47 機械のない夜
ビッツさんの泊まっている場所は町の中央部にある大きめの宿だった。
お金持ちなのかずいぶんと上等な部屋を借りている。
「私は隣の部屋にいるのでなにかあったら呼んでくれ」
「はい……あ、あの」
自分の部屋に戻ろうとするビッツさんを呼び止めて訪ねた。
「どうしてこんなに良くしてくれるんですか? 初対面なのに……」
宿代がわりに体で払え……なんて万が一にも言われたら一目散に逃げるつもりだったけど、そんな想像が失礼だったと恥じるほどに彼の態度は紳士的だ。
宿に着くなりビッツさんはフロントから鍵を受け取ると、マスターキー以外に予備がないことを確認させた上で私にそれを渡してくれた。
疑うのは良くないけど荷物を盗まれたばかりなのでどうしても警戒してしまう。
「可愛い娘が困っているのを放っておくわけにいかないだろう?」
「かわっ……」
そんなことをなんのてらいもなく言う。
か、かかか、可愛い? 私が?
わあ。そんなこと真顔で言われたらっ。
それもこんな綺麗な男の人にっ。
どどど、どうしよう。照れちゃうぞっ。
「安心せよ、神に誓って下心などない。ゆっくりと疲れを癒すがよいぞ」
慌てている私に背を向けるとビッツさんは自分の部屋に行ってしまった。
冗談……だったのかな?
うん、そうだよね。私なんてそんな特別美人なんてわけでもないのに。
きっとビッツさんは困っている人を放っておけない優しい人なんだ。
申し訳ないけど今日はその優しさに甘えよう。
必ずいつか恩は返しますから。
もらった鍵で部屋の戸を開けて中から鍵をかけると、備え付けのベッドに腰を下ろしてため息を吐いた。
今日はいろんなことがあったし、いろんな人に会った。
はじめての外の町。
いんちきな武具屋や盗人女。チンピラに性格最悪な男の子!
けれど最後にビッツさんに会えたのはよかったなあ。
ジュストくんと行き違いになったのは悲しいけれど、これくらいのことじゃ諦めないぞ。
がんばれ、ルーチェ。おー。
気合を入れてみようにも声にならない。
一旦布団に沈むと疲れが一気に襲ってきた。
ああせめてお風呂に入らなきゃ。
そんな意識はすぐに掻き消え、私はいつの間にか眠りに落ちていた。
ふと目が覚めると部屋の中は暗かった。
星明りだけが小さな窓から差し込んでくる。
私はベッドから起き上がり手探りで輝光灯のスイッチを探した。
思わず寝入ってしまったけれど、やっぱりお風呂くらいは入っておきたい。
とりあえず時間を確認しなくっちゃ。
「あれおかしいな……」
スイッチがなかなか見つからない。
普通はドアの近くにあるはずなんだけど。
暗くってよく見えない。
どうしても見つからないので明かりは諦めて廊下に出た。
廊下にも明かりはついていない。
夜だから仕方ないけれど、さすがに暗すぎて怖い。
歩いているうちに次第に目が慣れ始めてきたので手探りで階段を見つけて下の階に下りた。
洗面所を探すけれどこれもなかなか見つからない。
その内に明かりが漏れている部屋を発見したので思い切ってノックしてみた。
「はいよ」
おばさんの声が返ってきた。
私はおじゃましますと断って部屋の中に入った。
「なんだいこんな遅くに」
「あの。できたらお風呂に入りたいと思いまして」
あからさまに不機嫌そうなおばさんに恐る恐るお願いしてみると彼女は露骨に顔をしかめた。
「こんな夜中に風呂なんて沸かせるわけないだろ。どうしても入りたかったら自分で薪をくべて入ってくれ」
まき?
「まきって何ですか?」
おばさんはいぶかしげな表情で私を見て呆れ顔になる。
「なにって薪は薪だよ。燃料もなくってどうやって火をおこすんだい」
なんだかよくわからないけれどお風呂に入るのは無理みたい。
まあいいや、こんな時間にわがままをいうものじゃない。
でもお風呂は諦めるとしてもせめて歯くらいは磨きたい。
「じゃ洗面所はどこですか?」
「裏に井戸があるからそこから汲んでおいで」
「井戸って……え? 水道の蛇口はないんですか?」
「寝ぼけてんのかい。そんなものあるわきゃないだろう」
言われて思い出した。
そういえばここはフィリア市とは違うんだ。
輝光灯はおろか水道すらないなんて……
私は謝って部屋に戻ることにした。
暗さに慣れた目で部屋に戻る。
天井を見上げると輝光灯など影も形もなかった。
変わりに六角形の透明な筒に屋根をつけたランプが壁に取り付けられている。
ためしに明かりを点けてみようと思ったけれど、やりかたがよくわからない。
諦めてもう一度眠りに就こうとベッドに横になる。
一度汚れを意識してしまうとベトつく体が気持ち悪い。
今夜はことさら熱帯夜だけれど、もちろん空調装置なんかなかった。
※
翌朝、目が覚めて一番にお風呂に入った。
巨大な樽みたいな浴槽に水を汲んで足元で火を起こしてお湯を暖める。
新鮮な体験で面白かったけど、ちょっと油断すると熱くなりすぎたり冷えすぎたりするので散々な結果になった。
なんとか汚れを落として食堂に向かうとそこにビッツさんの姿を発見した。
「よく眠れたか?」
「はい、おかげさまで」
相席した私にパンと卵焼きを差し出してくれる。
彼の善意はもう疑う必要も無いので私は遠慮なくそれを受け取った。
「旅をするのは初めてなのか?」
バターを塗ったパンにかじりつく私にビッツさんが話しかけてくる。
嘘をついている手前、あまり迂闊に自分のことを語るのはよくない。
わかっているけどこれだけ親切にしてもらって聞かれた事にも答えないのはあまりに恩知らずだ。
「つい最近まで町の外に出たこともありませんでした」
「若い娘の一人旅はなにかと大変だろう」
「はい」
実際旅は始まったばかりだけど、
そのうち慣れる……と思う。
というかそうあって欲しい。
このままじゃ旅どころか普通に生活するだけでいっぱいいっぱいだ。
「ところでこれからの予定はどうするのだ?」
そうだどうしよう。
ジュストくんがいないならこれ以上ノルドにいても仕方ない。
やっぱり魔霊山の麓にあるっていう施設を目指すしかない。
魔霊山はファーゼブル王国じゃなく近くの小国の中にあったはず。
えっと……あれ、なんて言う国だっけ。
やばいなんていう国だったか忘れた!
「私は隣のクイント王国へ向う途中なのだが……」
「あ、それだ!」
「どうした?」
「え、いや、彼が向かったのもその国だったって」
そうだそうだクイント王国。
ジュストくんと合流できなかったのは残念だけど、彼が向かう先はわかっている。
ならそこを目指せばどこかで会えるはずだ。
「ならば私と同行せぬか? 一人旅よりそちらの方が安心であろう」
「いいんですか?」
目的地が同じで信用できる旅の仲間ができるなら願ってもない話。
ちょっとは落ち着いたけど正直また一人になるのは心細い。
「こう見えても私は多少剣術の心得もある。用心棒くらいにならなれるぞ」
「でも本当に迷惑じゃないですか?」
「なに用心棒と言っても金銭はいらぬ。私としても一人は退屈なのでな、話し相手になってくれればそれでいい」
これ以上お世話になれないという気持ちが半分、素直に嬉しいと思う気持ちが半分。
しばらくの葛藤した末に後者の気持ちが上回った。
「じゃあよろしくお願いします」
この人は信用できる。
もう少し一緒にいてくれるなら、とても心強い。
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