4 放課後ショッピング

 フィリア市の南東部の丘に私たちの通う南フィリア学園がある。

 中庭を取り囲むような一号棟は赤い屋根とレンガの壁の歴史ある校舎。

 海側に面している窓からは広大なバストーク海が水平線のかなたまで見渡せる。


 天気のいい日には異郷の東大陸までがうっすらと見えることもあるし、一号棟のある東側以外はすべて森に囲まれていて主に実験施設や移動教室のある二号棟のすぐ裏手は森林になってる。

 校舎から続く石畳の道は中央の大きなグラウンドを迂回して豪奢な正門に続いている。


 住宅街へと続く緑のトンネルの坂道。

 森の中から聞こえるジリジリミンミンうるさい虫の声が夏を実感させるなあ。

 丘の上に吹く潮風も真夏の陽気で肌にベトベトと纏わりついてきもちわるい。


「暑くなってきたねぇ」


 ナータがブラウスの胸元を開けてハタハタと首元を扇いでいる。

 もう、いくら周りに人がいないからってはしたないぞ。


 でも本当……あっつい。

 汗で髪が額にへばりつく。私は前髪をかきあげ少しだけおでこを風に晒す。

 ナータは後ろ髪をかき上げてうなじを仰いでいた。


「やっぱうっとうしいわ。夏前に少し切っとこうしら」

「えーっ、もったいないよ。切っちゃダメ」

「ダメって……そういうルーちゃんこそもうロングにしないの?」

「だいたいいつも肩くらいで少し切っちゃう」

「もったいない。せっかくこんな奇麗なのに」


 ナータが私の頭を撫でる。

 ピーチブロンド桃色の髪は私が小さい頃に死んじゃったお母さん譲りらしい。

 そういえば夢の中の『あの人』も同じだった。

 でも髪の長さは全然違う。

 夢の中で私が自分だと思ってたあの人は腰まで届くほど長かった。

 そんな風になぜか自分の姿を外から見てるのに夢の中だと夢だと思わないから不思議だよね。


「私はほら、これくらいが似合うから」


 正直に言えば長いといろいろ面倒なだけなんだけど。

 洗うのとか汗かいたときとかね。

 それにしてもいつの間にか季節はすっかり夏なんだなぁ。


「はやく夏休みになればいいのにね」


 私は鞄からノートを取り出した。もちろんうちわ代わりにするために。

 あと一週間もすれば待ちに待った夏休み。

 学校がキライってわけじゃないけどやっぱり長いお休みって心が弾むよね。

 勉強しなくていいんだもん。

 ああ、今年は何をして遊ぼうかな。


「ルーちゃんは夏休み好き?」


 答えのわかりきった質問をするね。


「もちろん。毎日遊んじゃうよ」


 休み明けの二学期からは職業訓練の専門授業も本格的に開始される。

 辛い宿命を目前にした高等学校二年、二度とは来ない十七の夏。

 気軽に遊んでられるのも今年が最後。

 だったら目いっぱい楽しまなきゃね!


「ナータは楽しみじゃないの?」

「そりゃ楽しみだけど」

「だけど?」

「毎日学校でルーちゃんに会えないのは寂しいかも。部活もあるし」


 あはは。


「そんなの休み中もしょっちゅう会えるって」


 うれしいこと言ってくれるお礼にノートで扇いであげる。


「私はほとんど暇だからいつでも声かけてくれればとんでいくよ」


 まるっきり予定がないってわけじゃないけど剣闘部に所属してるナータに比べれば閑な時間も多い。


 私の親友インヴェルナータ。愛称はナータ。

 ツーサイドアップにした黄金の河のような細いブロンド。雪のように白い肌。透き通ったブラウンの瞳。桜の花びらみたいな唇。運動部らしくスマートな体型だけど女の子としての魅力もある、誰もが振り返る美少女。

 容姿だけじゃなく運動神経も抜群。

 剣闘部の二年生エースでおまけに成績も学年トップクラスの完璧少女。

 ナータっていうのはそういう娘。


 天は一人に二物を三物もまとめて与えるってことがよくわかるね。

 設定を作っている人はそんなに皆に振り分けるのがめんどくさいのかしら。

 ちょっとくらい分けてくれたっていいのにね。


 それに比べて私なんて絵に描いたような普通の女の子。

 成績も普通……より少し下だし運動神経もよくない。

 ナータと並んでいるのが不釣合いなくらい平凡だし。


 けどナータは私をからかっても見下すようなことは絶対にしない。

 十年来の友人だし、どっちが上かとかそういう事を意識するような関係じゃない。

 だから私も別に彼女に対して劣等感なんか感じていないし。

 ……そりゃ、ちょっとはうらやましく思えることはあるけれど。


「なぁに。ジッと見ちゃって。ひょっとしてあたしに恋してる?」


 そんなことを考えている間、無意識にナータのことを見ていたらしい。ちょっと照れたような表情で頬に手を当てていた。


「ルーちゃんのことは仲のいい友だちと思ってたけど、そういうことなら私……」

「ばか」


 私はナータの脇腹を軽く小突いた。そんな風に冗談を言って笑いながら私たちは夏の空の下を歩いていく。


 森を抜けて海岸へ向かう小道を海と逆方向へ。

 道は石畳から赤いレンガ敷きになって少し歩きやすくなる。

 しばらく歩くとフィリア大通りに出た。

 市内を南北に走る大通りで中央の黒い車路には輝動二輪きどうにりん輝動馬車きどうばしゃが通る。

 馬車が来ていないことを確認して道路の反対側に渡って丁字路から近所の商店街であるカルト通りに入る。


 丘の上を見上げると住宅街の向こうに輝鋼石が祀られている神殿が見えた。

 この辺りの建物の屋根は全て緑色で統一されている。

 中心には大きな広場があってその周りはちょっとした商店街になっている。

 市の中心部のルニーナ街に比べればずっと小さな通りだけど、それなりに活気もあるんだよ。


 私たちはアイスを買って食べ歩きしながら通りを歩いた。

 心地よい陽気に火照った体を冷たいアイスが癒やしてくれる。


 目的の店に着くとナータは店頭のゴミ箱にアイスの棒を捨てさっさと中に入ってしまった。私はまだ半分以上残っていたイチゴバーを一気に頬張って後を追う。

 ゆっくり味わう暇もない! 口の中が冷たい! むしろ痛い!

 店の中は輝光灯に照らされて外よりも明るいくらい。

 流行のロックグループの曲が流れている。

 新譜コーナーで目当ての風音盤レコードを手にしたナータはそれをレジに持っていくところだった。相変わらずてきぱきしてるなあ。


 ナータが会計をしている間、私は試聴コーナーで待っていた。

 長方形の黒い箱である風音機プレイヤーの蓋を開け隣に積んである試聴用の風音盤を落とす。

 スイッチを入れると風音機の中を風が吹き始めた。

 丸い風音盤の中心に空いた穴を風が通り音楽に変わる。

 ハリのある男声ボーカルを伴った楽曲が流れ始める。


 最初のサビが終わるあたりでちょうどナータが会計を終わらせたみたいでこっちに歩いてくる。

 風音機を止めて二人で風音屋を後にした。


 その後は映水屋を覗き機人戦記の映水球ボックスを衝動買いしようとしてナータに止められたり、本屋でファッション雑誌を立ち読みしたり、目的もなくぶらついた後はなじみの喫茶店に入った。


「ね、夏用の服買いに行かない? ルニーナ街まで」


 注文したコーヒーに砂糖を入れながら提案する。ちゃぷ。

 服屋はカルト通りにもあるけれど、ちょっとオシャレな服が欲しいと思ったらルニーナ街にまで足を運んだ方がずっと選択肢の幅が増えるんだよね。


「今から?」


 ナータはあんまり乗り気じゃないっぽい。ルニーナ街までは輝動馬車で三十分くらい。今の時間からじゃ帰りには夜になっちゃうかもしれない。


「明日でもいいけど」


 ちゃぷ


「じゃ明日にしましょ」

「うん、そうしよう」


 ちゃぷ。


「そうそう、ルニーナ街といえばこの前イイ店見つけちゃった」

「何なに? どんなお店?」


 ちゃぷ。


「ちょっと歩くんだけど品揃えの割には安いのよ。明日いっしょに行きましょ」

「そうだね。じゃ今日はこれからどうする? 家に遊びに来る?」


 ちゃぷ。


「そうね……ってかさ、それより」

「なに?」

「いい加減にしなさいよ!」


 怖い顔したナータにスプーンを持っていた腕を掴まれ砂糖がテーブルの上にこぼれてしまう。


「信じられない、なにするの!」

「そりゃこっちのセリフよ! 見てるだけで気持ち悪くなるわ!」


 十三杯目になる予定だった砂糖をテーブルナプキンで拭きながら私たちは威嚇しあう。


「甘い方が美味しいんだよ」

「限度があるわ! 糖分の過剰摂取で体こわすわよ」


 いいじゃない。いくらナータが甘いの好きじゃなくったって私の好みにまで文句言わないで欲しいよね。私から見ればたった三杯しか入れないナータの方が信じられないもん。


「ちょっとくらい多めに入れても大丈夫だよ」

「どこがちょっとだ!」


 そんなに怒んなくても……なんと言われようと私は甘い方が好きなんだからね。


「もう、好きにさせてよ。うるさいナータなんて嫌い」


 ピキン。

 ナータの顔が凍りついた。


「……わ、わかったわよ。好きにすればいいでしょ」


 しぶしぶ認めてくれるナータ。俯いた横顔が悲しそう。

 ちょっと言い過ぎたかな。


「冗談だよナータ。嫌いじゃないよ」

「わーってるわよ。何年友だちやってると思ってるの」


 ナータは照れながら自分のコーヒーに口をつける。

 その姿は名画のように美しく同姓の私から見ても魅力的なほどで、そんな彼女を傷つけるようなことを口走ってしまった自分が恥ずかしい。

 もちろん嫌いなんて冗談だよ。

 けど、どうしても譲れないときはそう言えば大抵ナータが折れてくれるのを私は知ってる。

 こんないい娘と友だちでいられるっていうのに、ずるくてごめんね。

 謝罪の意味を込めて彼女の手をそっと握って――


「熱、熱っついわ! 人がコーヒー飲んでる時になにするんじゃい!」

「あ、ご、ごめんなさい」


 またドジっちゃった……


「ごめんね、ごめんね。ナータ。ほんとは大好きだよ」


 ナータの手にこぼれたコーヒーを拭きながら私はもう一度謝った。


「は、恥ずかしいこと言わないでよ」


 ナータは顔まで真っ赤にしていた。うう、よっぽどコーヒーが熱かったんだな。

 火傷してなきゃいいけど。ほんとにごめんね。

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