83 温和な姉と乱暴妹

 心地よい日差し。

 さわやかな風と小鳥のさえずり。

 翠に囲まれた自然の中を二人で歩く。

 少し坂がきついけどジュストくんと一緒なら辛くない。

 ちょっとしたピクニック気分かな。


「大丈夫、疲れない?」

「うん。歩くの好きだからぜんぜん平気」

「もうちょっとだからがんばってね」


 ジュストくんが地図を拡げた。

 山奥にある村って聞いてたけどふもとの町からはかなり距離がある。

 最初は道らしい道もあったけど、途中から木の間を通るようになった。


 これじゃ下手したら道に迷う可能性も――

 はっ。


「あ、あの。ごめんね」

「何?」

「道、っていうか方角。こっちであってるのかな?」

「……えっと……………………だ、大丈夫!」


 そ、そこは即答して欲しかったな。

 どうしよう忘れてた。

 ジュストくんが壊滅的方向音痴だってこと。

 まさか故郷に帰る途中で迷うなんて。

 町中なら笑い話で済むけど、こんな山の中で道に迷ったら……


 急に空が暗くなってきた。

 太陽が雲に覆われ始めたみたい。

 風が生暖かい。

 気のせいか遠くで猛獣が唸っているような声が聞こえる。


 不安になって周りを見回す。

 さっきまで輝いて見えた自然が急におどろおどろしいものに見えてきた。

 だ、大丈夫。

 ジュストくんと一緒ならこれくらい……


 ともかく正しい道を探そうと私は周囲を見回した。

 すると茂みの向こうに人の姿を見つけた。

 薪を持った女の人だ。

 こちらに向って歩いて来ている。

 あの人に道を尋ねてみようか。


「ねえ、ジュストくん」

「あ……」


 振り向くとジュストくんは何かに驚いたような顔をしていた。

 女の人がこちらに気づいたようだ。

 あ、ひょっとして村の人なのかな。

 遠目には大人っぽく見えたけど、よく見れば私と同じ年くらい。

 長いブラウンの髪を揺らしながら一直線にこちらへ走ってくる。


「あっ」

「危ない!」


 近くまで来たところで女の人が木の根に躓いた。

 素早く足を踏み出したジュストくんが彼女を支える。


「大丈夫?」

「ジュスト……」


 え、もしかして知りあい?

 よかったこれで無事たどり着け――


「ジュスト、ジュスト、ジュストっ……」


 あ、あれ?

 女の人がジュストくんにしがみつく。

 胸に顔を埋めて体を震わせている。


「ばかっ、どうして出て言っちゃったのよっ……」


 その声は次第に涙声に変わって。


「ごめん、フレス……ただいま」

「ばか、ばかっ……おかえり……わあああっ」


 な、何? なになにっ?

 女の人はジュストくんにしがみついたまま泣きじゃくっている。

 まるで離ればなれになっていた恋人同士が再会したようなシーン。

 ジュストくんも優しく彼女の頭を撫でてあげたりしてる。


 なにが何だか。

 いったいその人と、どういう関係なのっ?

   



   ※


 小鳥のさえずりが耳をくすぐる清々しい朝。

 私はベッドから起き上がった、

 窓を開けて新鮮な空気を取り入れる。


 うーん、空気が美味しい。

 ここは村唯一の二階建ての建物なので村中が一望できる。


 向かいの家の軒先でおばさんが洗濯物を干している。

 広場では子どもたちがボール投げをして遊んでいる。

 畑仕事に向かう途中なのか鍬を担いだおじさんたちが歩いている。


 ここはジュストくんの故郷。

 人口数十人の小さな名もない村。

 フィリア市を出てから訪れた中でもダントツで一番小さい集落。

 なんだか村全体が落ち着いている感じ。

 静かだし空気も綺麗だし。


 しばらくの間、広場で遊ぶ子どもたち眺めて幸せな気分に浸る。

 田舎で好きな人と過ごす平和な夏休み。

 ……なのに私の心はいまひとつ晴れない。

 コンコン。


「はーい、どうぞ」


 ノックする音に返事をすると軋んだ音を立てて戸が開いた。


「おはようございます。よく眠れましたか?」

「あ、お、おはようございます。おかげさまでぐっすりです」


 ぎこちない挨拶を返す私にフレスさんはにこりと微笑んだ。

 栗色の長い髪をふわりと翻して抱えていた衣類を机の上に置く。

 昨晩のうちに洗ってもらっておいた私の服だ。 


「食事の用意もできていますから、いつでも降りてきてくださいね」

「ごめんなさい。いろいろとお世話になっちゃって」

「いいえ、大切なお客さんですからね」


 フレスさんは優しそうに微笑みながらゆっくり首を横に振った。

 袖の先からちょこんと出した手で口元を隠して恥かしそうに言う。


「こちらこそ昨日はすみませんでした。みっともないところを見せてしまって」


 どきっ。

 心臓が強く高鳴った。

 フレスさんはジュストくんの幼馴染。

 ジュストくんが村を出て以来、再会するのは八年ぶりだそうだ。

 久しぶりに出会えて泣くほど感動したのもわからなくはないけど……


「懐かしい友達にあってつい気が緩んじゃったんです」


 フレスさんはそう言うけれど、どう見てもただの友だちって感じじゃなかった。

 あれはまるで、そう。

 ずっと離ればなれになっていた恋人同士のような――


「なにもない村ですけどゆっくりしていって下さいね」

「はい。お世話になります」

「困ったことがあったら何でも言ってください。」


 フレスさんはいい人だ。

 だからこそ強力なライバルになりそうな予感がするんだけど……


「何か?」

「あ、いえ。なんでも」

「じゃあ下で待ってますから」




   ※


 階段を下りるとちょうど寝起きのジュストくんに会った。


「ジュストくん。おはよう」

「あ、ルー。おは――」


 ダダダダダと猛牛みたいな勢いで足音が近づいてくる。


「ジュストおっ!」


 足音の主は叫び声と共に現れると、手に持ったスリッパでジュストくんの後頭部をいきなり殴りつけた!


「久しぶりに帰ってきたんだから食事の手伝いくらいせんかっ! こんな時間までのほほんと朝寝決め込みやがって!」


 ツインテールの髪が逆立つほどの勢いで私たちの間に割り込み、ジュストくんの胸倉を掴みあげてまくし立てる。


「ご、ごめん。でもスティ、昨日は遅くまで報告書を作成してて……」

「うるさいっ! 男が仕事と家事くらい両立できんでどうするっ! 働かないならさっさと出て行けっ!」

「出て行けって言われても食事はみんなでって昨日言われたんだけど」

「その食事は誰が作ってると思ってんの!?」

「フレス」

「わかってんならちょっとは姉さんを手伝ってこい!」


 ジュストくんのお尻に蹴りを入れ、どすどすと床を踏みしめ去って行く。

 なんていうか、すごい女の子。


「あたた……ごめんね朝っぱらから騒がしくって」

「う、ううん。元気な人だね」


 今の過激な娘の名前はスティ。

 ああ見えてフレスさんの妹らしい。

 性格は正反対だけど外見はよく似ている。

 髪型と目つきの鋭さ以外はだけど。


 昨日はスティもまた私が驚くような行動でジュストくんを迎えた。

 ただし、こちらはいきなりの顔面パンチ。

 まさかの大ゲンカ!? とビックリしたけどジュストくんは全然気にしていないみたいだった。


「あれで結構いいやつなんだよ。姉さん想いだし子どもたちからも好かれてる。ルーとも気が合うんじゃないかな」


 とてもそうは見えないなぁ。

 だってあの子、昨日から私と全然口きいてくれないんだもん。

 私の存在なんか気にしないって感じで無視しちゃってさ。

 今だって、ちらりと目が合ったのにおはようも言ってくれなかったし。

 まあ居候させてもらってる身としては、とやかく言える立場じゃないけど。

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