第3話

 四月は他とは違い、役割が明確に与えられている十二カ月のうち稀有な月だと思う。学年が一つ上がり、進学し、或いは就職し。

そこにはきっと、新しい門出や旅立ち、そして出会いなんてものが待っている。

それらが複雑に交差して新しい環境に生まれ変わる、そんな時期だ。


そして学校においては入学式、始業式を迎える時期だった。

僕達三年生もクラス替えがあったが、文系理系に選択科目等がクラス編成に考慮されるため見知った顔も多く、そういった意味では新鮮味はあまりない。

僕と達哉と『彼』は再び同じクラスで顔を合わせることになり、そこには新しい出会いに胸を膨らますだとか、そういった期待等欠片もなかった。

とにかく僕等は最終学年である三年生なった。そして僕等が進級したということは新しい一年生が入学してくるということでもある。


別に先輩風を吹かそうなんて思っていなかったけれど、真新しい制服の一年生達を見るとどうにも微笑ましい気持ちになる。たった二つしか年は離れていないけれど、窓際の席から見える一年生の姿に、昔は僕達もああだったなんて謎の上から目線で感慨深くなっていた。

「なんつーか、昔の俺等を見てる気分。俺にもあんな時代があったんだよな」

 達哉も僕と似たような気分だったようで、窓越しから見える一年生の後姿をぼけっと見ながら爺臭くそう溢した。

「まあ達哉にあんな可愛げはなかったと思うけどね」

 同世代の中では大人びた顔の達哉は上級生に間違われる事が多かった。人怖気しない達哉はそんな同級生達の誤解を敢えて解かず、何時気付くのかドッキリ感覚で上級生を演じていた事もあった。

そんな光景を近くで見てきたものだから、緊張している一年生の姿と達哉の姿はまるで被る事がなかった。

「ああ、ありゃ面白かったな。最終的に五十嵐先生にバレて怒られたけどな」

 あっはっは、とあっけらかんと達哉は笑った。一年生の時は生徒指導員をしていた五十嵐先生に説教されて一時期苦手意識を持っていたくらいだが、その時の恐怖はけろりと忘れているらしい。

「あれ僕が庇ってあげて貸一にしたの覚えてる?言っとくけどその利子は今も積もってるからね。後は―――」

「そんな昔の事は知らんなぁ。そんな事より花見でも行かね?」

「うわ雑な誤魔化し方。……ああ、でも花見も悪くないかもね。今日は丁度晴れてるし」

 それこそ達哉に対する貸しなんてうず高く積もっているが、借金取りのように請求する程僕も偏屈ではない。それに気が付いた時に適度に回収しているから今更それについてどうこう言う気はなかった。だから僕は達哉の雑な話題逸らしと提案に乗っかる事にした。 


桜は満開を終えたけれど、まだまだ見頃だ。僕達はジュースとお菓子でも持ち合って川沿いで花見でもしようか。暫くしたら『彼』も誘って。

そんな事を窓から桜の見ながら呑気な事を話していた。

適当な雑談も一段落し、これからの予定も決まった。

「んじゃ、帰ろうか」

 そこはいつもの放課後だった。


何時もは三つ連なる影は今日に限っては二つ分しか存在しない。何時もは予定があっても校門か下駄箱で待ち合わせて一緒に帰ることが多かったけど、その日『彼』は一緒ではなかった。そこに大層な理由があったわけではない。

なんでも先日発売されたRPGゲームの先を進めたいらしく、僕達に一言残し足早に学校を後にしていた。サブカルチャーに傾倒していた『彼』はファンタジー要素が盛り込まれた小説やゲームの類が大好物で、しばしばそちらを優先する事があった。


僕と達哉にしてもそれに対して何か思う事はない。別に毎度のように約束を取り付けているわけではない緩い結束だったし、長年の付き合いで性格は熟知している。

こんな事はこれまでにもあった事だから、特に気にも留めなかった。

「あ、救急車」

「お、マジだ。四月も始まったばかりだってのに不運だな」

「警察も来てない?」

「あー、事故ったのか。まさかうちの学生じゃねえだろうな」

 僕達の隣をサイレンを鳴らした救急車やパトカーが通り抜けても思う事は特になかった。

頻繁にということはないが、救急車なんて外に出ていれば見かけるものだし。

……ましてやその救急車に『彼』が乗っていただなんて想像もつかなかった。


けれど言い訳をさせてもらうのなら、僕に限らずきっと誰だってそんなことは思わないはずだ。通学や通勤途中に遭遇した救急車に自分の家族や友人が乗っているだなんて、普通は考えない。何千何万も人がいる中で自分の知り合いがピンポイントで巻き込まれただなんて考えは早々浮かばない。

確率にしてみれば極々低いものだから、無意識のうちにそういう可能性を排除しているはずだ。


テレビを見れば、新聞を捲れば誰かの死で溢れている。画面や紙面の向こうではひっきりなしに誰かが死んでいるのだ。

けど結局は見ず知らずの第三者だから大した感想も抱かない。

ああまた死んでいるよ、まだ若いのに可哀想だとか。

そういった表層の情報だけで判断して。どちらかと言えば新聞の四コマ漫画やニュースの後のバラエティに関心があったくらいだ。

ニュースキャスターの無機質な言葉や新聞の文字の羅列だけでは死というものはあまりにも無味無臭で、それが本当に現実のものとして起こっているのか疑問を感じてしまいそうになる。対岸の火事など、本当に起こっているのだろうか。


……今よりもずっと幼い頃、葬儀に出席したことがあった。

僕が小学校に上がるよりも前の話だ。

当時の僕は人が死ぬという当たり前の事も理解しているか怪しいくらいの歳だったから、葬儀の意味も喪主である父さんが何故泣いているのかも分からなかった。

あれから十年以上経ったが、もしかしたらそれは今も同じなのかもしれない。

知識として人が死ぬことは分かっていても身近に死というものに触れたことがないから、曖昧なもので終わらせてきた。

それはきっと、悪いことではないけれど。

だから昨日まで元気にゲームについて熱く語っていたのに、突然交通事故で亡くなったなんて、そんなあっさりと受け入れることは出来なかった。

葬儀に参加して。真っ白な『彼』の顔を見て。泣き腫らす『彼』の両親の姿を見て。

ようやく麻痺した心にじわじわと浸透していったのだ。

『彼』はもうこの世にいない。もう二度と会うことができないのだと。


僕はその時、久しぶりに泣いた。人目も憚らず、さめざめと。

葬儀から数日の後、授業は再開した。

生徒一人が亡くなったというのは確かに痛ましい事件であったのだろうが、入ってきたばかりの新入生達にとっては共感しにくいことだったし、彼自身広い交友関係を築いているわけでもなかった。僕達のクラスもしばらくはぎこちなさがあったが、それも次第に風化してきた。

ああ、本当は、ただそれだけの話だった。

小さい時から付き合いのある親しい友人が亡くなったのは悲しい。

けれど、それは悲しいだけだったから。

ちらりと隣を盗み見る。険しい友人の顔が視界に入って、僕は直ぐに視線を逸らした。



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