49 山越え

 右足を前に出そうとした瞬間、私は木の根に足を取られた。


「おわわっ」


 転ぶ!

 と思って両手を突き出した私の身体をビッツさんが支えてくれる。


「大丈夫か?」

「あ、ありがとう」


 お礼を言って顔を上げると彼の顔が目の前にあった。


「どうした?」


 はっ。

 私は慌てて視線を逸らす。

 だって、こんな間近に男の人の顔があるなんて。

 ビッツさんはカッコいいしオマケに優しくて……

 その気はなくても見とれちゃいそうになる。


「怪我には気をつけよ。傷口から思わぬ毒が入り込むこともある」

「う、うん。ごめんなさい」


 ゆっくりと彼から離れ呼吸を整える。

 わわ。心臓がドキドキいってるよ……じゃなくって!

 転びそうになるのもこれで三回目。

 タダでさえ迷惑かけてるんだからこれ以上彼の手を煩わせないようにしなきゃならないのに、どうしてこうドジっちゃうんだろう。


 私たちはいまファーゼブルとクイントの国境にあるグイーダ山中を歩いている。

 高い木に囲まれた中に自然に踏み固められた小さな獣道があるだけで、もちろん足下は舗装なんかされていない。

 人ふたりが何とか通れるくらいに細い道を草木かきわけひた進む。

 本当だったらいまごろ馬車に乗って山向こうの街道にいるはずの私たち。

 こんなハードな道を通る羽目になってしまった理由とは!?


 はい私のせいです。

 ビッツさんにコスタの手綱を任せつつミミカさんたちとおしゃべりしながらの旅は順調でした。

 昼過ぎには関所にたどり着いたけど問題はそこで発生しました。

 関所を通るのには通行証が必要だったのです。


 都市生まれだっていう身分証明さえできればノルドの町で発行してもらうこともできたんだけど、今となっては後の祭り。

 犯罪スレスレの方法で街を飛び出した私が素直に身分を明かせるわけもない。


 通行証がなければ関所は越えられない。

 途方に暮れている私にミミカさんがこのルートを教えてくれた。

 関所を迂回する山道なら通行証が無くっても国境を越えられる。

 ミミカさんたちも通行証を手に入れる前はよく使っていたらしい。

 旅を始めたばかりのころは素直に身分を証明できるような状況じゃなかったんだって。


 通行証がないのは私ひとりだけどたった一人で山道を往く度胸はない。

 戻るべきか行くべきか悩んでいると、ビッツさんが徒歩での山越えに付き合うと言ってくれた。


 こうして私たち二人は山道を行くことになったのです。

 餞別にとミミカさんたちが数日分の食料をわけてくれたのが嬉しかった。

 クイント王国に入ったら輝動二輪を売ってお金持ちになるからこれくらい安いものだって。

 ところで一つ気になる事があるんだけど。


「こうやって横から通れるなら関所っていらなくないですか?」


 迂回するのは面倒だけどこんな横道があるなら誰でも国境を越えられる。

 そうなると関所が存在する意味がわからない。

 ビッツさんは私の疑問に丁寧に答えてくれた。


「国境というのは互いの領土を分ける境だ。国家の玄関口として形式上は関所を設置しておく必要がある。どちらの国も身分が証明できないような人間が無制限に流出してはたまらんからな」


 ごめんなさい、身分を証明できないのは私だけなんだよね。


「それこそ変じゃないんですか? 悪い人や他所の国のスパイなんかも素通りできちゃう」

「その方が双方にとって都合がいい場合もあるということだ。関所の通行許可はすべて大国側が決定権を持っているので完全に封鎖をすれば不満が燻る。非合法な手段で持ち込まれた物品や流入してきた人物が国家にとって有益に働くこともあるのだよ。彼女たちが密売する輝動二輪もクイントではかなりの貴重品になるだろう」


 つまりいろんな意味での抜け穴ってことらしい。

 ふーん。なんてうなずいてみるけど悪いことを見過ごすのがどうして良いことになるのかわからない。

 ま、おかげで私は助かったから別に良いけどね。

 それにしてもビッツさん、とっても博識だ。


「もっとも危険な道ゆえ山賊の出没もありうる。気軽に通れるというわけではないぞ。身分が証明できるのなら関所を通る方が良いのは間違いない」

「山賊!?」


 ほ、本当にそんなのがいるんだ。

 小説で山賊を主役にした作品を読んだことはあるけど悪い人からお金を巻き上げる義賊の話だった。

 そんなのはお話の中だけで実際には恐ろしい犯罪者集団だってことくらいは私にもわかる。


「心配するな。私がそなたを危険な目に合わせはせぬ」


 ビッツさんは自信たっぷりの表情で腰に差した剣の柄を握って見せた。

 そう言えばジュストくんにも言われたっけな。

 君は僕が守る、って。

 もしかして私って思わず守りたくなっちゃうタイプの女の子かしら?

 ごめんなさい調子に乗りました。


 ビッツさんの強さは知らないけれどこれだけ自信があるなら頼りにしちゃってもいいよね? 

 用心棒みたいなマネさせちゃって悪いとは思うけど。


「……ルーチェ」


 突然ビッツさんが顔を近づけ真剣な表情で見つめてくる。

 なに? どうしたの? そういえば名前で呼ばれるなんて初めて……。

 がばっ。


「あひゃっ?」


 うわ、何っ? 何が起こったのっ?

 ビッツさんが突然私に抱きついてきた。

 そのまま押し倒され私たちは重なり合ったまま茂みに倒れこむ。

 バックが肩からはずれ中身が散らばった。


 な、なななななっ? 何なのっ?

 ももももしかして、もしかして、ビッツさん、私に、私を、あわわわわっ。

 そ、そ、そりゃビッツさんも男の人だし私は一応だけど女の子で男女が二人っきりでいるってことはそういうこともあるかもしれないけどちょっと突然すぎるんじゃないのっ?


 い、いいいや私は別に、その、何も知らないお嬢さんってわけじゃないし。

 興味もあるけどこんな所で、心の準備もできていなのにっ。

 っていうか私、すごいマヌケな声出しちゃって。

 男の子はもうちょっと色気があった方が喜ぶって聞いたから、だとすると私なんかでもその気になるのかなって心配になるし私なんかであんまりスタイルもくないしナータなんかと比べたら全然みりょくもないだけどっ。


 いやいやダメダメ! なに考えてるの!

 私はそんなにお尻の軽い女じゃない!

 そもそも私はジュストくんに会うためにこうして出てきたわけで、それなのに二日目にして別の男の人にドキドキするとか最低じゃない!


 けど何を言ってもこの状況じゃ逃れられそうにもない。

 力づくで抑え込まれたら男の人に勝ち目もない。

 これまで世話になったお礼もあるし、彼が最初っからこうなることを想定していたとするならここはもう覚悟を決めるしか……


「あの、ビッツさん、私……」


 ……だめ、やっぱりダメ!

 ジュストくん以外の人にされるなんてそんなの――


「しっ、静かにせよ。近づいてきている」


 口元を手で覆われた。

 ああ、おっきな手。これが男のヒトの手。

 って近づいてきてる?


「ちっ、見失ったか」

「おい本当にいたのか?」

「ああ、あの派手な頭は間違いなく昨日の女だ。例のガキも近くにいるだろう」


 な、何、この声。


「気づかれると面倒だ、しばし隠れてやり過ごすぞ」


 私はコクコクと首を振って理解を伝える。

 声を聞く限り相手は二人組。

 私は全然気づかなかったけどビッツさんはいち早く察知してとっさに茂みに隠れたんだ。

 うわっ、変な想像してた私バカみたいだっ。


 山賊は話をしながらこちらに近づいてくる。

 小声で内容までは聞き取れないけれど、どうやら誰かを探しているらしい。

 片方は弓矢を背負っている。

 もう片方は大きめの剣で草を払いながら油断無く辺りを見回している。


「しかしなんでガキがそんなすげえモノ持ってるんだよ」

「知るか。どっかから盗み出したか奪ったんだろうぜ」

「……今だ!」

 二人組が私たちの隠れている茂みの前まで来たところでビッツさんが勢いよく飛び出した。

 剣を持った男の背後にまわり銅剣で後頭部を叩く。

 鈍い音と共に剣を持った男は声も上げずに悶絶した。


「なっ、何者だっ!」

「山賊に名乗る名などない」


 弓を持った男との間合いを詰める。

 鳩尾に肘が入る。

 弓の男はなすすべも無く昏倒して仰向けに倒れこんだ。

 や、やった! ビッツさん強いっ。




   ※


 あっという間に二人の山賊をやっつけたビッツさんは彼らの着ていた服の袖を破ってその布で両手両足を縛った。

 気絶していることを確かめてからゴロリと地面に転がす。


「これで目が覚めてもすぐには追っては来ないだろう」

「す、すごい慣れてるんですね」

「武術の心得は多少なりともある。山賊などに負けはせぬよ」


 心得があるとはいえ二人相手にこれだけあっさり勝っちゃうなんて。

 ビッツさんってかなり強い? 

 やっぱりミミカさんの言ったとおり特別な身分の人なのかもしれない。


「やっぱり山賊なんですか、この人たち?」


 私は転がされた二人組みを見下ろし尋ねる。


「私たちを狙っていたのはまず間違いないだろう」

「このままにしておいていいんですか?」

「武器さえ奪っておけば放っておいて問題ない……ああ済まぬ。荷物をばら撒いてしまった」


 そう言って彼は茂みの中に戻りちらばったバックの中身を集め始めた。

 私もそれを手伝いながらこれだけのことを終えて汗一つかいていない彼の横顔を眺める。

 ビッツさん、カッコいいなあ。

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