱して無事で済むと思うな。古代神器がなくとも貴様ごときに後れは取らぬ」
「それじゃあ武器を捨てて実力で戦ってくれるのか?」
「その手は食うか。全力を持って貴様を叩き潰した後、無残な死を与えることで先ほどの言葉を後悔させてやる」
レギリオは片足を上げて足もとにある黒い物体を踏みつけようとして、
「テオロを巻き込む気!?」
ルーチェの言葉に足が途中で止まる。
状況はよくわからないが、その隙をジュストが見逃すわけがなかった。
地面を蹴る。
敵との間合いを詰める。
「くっ――!」
炎を出す余裕は与えない。
しかしジュストの奇襲をレギリオは炎神の剣の腹で攻撃を受け止めた。
金属がぶつかり合う乾いた音が響き、レギリオがニヤリと不気味な笑みを浮かべる。
その直後。
「
ルーチェが輝術を放った。
至近距離で当てれば岩すら溶かす超高熱の光。
距離が離れているためかなり減衰したが、人間相手に使えば必殺確実の破壊の輝術である。
ルーチェが狙ったのは敵の体ではなく彼の足もとにあった黒い物体だった。
重力を操る古代神器は閃熱の光に貫かれて完全に機能を停止した。
「貴様あぁぁぁぁっ!」
ジュストはそれが何なのか知らない。
だが、おそらく敵にとっての切り札だったのだろう。
レギリオは激昂して力任せにジュストを押しのけ、鍔迫り合いから脱出する。
敵は再び炎を剣の切っ先から立ち上らせた。
「全力解放だ! 貴様ら全員、骨すら残さず燃え尽きろ!」
先ほどとはケタ違いの火力。
オレンジ色の炎が天井まで届く。
室内の温度がぐんぐんと上昇してゆく。
炎はまるで蛇のように形を変えると口にも見える大きな裂け目を作り――
「うごああああっ!?」
剣身から離れる前にレギリオの体に燃え移った。
今のレギリオは囚人服のようなみすぼらしい格好である。
そんな服装であれだけの炎を扱うというのがそもそも無謀なのだ。
炎神の剣の火力を活かすもっと防御力の高い武装で身を包む必要がある。
たとえば部屋の外で成り行きを見守っている、大げさなほど分厚いプレートメイルに身を包んだ中年女性輝士ように。
レギリオが武器を手放した。
これ以上のチャンスはない。
「うおおおおおおおっ!」
ジュストは気合を発しながら駆ける。
レギリオは燃え移った炎を消そうと体を叩いている。
敵がこちらに気づいて大きく見開いた驚愕の眼と視線が交わる。
ジュストの護銅剣がレギリオの胴を薙いだ。
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