童話「狐のお嫁さん」

@SyakujiiOusin

第1話

           童話 狐のお嫁さん


                              百神井 応身


 むかしむかし、人里離れたところに住んでいる若者がいました。

 若者は、年老いた母親とたった二人でしたが、母親をとても大切にし、仲良く暮らしていました。

 ご先祖様が残してくれた畑で、夜が明けてすぐから、陽が落ちて薄暗くなるまで、毎日せっせと働いて麦や蕎麦や野菜をつくり、日暮れてからは家の土間で藁を編んで、草履(ぞうり)や蓆(むしろ)や縄(なわ)をこしらえました。

 冬になって畑仕事ができなくなると、山に行って薪(たきぎ)とりをしたり炭焼きをして、一所けんめい働きましたので、豊とまではいかなくても貧しくはない暮らしを立てることができていました。

 畑にいくときも山にいくときも、無事に暮らさせて頂いていることに感謝して、手を合わせご挨拶することを欠かしませんでした。

 ある日、母親が熱を出して寝込んでしまいました。お医者さんから薬を買うのには、キツネが住んでいるといわれる稲荷坂(いなりざか)と呼ばれる山の長い坂を下り、帰りはその道を登って来なくてはなりません。

 これから出かけると、帰りはどうしても夜になってしまいます。

 稲荷坂は、夜に通ってはならないという言い伝えがありました。そのあたりに棲む狐に必ず化かされて、酷い目にあわせられるというのです。

 若者は、そんなことを心配してはいられませんでした。母親の具合のほうがもっと気がかりだったのです。

 案の定、帰りは夜になりました。暗い坂道を登っていると、目の前に子ぎつねが現れました。

「出たな。」と思いながら若者が身構えると、その子ギツネは「私はまだ小さくて、人を化かすような力はありません。ですからお願いするしかないのです」と、真剣な顔で話しかけてきたのです。

 話しをきいてみると、母狐が大怪我をして動けないでいるので、傷薬が欲しいのだというのでした。

「そうか、それにしては困ったな。今、医者から貰って来たのは熱冷ましだし」

「そうではございません。あなた様が腰に下げている傷薬を頂きたいのです」

「おおこれか。それならお易い御用だ。自分で薬草を摘んで作ったものだが、傷には良く効くぞ。持って帰って早くお母さんに塗ってあげなさい」

 若者は腰の薬入れをはずして袋ごと渡してやりました。

 家に帰ると、心配した母親が布団から起き上がっていたので、今あったことを話すと、

「それは良いことをしました。親を思う気持ちはキツネでも同じことです」と言って喜んでくれました。

 それから何年か過ぎ、母親も年老いてきました。

 口癖は「早くお前にもお嫁さんが来てくれて、孫の顔をみることができそうにないのが心残りでならない」でした。

 そんな或る晩、日暮れた扉をほとほとと叩く音がしました。出てみると若くて美しい娘さんでした。

「日が暮れてしまって難渋しています。一晩泊めて頂くわけに参りませんでしょうか」

「それはお困りでしょう。何のおもてなしもできませんが、よろしかったらどうぞ」

 母親は優しく言って、家の中にその娘を招き入れました。

 一晩と言ったのに、その娘は若者の家に住み着いてしまい、何くれとなく若者と母親の世話をするようになりました。

 何か事情があるのだろうと、二人とも詮索することなく、穏やかな日々が過ぎて行きました。

 何か月か過ぎたころ、夕餉の囲炉裏端で、娘が真剣な面持ちで口をひらきました。

「よろしかったら、私をこの家の嫁として迎えてくれませんでしょうか」

 母親が応えていいました。「しばらく一緒に過ごしましたが、こちらに異存はひとつもありません。勿体ない程の娘さんだと思います。でも、事情は分かりませんが、あなたの親御さんはどうなのでしょう?お許しを頂かなくてよいのですか?」

「はい、私が家を出るときに、母親に言われました。ここを出たら最後、決して後戻りはできないが、その覚悟はあるのかと。親と諍いをしたことはありません。私を信じて出してくれたと思っております」

 そうして、晴れてその家は嫁を迎えることができ、その後近所には家々が増えて、立派な村ができあがりました。


 嫁となった娘が、生涯口を閉ざして語らなかったことがあります。

 娘は、若者から薬をもらった子ギツネが成長したとき、その薬で助かった母親に強く願っての姿であったのです。

 母狐は、金毛九尾と言われる強大な霊力を備えるに至った狐だったのです。狐を人間に変えてしまうことはできるが、その術は一旦施したら元には戻せない。

親子の別れをしてでも果たしたいことがあったということであります。

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