56 王子

 夜明け前に出発して、太陽が頭上に来る前には山を下りた。

 日が傾き始める前に街道に出られたのは幸運だった。

 通りかかった馬車の人たちと交渉して次の町まで乗せてもらった。

 交渉したのはファースさんだ。

 馬車に揺られること三時間。

 日が暮れるころに私たち三人は次の町に到着した。


 ヴィチナードの町。

 ノルドの町よりもさらに規模が小さく、少し歩けば端から端まで行き着いてしまえる程度の田舎町……っていう言い方は住んでいる人に失礼かな。

 でもなんて言うか道を行く人はみんな暗い顔してて活気がないって印象。


 ここはもうクイント王国に入っている。

 この国では王都を除けばこのくらいの規模の町は普通らしい。

 私たちはまっすぐに宿屋へ向かった。


 一日ぶりのベッドがとても恋しい。

 やわらかそうな白いシーツを目にしたとたん吸い込まれるように倒れ込む。

 初めての野宿で体の節々が痛んでいたから喜びもひとしおだよ。


「寝転がる前に汚れを落としてきたら?」


 ファースさんに言われて初めて全身が汗と埃と泥でべちゃべちゃな事を思い出した。

 少し恥ずかしくなって二人に断って先に入浴させてもらうことにした。


 湯船に浸かりながら考える。

 ファースさんの目的はなんなんだろう。

 突然の再開と爆弾発言。

 ビッツさんはなにも説明してはくれなかったし、ファースさんも詳しく教えてくれなかった。

 本人に聞けという事らしい。


 正直言って彼女はいろいろと怪しい。

 それでも私たちは彼女と一緒に行くしかなかった。


 歩くのは得意だけどさすがに疲れが溜まっている。

 ビッツさんもほとんど回復していない。

 いまいち信用できなくても彼女の輝士証は確かに本物だ。

 マウントウルフをあっさり全滅させた力もある。

 彼女を頼るかどうかで、ここまで無事に辿り着ける可能性はずいぶん変わっていたと思う。


 昨日の夜も結局ファースさんに見張りを任せて眠ちゃったし。

 疲れていたとは言え本当にもっとしっかりしなきゃ。

 いつまでも人に頼ってばっかりじゃなくて輝術も練習して完璧に使えるようにならなきゃね。


 お風呂から上がって返してもらった服に着替えて部屋に戻る。

 途中でお風呂に向かうファースさんとすれ違い馴れ馴れしげに肩を叩かれた。


 部屋でビッツさんはベッドに腰掛けていた。

 上半身は裸。ズボンの裾を膝まで上げ磨り潰した薬草を傷口に当てている。

 私は彼の隣に腰掛けた。


「大丈夫ですか?」

「ああ、迷惑をかけたな」


 それっきり黙ってしまい気まずい沈黙が流れる。


「……驚いているだろう」


 薬草を傷口から剥がしながらビッツさんが言う。

 だいぶ小さくなったもののまだ傷口は塞がっていない。


「い、いいえ。ビッツさ……じゃなかった。アンビッツ王子さまにもきっと何か事情があらせられるんでしょうしっ」


 はう、声が上ずってしまった。

 目の前にいるのは一国の王子様。

 これまでのように気安く話かけることはできない。


 とか思っているとアンビッツ王子さまがくすりと笑った。


「畏まる必要はない。これまで通りビッツと呼べばいい」


 昨日と変わらない笑顔。

 そうは言ってもやっぱり王子様と思うと緊張しちゃう。

 なんと言えばいいかわからず黙っていると、怒っていると勘違いしたのかビッツさんが表情を引き締めて言った。


「騙していたのは事実だ。すまぬ」

「そ、そんなことはないですよ」


 ビッツさんは再び傷口に薬草を塗る作業に戻った。

 その様子をじっと見つめていると、今のビッツさんがとても露出の高い格好だということに気づいてしまう。


 ――ふふ、いいね。


 服の上からでは分からなかったけれど思っていた以上に鍛えられた身体。

 腕は太く胸板も逞しい。

 中等学校以降女子校で育った私には縁の無かった男の子の体。

 無骨なのにとっても魅力的で思わず吸い寄せられるように手が――


「あーいい湯だったーっ!」


 盛大な音を立ててドアが開きファースさんが部屋へ入ってくる。はやいね!

 私は慌ててビッツさんから距離をとった。


「あらあ? お楽しみだった? 邪魔しちゃったかしら」

「ち、ちちち、ちがうんです!」


 わ、わたしっ、何をしようとしていたの?

 つい思わずふらふらーっと身体がね。勝手にね。


「あの、薬草がビッツさんの怪我が大変で、とってあげようと」


 普通にしていればいいのに必死に取り繕おうとするから余計に怪しく見えてしまう。


「はいはい。いいわね若い子は」

「だから違うんですー」


 ビッツさんが口元を隠して吹き出した。

 ああ恥ずかしい。

 まあいいや。それよりも。


「で、どうする。あなたも軽く汗流してくる?」

「いや後でよい」


 ビッツさんは薬草を当てていた患部を彼女に見せた。

 傷が癒えるまでお湯につかるのは控えたほうがいいかもしれない。

 絶対に染みて痛そう。


「じゃあ治療は続けながらでいいからちょっと話をしましょうか」


 ファースさんは反対側のベッドに腰掛け足を組んで私たちと向き合った。

 先送りにしていただけで話さなければいけない事がある。

 好意的に解釈すれば彼女は私たちが落ち着いて話をできるようになるまで待っていてくれたのかもしれない。


「単刀直入に聞くわね。どうしてクイントの王子様がファーゼブル領内にいたのかしら?」

「狼雷団の調査のためだ」


 ファースさんの質問にビッツさんは即座に答えた。


「自国の不始末に端を発する問題をよそに押しつけるわけにはいかぬからな」

「王家の人間がお供もつけないで?」


 クイント王国がどういう国かは知らないけれど、たしかに王子様が一人で盗賊団の調査に出るっていうのはなんかへんな感じ。

 普通はそういうのって輝士の人がやるんじゃないの?


「アンビッツ王子の勇猛ぶりは耳にしているわ。けどこんなご時世に外遊はどうかしらね。要人が身分偽装して他国に潜入なんて下手したら国際問題よ?」

「それに関しては言い訳のしようもないが、それを言うならそなたも同罪ではないのか? ファーゼブル輝士が関所を避けて山越えなど聞いたこともない」

「言われてみればその通りね」


 くくく、と声を忍ばして笑うファースさん。

 相手が王子様だっていうのに全く遠慮がない。


「けれどこちらとしても理由があるのよ。うちで出た犯罪者がよその国に潜んでいるっていう大っぴらにできない事情がね」


 ギクリとした。

 それってひょっとしたら私のことなんじゃ……


「は、犯罪者って、ファーゼブルのですかっ」


 上ずった声でたずねる私。

 ファースさんの視線が向けられた。

 彼女は笑っていた。

 その表情からは彼女がどういうつもりなのかはわからない。


「そう、私は国外情勢専門の調査員だからね」

「はっきりスパイと言ったらどうだ」


 ビッツさんのキツい突っ込みにもファースさんは動じなかった。


「平たく言っちゃうとね。けれど国外に逃げた犯罪者を秘密裏に捕らえられればそれに越したことはないの。大国のメンツもあるしね」

「つ、捕まった犯罪者は、どうなるんですかっ」


 はっきりと言ってくれないファースさんに私も遠回りに尋ねてみた。


「まあ逃亡した上に国際問題スレスレのことをやってるから、罪は相当に重いわね。場合によっては調査員が始末をつけることも認められてるわ」


 え……始末?

 殺されちゃうってこと?


「ま、そこまで酷い犯罪者なんてめったにいないけどね」

「じゃ、じゃあ……」


 罪の大きい場合。私の場合は? 


「たとえば輝士宿舎に忍び込んで輝士を輝術で傷つけた上、輝動二輪を奪って逃げたとかはどうなりますか?」

「そんなの死刑にきまってんじゃない。国外に逃亡しなくたって同じよ」


 あう。

 わかっていたことだけどはっきり言われると物凄い絶望感。


「あの……昨晩見てましたよね。私が輝術を使うところ」

「ええ。あなた天然輝術師でしょう。実際に見たのは初めてだわ」


 目の前が真っ暗になった。

 ファースさんは私の名前を知っていた。

 フィリア市での私は単なる一般人で何の変哲もない女子学生。

 輝士の人に名前が知られているはずなんてない。

 ましてや彼女とはノルドで会ったのが初対面だ。


 それはつまり私がフィリア市を脱走したということはすでに知られていて、捜索の命令が出ているということ。

 脱走するとき私は輝術を使った。

 夢中だったけれど確かに火の玉を発生させて輝士の人にぶつけた。

 顔は見られていないからバレていない。

 そんなのは甘い考えだった。


 それを差し引いても天然輝術師は存在自体が罪。

 私は彼女の前で輝術を使ってしまった。

 こうして彼女が私の目の前にいる以上もはや逃げ場は無い。


「ちょっと、なにさっきから難しい顔してるのよ」

「私……殺されるんですね」


 できるだけ平静に言ったつもりだったけど声の震えはとめられなかった。

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