75 遅すぎた改心

 少し離れた位置にスカラフが立っている。


「苦しいか?」


 答えたくても声が出せない。


「私のオリジナル輝術風伝病魔ウェン・モルブズはこの国のガキ共にばらまいた病魔と同等の効果を与える。並の人間が受ければご覧の通り体の自由を奪われ、やがて肉体は朽ち果てる。力に目覚めたばかりの小娘に他者の術に対する耐性はないようだな?」


 これが、輝術?

 私の体が動かないのは、そのせい?


「とはいえ成長すれば必ず脅威となる。今のうちに消しておこう」

「やめろっ!」

「――氷矢グラ・ロー


 ジュストくんが叫ぶ声に反応しスカラフはそちらを振り向く。

 早口で輝言を唱えて氷矢を飛ばす。

 氷の矢が足に突き刺さり叫び声はうめき声に代わる。


「小娘もくだらない理由で輝工都市アジールを出たものだな。あんな役立たずのために無駄に命を散らすこととなった己の運命を呪い後悔して死ね」


 無駄? 無駄って何よ。

 好きな人に会いたいと思う事がなんでくだらないのよ!


「あ、あああっ……」


 怒りに任せて全身に力を入れて起き上がろうとする。

 だけど喉からうめき声が漏れるだけで力が全然入らない。

 張り上げた声と共に力が抜けていき頭に霧が掛かったようになる。

 考えることさえ億劫になってくる。


氷刃グラ・エッジ


 スカラフは纏ったマントと同じ真っ暗な瞳をこちらに向けた。

 その手に青白い光が集まっていく。

 光はナイフのように尖った氷の刃へと姿を変えた。

 首を上げているのが辛くなって私は視線を地面に落とした。


 もうすぐあの氷の刃が私の身体を貫く。

 死ぬのかな、痛いのかな。

 スカラフの足と茶色い地面だけが視界に映る。

 ボーっとした頭で他人事のように考えていると――


 乾いた音が響いた。

 氷が真っ二つに切り裂かれ、その下半分が私の目の前に落ちる。


「そうか貴様が残っていたか」

「へっ。油断したな」


 首を上げると輝粒子を纏ったダイの背中が視界に入った。

 いつのまにかゼファーソードを持って輝攻戦士に戻っている。


 助かった。

 そう考えたとき少しだけ元気が戻ってきたような気がした。

 私は首を上げ、スカラフと対峙しているダイを見上げた。


「我々が敵対する理由はないはずだが?」

「うるせえ、テメエはぶったおす!」


 至近距離からの一撃。

 これなら避けることも輝術で迎撃することも不可能。

 だと思った、けれど。


 スカラフは最小限の動作で左腕を振るう。

 なんと手の甲でダイの攻撃を受け止めた。


「なっ……」

風衝撃ウェン・プシェス

 

 驚愕の表情を浮かべるダイ。

 そのがら空きになったお腹にスカラフは手を添え輝言を唱える。

 次の瞬間、ダイは数メートルも後方に吹き飛ばされた。


「老体だとて甘く見るでない。ひよっこが私に敵うと思ったか」


 視界に映るスカラフの足に輝粒子が舞っているのを私は見た。

 輝術師であるだけじゃなく輝攻戦士でもある……?

 スカラフが私を見下ろしながら語りかけてくる。


「超一流の輝術師となれば己の身を輝粒子で覆うこともできる。飛び道具のみに頼り、他人に守られるながら戦うことしかできぬうつけ共とは違うわ」


 乾いた砂に水が染み込むようにスカラフの言葉が私の胸を塗りつぶしていく。

 他人に守られることを前提にしていた私。

 足手まといになったことは何度もある。

 フィリア市を出るときはナータに。

 山の中では演技とは言えアンビッツに。

 ここに来るまでにはダイに。

 そしてさっきはジュストくんに。

 私は他の人に頼ってばかり。


 安全な場所で援護をするだけで一緒に戦ったつもりになっていた。

 その甘い考えがダイから輝攻化武具を奪いジュストくんを傷つけさせてしまった。

 誰かが守ってくれる、それを当然のことと思っていたせいで。

 その結果がこうして身動き一つ取れない惨めな姿。

 弱点扱いされ、守ってくれた人を傷つけてしまう。

 こんなの……最低じゃない。


「突進するだけの猪武者にはわかるまいが……さて、そろそろ終わりにしよう。まずは動けない小娘からだ」


 でも悔しい。

 こんなやつに負けたくない。

 もう一度立ってこいつをやっつけてやりたい!

 動いて、私の体、動いてよぉっ!


氷鋭槍グラ・スピアー


 気力を振り絞って顔を上げると、スカラフの手にさっきの氷刃とは比べ物にならない、槍のように長く先端の尖った氷欠が握られているのが見えた。

 あんなので攻撃されたら串刺しになってしまう。


「やめろおっ!」

「ちっ、馬鹿野郎!」


 スカラフの背後、ジュストくんが絶叫を上げて走ってくる。

 倒れていたダイも起き上がりゼファーソードを手にして飛んで来る。

 それよりも早くスカラフの手から放たれた氷の槍が私に迫ってくる。


 体は動かない。

 もうだめだ、たとえ自由になってももう遅い。

 死ぬ。刺されて、血がいっぱい出て、死ぬ。

 その事実は、はっきりとした実感を伴って認識された。


 怖い。

 やだ、死にたくない。

 助けて。誰か。

 ジュストくん。ダイ。私を守って!


 目を逸らす事もできない。

 スローモーションになった世界の中で私は飛んでくる氷の槍を目で追った。

 光が視界を覆い真っ暗になった。


 暖かい感触が私の体を包む。

 これは、人の体温……?

 目の前の映像が途切れたとき私は自分が死んだんだと思った。

 痛みもなくただ一瞬のうちに意識が途切れる。

 死ぬってこんなあっけないものなんだなぁ。

 なんて、他人事のように感じていた。


 違う、私は生きている。

 ぬめりとする液体が顔に触れる。

 そのキモチ悪い感覚が確かに私が生きていることを伝えてくれる。

 顔を伝うのが人の血だということに気づき、誰かが私に覆い被さっていると知った。

 私は考える間もなく跳ね起きていた。


「アンビッツさん!」


 お腹からとめどなく流血している狼雷団団長を抱き起こし、私は声を限りに叫んだ。

 なんで、どうして?

 私を騙そうとしてたあなたが、なんで私を庇ったのよ!


「無事、か……」

「喋らないで! はやく手当てをしないと!」


 氷の槍が私に届く寸前、彼は横から飛び込んできた。

 無防備な状態の私を身体を呈して私を守ってくれた。

 彼の体を貫いた氷の槍は後方の地面に突き刺さって消滅した。


「無駄だ。私は助からない……」

「何言ってるのよ! 国を強くして国民たちを救うんでしょ! こんなところで諦めてどうするのよっ!」


 薬草もなければ手当てをするための応急処置のための道具もない。

 傷の深さは素人目にもはっきりとわかる。

 早く処置しなければこのまま死んでしまう。

 たとえ誰であっても目の前で死んで欲しくなんかない。

 騙されていたことも、酷い事をされたことも、今はどうでもいい。


 私は彼の血を止めようと傷口を押さえた。

 溢れる血は止まらない。

 アンビッツの顔から生気が抜けていく。


「おい、もう……」


 いつの間に後ろに立っていたのか、ダイの声が背中に掛かる。

 振り向いて見上げた私を彼は苦い顔で見下ろしていた。

 わかっている。

 彼がもうが助からないってこと。

 けど諦めたくない。

 人が死ぬのを黙って見ているのなんて嫌だ!


「やさしいな、私はそなたに酷いことをしたというのに」

「喋らないでってば!」

「ごぼっ、ごっ」


 嫌な咳とともに吐き出される血。

 アンビッツは焦点の定まらない目で私を見上げた。


「すまない……理想に目が眩むばかりで、大切なものが見えなくなっていた。仕方ないと偽り、守るべき国民たちを苦しめた。引き返すこともできなかった」


 消え入りそうな声で謝る彼は私と最初に出会った時、ノルドの町で出会った頃のビッツさんに戻っていた。


「アンビッツ、さん……」

「自分が利用されていたと知りようやく過ちに気づく事ができた。だがすべては遅かった……この程度で罪が償えると思ってはいないが……」


 ごぽっ、と彼の口から血が溢れ、私の服を汚す。

 滲む視界のなか、最後に改心した彼の言葉を胸に刻む。


「申し訳のない事をした。いまさら信じてもらえないだろうが、子どもたちを犠牲にする気はなかった。全てが終わったら治療をするつもりだった」

「うん、うん」

「だが部下たちを生贄にしたのは事実。この命で償って――」


 ひょい。

 アンビッツさんの体が掴み上げられる。


「ちょっと。勝手に死んでもらっちゃ困るんだけど」

「ファースさん!」


 無事だったの?

 そういえば倒れてから姿を見てなかったような。

 い、いや、それよりアンビッツ、重症なんですけど。


「ファーゼブルの輝士……か」

「悪いけど死に逃げは許さないわよ。あなたは生きて反省するの」

「それはできん! 私が狼雷団事件の首謀者だと知れれば王家の信用は失墜し国内に混乱が生じる。頼む、クイントの民のためにも私を」

「うるさい」

「はうあ」


 掴みかからんばかりに詰め寄っていたアンビッツさんは首筋にファースさんの強烈な手刀を食らって意識を失った。

 けが人なのにひどい……

 ひょっとしてダイが容赦ないのってファースさんの影響?


「コイツの心配はしなくっていいわ。ぶっちゃけ傷は急所を逸れているし薬草も残ってる。応急処置は私がしておくから」

「まだかの? 久しぶりに体を動かしたことだし、もう少し遊びたいのだが?」


 スカラフの枯れた声が割り込んだ。

 腕を組み、余裕の表情でこちらを見ている。

 遊んでいるんだ。私たちなんかいつでも殺せる、そう思っている。

 気がつくとジュストくんも私たちの傍に来ていた。

 ファースさんは私たち三人にそれぞれ視線を向け、力強く微笑んでみせた。


「あんた達はアイツを倒しなさい。それで全部終わりよ」

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