書かれないこと、書かれること



 泉州のリビング・レジェンド、はー太郎・ザ・グレイトも今年で主婦歴十年目、今ではカニクリームコロッケだって作れるようになった。人間の可能性の深遠をここに見る思いがする。というのも、その昔、はー太郎は全く料理が出来なかったのである。そうめんがシマウマのように白黒になる、なぜか? という質問を受けたときにはその場にいた友人全員がびっくしりて昏倒した。つまりはー太郎は、そうめんを湯がく際に小鍋をもってし、しかも強火のまま、縁からはみ出したそうめんの端っこを焦げるに任せた、ということである。

「……あのな、そういうのはなるべく大きな鍋でするねん、ほんでな、それでも端まで浸からへん分はちょっとしてから押し込むねん」

 いち早く意識を取り戻して身振り手振りを交えて説明すると、

「押し込む? どうやって? 手ぇで?」

「何でもいい! 手でも箸でも!」

「そうなーん? 本にもそこまでは書いてへんかったわー」

 はー太郎はおっとりと頷き、ほなスパゲッティーが縞になるのもそれでなんやー、こっちは黄色と黒でトラやでー、と嬉しそうに教えてくれた。知らん、一生言うとけ、とわたしはジャワティーをぐいぐい飲んだ。

 ほかにも、当時付き合っていた男に、これを入れたらとりあえずなんでも美味しくなるから、と渡された味覇(ウェイパー)を肉じゃがに入れてさらに迷走、珍妙無双摩訶不思議風味にしてみたり、料理云々以前にみかんの皮をひとりで剥けなかったり、しつこいようだがほんとうにこのひとの逸話だけはジャンル無制限で枚挙にいとまがないのだった。オールラウンド型ネタ・マシーンなのである。


 しかしながら、実際何も知らない人にものを説明するというのはまことに大変なことで、はー太郎が参照した超初心者向けの料理の指南書にしても「なんぼ知らんいうてもこれくらいはわかるやろ」という前提のところでもう思い違いがあったから、はー太郎はそうめんをシマウマにしたのだし、「一から十まで」と言って「全て」を指すと考えるのは甘いのである。ここで必要なのはゼロの概念from天竺。無から一までの間に何があるのか、生まれた時点で一歳、という数え年の国で生まれた我々は一度見つめ直さなくてはならない。インド人と一緒に。ターバンも適宜巻け。

 「あたりまえ」と思われることは指南の先にあることで、わざわざには教示されない。パソコンの入門教室で「ではまず立ち上げてください」と言われたおとうさんがイスから立ち上がった、などというできた小話があるが、「全く知らない」という地点からの歩みはそういうことの連続であろう。だから我々は質問に懇切に答えてくれる師をすぐ傍らに必要とし、参考図説の図Aから図Bの間に起こるさらに詳細なプロセスを知ろうとする。今はまあYOUTUBEみたいなものもあるけれど、書物のみをもってする独習というのはやはり難しいことである。

 他方、そんなこと知ってるって、ということがばんばん書かれているものも、我々の周りには数多存在する。たとえばシャンプーのパッケージ。

「のみものではありません」

 知ってる。いや、ここでは書かれている内容が重要なのではなく、それが書かれているという事実に意味があるということは分かっている。責任とか訴訟問題とかの関係でしょ? それは分かっている。けれども分かった上で言う。知ってる。


「写真は盛りつけイメージです」

 生ハムのパック。

「開け口で手を切らないようご注意ください」

 ツナ缶。

「熱帯魚は別売です」

 水槽の広告。


 最近一番「うるせーな!!」と笑ったのが、夫が自分の夜食用に買って帰ってきたパスタソースのアルミパウチ(トマト系)。手で開けられるように袋の縁に切り込みが入っているのだが、さらにそこに、

「ハサミを使うとより開けやすくなります」


 そらそやろ。


 そこまで言うなら、続けて「ハサミの刃が汚れた場合は布巾などで拭きとらないと錆びる恐れがあります。トマトの酸をなめていてはいけません。ただし切れ味の悪いハサミではどうしようもありませんのでやはり手で開けてください」くらいまで書いてみてはどうか。

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