156 ▽侯爵の野望

 クーゲル侯爵に連れられルーチェとダイは奥の本館にやってきた。


 さすが元侯爵の居館というだけあってかなりの巨館である。

 クイント王城とは比べるべくもないが旧貴族階級の財力は伊達ではない。


 フォーマーたちが集まっていたホールのある別館もかなりの規模だった。

 ここはそれよりもさらに二回りほど大きい。

 しかし別館と違ってどこか閑散とした雰囲気がある。

 使用人や家族も住んでいるようだがほとんどが空き部屋になっているみたいだ。


 窓の外からは小さな湖が見えた。

 奥に拡がる森と相まって緑と青の美しいコントラストを描き出している。

 館自体は広すぎて落ち着かないが、こんな奇麗な所に住んでみたいとルーチェは思った。


 侯爵の隣には常に二人の女性が身を守るように立っている。

 片方は先ほどルーチェの輝術に大げさに驚いてみせた三十路前後の女。

 術師服を着ていることから彼女も輝術師なのだろう。


 もう片方はそれよりも少し年上くらいか。

 室内だというのに重そうなプレートメイルに身を包んだ輝士風の女性だった。


 二人はちらちらとルーチェたちの様子をうかがいつつ赤い絨毯の上を先導して歩いていく。

 廊下の突き当たりにある両開きの扉の前で彼女たちは立ち止まった。


「どうぞ、たいしたおもてなしもできずに恐縮ですが」


 扉の向こうは小さな部屋になっていた。

 中央に大きなテーブルがあり、その上には豪華な料理が並べられている。

 作りたてのスープからは湯気が立っていた。


 壁には色とりどりの絵画。 

 隅にはいくつもの彫刻が立ち並ぶ。

 調度品はどれもきめ細やかで高級感が漂っている。


 特にルーチェの目を引いたのは透明なショーケースだ。

 その中にはまるで見せつけるように並べられた数々の宝石があった。

 

 まさに絢爛豪華。

 あらゆる財が悪趣味なまでに詰め込まれた一室。


「お掛けになってくださいな」


 護衛候補を迎える部屋にしてはあまりに大げさすぎる。

 それとも客人に対して自分の財力を見せつけたいだけなのだろうか?


 ルーチェとダイは勧められるままにテーブルに着いた。

 流石のダイもいつものようにがっついて食事に手をつけることはない。

 せっかくここまで入り込んだのだから正体がバレて追い出されては元も子もないのだ。


「改めて自己紹介するわね。クーゲル家現当主チェロット・クーゲルよ」


 クーゲル侯爵は人の良さそうな笑みを浮かて会釈する。

 ルーチェはというと彼女に対する疑惑以上に、この場の雰囲気に飲み込まれてしまっていた。

 丁寧に自己紹介を返そうと思ってもうまく言葉が出てこない。


「えっと、ルーチェです。この娘は、えっと、あの……ダ……キリサ……」


 ダイが横眼でルーチェを睨む。

 しまった、ちゃんと偽名を考えておくべきだった。

 彼の本名はどう頑張って呼び変えても女の子の名前にはならない。


「ふふ、そんなに緊張しなくていいのよ。有能な冒険者は無口なくらいでちょうどいいのだから。礼儀作法は必要になった時に覚えてゆけばいいの」


 ルーチェは失敗をごまかすため頬をかき、それも無礼に当たるのではないかと恥ずかしくなる。

 元とはいえ教科書でしか見たことのない貴族階級の人間は纏う空気からして違う。

 ホールにいたフォーマーたちとは違い着飾っているだけではないのだ。


 しかし……本当に『元』なのだろうか?

 彼女の纏う雰囲気、立ち振る舞い、そしてこの豪華絢爛な一室。

 どれをとっても支配者の貫禄がある。

 わざわざ昔の貴族を表す家名を名乗っているのも奇妙だ。


 歴史区分第五期の革新の時代。

 今から六〇年以上も前に王家を除いた貴族階級はのきなみ解体された。

 いわゆる国家一元化である。

 これは五大国を始めとしてどこの国でも同じように行われた。

 現在では国という枠組みの中に貴族が治める私有領土など存在しない。


 にもかかわらず彼女は付近の町村から領主として崇められ、自ら侯爵を名乗って憚らない。

 これはこの国を治める王家から背信行為と受け取られてもおかしくないことだ。

 そんな心配を裏付けるように侯爵は信じられない言葉を口にした。


「早速ですけど、有能な冒険者であるあなた達にお話があるの」

「な、なんでしょうか」

「単刀直入に尋ねるわ。貴族に興味はない?」

「は……?」


 あまりに突飛な侯爵の発言に思わず変な声が出た。


「えっと、それはどういう意味ですか?」

「言葉のとおりよ。あなた達に貴族にならないかしらと尋ねているの」


 繰り返しになるが貴族などという身分はもうミドワルトに存在しない。

 あるのは本人、親、あるいは祖父の代の頃は貴族と呼ばれていたという一種のステータスとしての家系自慢だけ。

 フィリア市にある貴族会も元貴族身分の家柄の人間が集まって談笑するだけの単なる寄り合いに過ぎない。


 王家から領土を与えられ、それを統治してこその貴族。

 クーゲル侯爵がいくら侯爵の称号で呼ばれ、今も近隣に住む民からの信頼も厚いとはいえ、あくまで一国民に過ぎないのだ。


 彼女が民衆を統治しているわけではない。

 こんな大きな館に住んでいるのも単なる大金持ちだからと言うだけだ。


「失礼ですけど、やっぱり意味が解りません。だって貴族なんてもうとっくの昔になくなったのに」

「ええ。だから私たちの手で蘇らせるのよ、あの素晴らしい時代をね」


 背筋が凍るような、ゾッとした感覚を味わった。

 目の前で微笑む老女の表情は全く変わっていない。

 だからこそ内側に秘めた狂気が垣間見える気がした。


「難しいことは求めません。あなた達には力を貸して欲しいだけなんです」

「力って……戦争でも起こすつもりですか?」

「戦争なんて人聞きの悪い。これは正当な権利を取り戻すための革命よ」

「そんな事を考えてるってバレたら、すぐに輝士団がやってきますよ」


 考えるまでもなくこれは国家に対する反逆だ。

 この国の、あるいはこの地方を統括する大国の輝士団も黙っていないだろう。

 それくらいのことはルーチェにもわかる。


「守りの対策は十分に行っています。いつか攻めに転じる時に貴女たちのような優秀な兵士がもっと欲しいのですよ。特にルーチェさんのような特殊な才能を持つ方は大歓迎です。もちろんそちらの無口な剣士さんも。わたくしの夢が実現となった暁には、お二人には子爵の位を授けましょう」


 流石にルーチェは言葉を失った。

 まるで妄言だ。正気で言っているとは思えない。

 老人の夢物語もここまで来ると引いてしまう。

 おそらく若い頃は本物の侯爵家の子女だったのだろうが……


「ルー子、もう行こうぜ」


 隣でダイが音を立てて席を立った。

 ルーチェは彼の失礼な態度を咎める気にはならなかった。


「これ以上ばあさんの寝言に付き合ってられねーよ。オレはもう帰るぜ」

「あ、待って」

「まあまあそうおっしゃらずに。せめてもう少しお話を聞いてくださいな、食事でも食べながら――」


 自分も席を立とうとした瞬間、突然足元から力が抜けた。

 高熱を出して寝込んでいる時のような感覚が彼女の体を蝕む。

 侯爵の声も、目の前の美味しそうな料理の匂いも、一瞬にして夢の向こうに行ってしまったようだ。


 ルーチェはそのままバランスを失ってダイに寄りかかるように倒れてしまう。


「あ? なんだよ……おい? どうした、ルー子!?」

「だ、ダイ……」

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