59 許せない悪事

 ファースさんが出て行ってからビッツさんはしばらく何も言わなかった。

 怖い顔でなにか考え込んでいたので私も自分の部屋へ戻って寝ることにした。


 翌朝になってもう一度顔を出す。

 怪我はまだ完璧には癒えていないみたいだった。


「……薬草を使い切ってしまったな」

「あ、だったら私が買ってきますよ」

「済まぬ」

「いいですよ」


 怪我は私を庇ったせいでもあるんだし。

 お金は戻ってきたからまだ余裕あるしね。




   ※


 ヴィチナードの町は小さいけれど田舎と言うほどではない。

 ノルドの町のような街の中心になるような商店街はなく、入り口辺りにいくつかのお店が立ち並んでいる。

 一人で歩きながらいろいろと考える。


「なんか大変なことになっちゃったなぁ」


 考える事が多すぎて何一つまとまらない。

 この国がいまとても大変だってことはわかる。

 家に帰りたいとも思う。

 でも今の私がやるべき事は一つだけ。

 ジュストくんを探し出すこと。

 何度考えてもその結論は変わらない。


 気がつくと町の出口まで来ていた。

 ボーっとしすぎて薬屋を通り過ぎちゃったみたい。

 踵を返し来た道を戻ろうとした時。


「お願いします、薬を、これ以上は持たないんです!」


 切羽詰ったような男の人の声が聞こえてきた。

 民家の前で中年のおじさんが地面に這い蹲り頭を下げている。

 見下ろしている方の男の服装は例の狼のジャケット。

 狼雷団だ。

 この町もあいつらの勢力下らしい。


「言ったはずだぜ、次に納期を逃したら次からはナシだってな」

「お金なら用意しました! 先月の分と今月の分! これからは必ず期日を守ります、だから、だからどうか」

「しつこいってんだ……よっ!」


 必死に頼み込むおじさんの肩口を狼雷団の男が蹴り飛ばした。


「恨むなら金も満足に払えねえ自分のふがいなさを恨むんだな」


 男の人は呻き声を上げて蹲る。

 顔を伏せながら、お願いします、お願いしますと祈るように繰り返す。

 そんな彼を狼雷団の男はもう一度蹴り飛ばそうと……


「やめなさい!」


 まったく反省の色がないのは自覚している。

 けど見ていられるわけがない!

 狼雷団の男はこっちを一瞥しただけ。

 男の人を蹴り続けるの止めようとしない。

 その態度に腹が立ってもっと大きな声を出すため息を吸う。


「こんな町中で乱暴して人を呼びま――」

「お嬢ちゃんは黙っててくれ!」


 私の声を遮ったのは狼雷団の男ではなく。地べたにはいつくばっているおじさんの方だった。

 瞳いっぱいに涙を浮かべ泥交じりの顔で怒りも露に私を怒鳴りつける。


「お願いだから、余計なことはしないでくれ……」


 えっ、えっ?

 どうして私が怒られるの?

 あまりの事に頭が混乱したのと、おじさんの迫力に押されてそれ以上何も言うことができない。


「ちっ。とにかく今月はもうダメだ。もしガキが生き延びたら来月また売ってやる。ただし今度からは五割り増しだ。文句は言わせねえぞ」


 狼雷団の男はつばを吐き捨てるとおじさんの腹に渾身の蹴りを食らわせて立ち去ってしまった。


「だ、大丈夫ですか?」


 傍にしゃがみ込んで背中をさする。

 おじさんは地面に伏せたまま顔を上げずに嗚咽をこらえるばかり。

 いまのは間違いなく狼雷団だった。

 このおじさんがあいつらと揉めているのは見ればわかる。

 けれど一体何が起こっているんだろう。

 あんなやつらに頭を下げて、なにが……


 ふと差し込んだ影に振り向く。

 私の後ろにはいつの間にかビッツさんが立っていた。

 その瞳に悲しみの色を湛えて。


「泣かないでくれ」


 どことなく上品な響きに聞こえたのは彼が王子様だと知ったから?

 おじさんはそれでも顔を上げなかったけど、次に続いた言葉に強く反応する。


「クスリなら持っている。少しならば分けることもできる」


 おじさんが涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げた。

 信じられないものを見るような表情でビッツさんを見る。

 ビッツさんは懐から何かを取り出して彼に差し出た。

 おじさんはそれを色々な角度から眺め、やがて表情を綻ばせた。


「あ、ありがとうございます。どこのどなた様かは存じませんが……」

「礼は良い。それよりそなたの帰りを待っている者がいるのだろう」


 おじさんは何度もお礼を言い手渡された物を握り締めて一目散に角の家へと入っていった。


「あの、いまの人に何を渡したんですか?」


 目まぐるしい展開に状況が飲み込めない。

 私の声に振り向いたビッツさんは見たこともないほど冷たい瞳をしていた。

 その表情に強い怒りを感じて思わず後ずさる。

 彼は低い声で言った。


「見ておくがいい、今この国で何が起こっているのかを」 




   ※


「大丈夫だ。もう苦しくないからな」


 ベットに伏せて息を荒げている小さな女の子の手をぎゅっと握り締め、おじさんは心から安堵したようにささやいた。

 女の子の呼吸が整い始めて安らかな寝息を立始める。

 おじさんはこちらを向いて頭を下げた。


「本当に感謝の言葉もございません。殿下は娘の命の恩人です。このご恩は私の命に代えてでも必ず、必ずお返し致します」

「恩を感じる必要は無い。元はといえば国民の平和すら満足に守れぬ、不甲斐ない我々為政者たちのせいなのだから」

「いいえ、いいえ」


 自嘲気味に言うビッツさん。

 おじさんは首を横に振った。


「粗末ですがお茶を用意いたします」


 そう言って部屋を出ていくおじさんの背中を見送ってからビッツさんは暗い声で話し始めた。


「これが狼雷団のやり方だ」


 現状を知るには一番てっとり早いとビッツさんは私をさっきのおじさんの家へと連れて来た。

 おじさんは突然現れたのが自分の国の王子様だと知って驚いていたけれど、子どもが助かって本当に嬉しそうだった。


「見よ」


 ビッツさんはベッドを捲って眠っている女の子の手を外気に晒す。


「ひっ」


 それを見て私は小さく悲鳴を上げた。

 女の子の手は見るからに毒々しい紫色に染まっている。


「狼雷団は邪悪な術を使って勢力拡大を図っている。抵抗力が弱い子どもに呪いかけて病を発症させ、進行を食い止める薬を法外な値段で売りつけて資金を稼いでいるのだ」

「ひどい……」

「薬は病の進行を抑えても治療はできぬ。しかし薬を打たねば必ず死ぬ」


 親の弱みに付け込んでいつまでもお金を払わせ続けようとする。

 こんな小さな子を利用した資金稼ぎなんて。

 信じられない。

 ううん、絶対に許せない。


「この町だけでない、国内東部の五つの町で同じようなことが行われている。五十人近い子らがこうして実質的な人質とされているのだ」


 初めてこの町に入ったときは活気がない暗い町だと感じたけれど、これが原因だったんだ。


「どうしてこんなことが許されてるんですか」


 あまりの怒りに言葉が自然に漏れた。

 これだけ酷いことをしてるのに、この国の治安を守る人たちは一体何をやっているんだって。

 話しているのがこの国の王子様だってことも忘れて。


「もちろん討伐隊は何度も派遣した。やつらを町から追い払うことに成功した例もあるが、ほとんどが返り討ちになった。クイントには輝攻戦士も高位の輝術師もおらぬ。エヴィルを操る狼雷団にこの国の輝士たちは手も足もでないのだ」

「だったら!」


 そこまでわかっていて、なんで!


「どうしてファーゼブルの力を借りないの? ファースさんも討伐する理由は十分にあるっていってた! クイント王国が要請すればすぐにも輝士団が来てそいつらをやっつけるのに!」

「それはできぬ」

「どうして!?」


 ファーゼブルには輝攻戦士もいるし高位輝術師だっていっぱいいる。

 地方を統括して平和を保つのが大国の責任なんだから、この国の王子様が頼めばすぐにやって来てくれるはずなのに。


「そうすれば我らはもっと大切なもの失うことになる」


 王子様はすぱっと一言で斬って捨てた。

 なにそれ……

 大切なものを失うってなに。

 どうして助けを求めるのがいけないの?

 苦しんでいる子どもたちを見捨ててまで守りたいものってなによ。


「そなたの目にも私は情けない男に見えるか」


 呟いたビッツさんの声を聞き、私は熱くなっていた自分に気づく。

 彼の視線、女の子を見る目。

 それは深い悲しみ。

 辛くないはずはない。

 一番つらいのはビッツさんかもしれないのに。

 私ってば無神経になんてことを。


「ご、ごめんなさい、私……」

「ともかく救援要請はできない」


 ビッツさんが腰を上げ立ち上がる。


「すまないが今はこれ以上話したくない。この国がどれだけ危険な状況にあるかを理解して欲しかった」


 ちょうどお茶を持っておじさんが戻ってきたけれど、ビッツさんはいただくのを断って部屋を出た。


 ……ビッツさんが恐れているのは、いったいなんなのかな。

 宙に浮いた疑問を私は自分に投げかけてみた。

 けれど苦しんでいる子たちをこのままにしておいていい理由なんて、いくら考えても思いつかない。

 ベッドがもぞもぞと動く。

 女の子が目を覚ましたみたい。


「おとうさん……おきゃくさん?」


 弱々しい、今にも嗄れてしまいそうな声。


「そうだよ。寝てないで大丈夫か?」

「うん、だいじょぶ。ねつ下がったみたいだから」


 辛そうな仕草で懸命に笑ってみせる女の子を見ていると胸が張り裂けそうになる。

 おじさんは女の子の紫色に染まった手を握って悲しげな微笑を浮かべながらささやいた。


「もうすぐ治るよ。あともうちょっとの辛抱だ」


 無理に微笑むおじさんは知っている。

 女の子の病気が決して治らないことを。

 狼雷団をなんとかしないかぎり町に平和は訪れないってことを。

 けれどこの人にはそれをするだけの力はなく誰かに頼るしかできない。

 肝心の国にも現状を変えるだけの力はない。

 

 だったら力のある人が、なんとかできる人がなんとかしなきゃ。

 理由はわからないけどファーゼブル王国に救援を求めることはできないらしい。

 だったら――

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