偉人伝

 小学生の頃、火の鳥文庫とかなんとかいう黄色い背表紙のシリーズでたくさんの伝記を読んだ。わたしが特に好きだったのはマザー・テレサの伝記で、キッチンハイター入りのたらい水に素手を突っ込んで布巾洗いをしたあとの皮膚の如く、がっさがさにささくれた心根のオバハンに成り下がった今からは想像もつかないことであるが、人並みに感動したわたしは、洗礼を受けこそしなかったが、すぐさま郵便局へ走って行って、自分の貯金につく利子の何パーセントかを慈善事業に自動的に寄付する「国際ボランティア貯金」というものに加入する手続きをしたのだった。


 放置してあるので現在も惰性でわたしの口座からはただでさえ少ない利子の一部が、どこぞの国の悪者の懐に入るやもしれない可能性を帯びながら流出しているのだが、今苦々しい思いで通帳を見るたびに、柔和な表情のマザーが描かれた、あの伝記本の表紙を思い出す。


 だが日常生活においてふと考える頻度が断然高いのは、不思議とそんなに読み込んだわけでもない植村直己の巻のことなのだった。


 よそで苦手な茶菓子をすすめられたときには、ああ直己もイヌイットの村でこんなふうにアザラシの生肉を食べたのだなあ、と思いながら決してカドの立たぬように頂戴するし、道を散歩する犬の、飼い主に従順でないのを見かけると、


「オマエ、橇犬やったらもう食われてるぞ!」


と必ず思う。


 あかん、もう手が凍傷になる、というときにはパンツの下に手を突っ込み、ナニを握って暖をとってしのぐのだ、という知識もその本から得た。ただわたしは一応女子なので肉体の構造上、折角のそれを活用することは永遠に不可能、ということだけが残念である。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る