ある意味では、期待を裏切らない



 真面目でまっとうな物言いというのは、真面目が過ぎるとギャグになってしまう、という意味のことを、たしか中島らもが生前言っていた。


 兵庫の東の方に行ったときのこと、新しい道路の建設現場。ダンプが走り回り、轟音と共に重機が稼働していた。その工事現場に掲げられているスローガンの数々。通りかかったとき、車をのろのろ運転しながら、必死で、一つでも多く読もうと試みた。


「『終わればよい』 無気力な仕事はするな!」「努力と真心で ご下命にこたえよ!」「言い訳 責任転嫁 一切するな!」


 熱いのである。緊迫しているのである。強調される語句は赤字。三つ目の札など、道路が完成し不要になった暁には頂戴できませんか、と電話しようかとすら思った。ほんとに、言い訳も責任転嫁も、一切は無駄。更なる負債以外のなにものも生まない。わたしはそろそろそれをわかるべきなのだ。そういう、自戒のために是非とも。是非ともウチの玄関に。


 その中で、なんだか異色のおかしみを醸し出している一枚があった。


「設計通りか 点検確認もう一度」


 前掲の三つがいずれも「!」で終わる煽り文句的な調べであるのに対し、これはどうだ。


 冷静である。


 まっとうである。


 そのとおりですね。ひとつよろしく。と言いたくなる。言ったあと、なんか、ぷぷ。と笑いたくなる。設計と違ってたら道路はどうなるのか。ちゃう場所に着く? クワバラクワバラ、ほんとにしっかりお願いします。

 と、言うてる端から、なんとなく、顔がにやけてしまうのである。そのとおりなんだけど。ぶぶぶ。

 

 このスローガンのことを思うにつけ、想起されるのはかつてわたしが通っていた女子大の便所の張り紙のことである。

 便所のことを御不浄とも言うが、不浄も不浄、これ以上の不浄も珍しかろう、というのが我が校の手洗いであった。

 たとえばカレー屋に行って、カレーがカレー皿には一滴も入らず、皿の載せてあるトレー部分を満たしていたとしたらあなたはどう思われよう。


 どーかしてる。


 その一言につきるのではないか。

 カレー屋におけるそうした椿事も、我が校ではザラであった。でも女子大。女子大ですよ。

 わたしが通っていた当時、D北棟三階西の雪隠は、たしかオール和式であったと思う。

 その和式便所の個室に付けられた、今にも蝶つがいごと外れそうで不安極まりないドアを閉め、スカートをめくりあげ、パンツをおろし、便器をまたいであなたはしゃがむ。そのとき、あなたが目にするものは、


「あわてないで 一歩前に出て 使用してください 担当者」


と大書された一枚の張り紙である。


 痛切である。


 真面目である。


 はじめて見たときわたしは笑ったが、同時にそれまで目にしたきた惨劇のひとつひとつがフラッシュバックした。いちどでもそれに遭遇したことのある者は、わたしのようにぶーと噴きだしたあと、ハンケチでそっと口元を拭い、ほんまやで! ゆあんとせえよ! と、頭を縦にがっくんがっくん振るうであろう。


 重ねて言うが、女子大である。つまり、学生は全員女子、しかもおおかたは二十歳前後。小・中・高と、少なくとも既に十二年間、学校教育を受けてきたはずの面々である。それが今になって、便所の個室の中で、そんなことを言われねばならんのである。しゃがんだときに、ちょうど目の高さになる位置に貼ってある紙切れに。


「ヤ、ほんとに、普通の人でしたよ。普通の、どちらかというと、地味な感じの」

「あいさつとかも、ちゃんとする人でしたけどね。こわいですね」

 凶悪犯が捕まったとき、こんな近隣住民のインタビュー映像がテレビで流れる。

 わたしも同じ気持ちだった。

「ヤ、ほんとに、全学的に地味な子の方が多いくらいで。ええ、みんな当然のように真面目ですし、講義中も私語なんてありませんし」

「見かけじゃわかりませんよね、ほんと。こわいです」


 わたしの後輩などは、当時を回想して、「地味な顔してどんだけ大胆なのか、かえって性的興奮すら覚えますよ」とコメントしていたが、実際お好きな方にはたまらない状況なんではないかと拝察するのみである。


 そんな母校に、去年の秋頃だったか、春だったか、忘れたけれども行ってみた。とくに用事があったわけではない。次女を伴って、近くの知人宅に伺ったついでに寄ったのである。おかあさんはここで四年という貴重な若い歳月をほとんど無為に過ごしたのよ、といくら嘆いても詮の無い泣き言を幼い娘に聞かせつつ、構内を一周した。

 と、娘が「おかあさん、おしっこ」と、もぞもぞし始めた。おお、いざゆかん、我らがなつかしの御不浄へ。わたしは「おかあさん、はやくー」と眉根を寄せる次女を抱いて、そこまでせんでもいいとは思ったが、わざわざ北棟西の手洗いへ向かった。十年ぶり? いやもっとか? わたしは昔と変わらぬ階段を上りつつ考えた。ところが、あにはからんや、たどり着いた厠はもはやわたしの知っていたそれではなかったのだ。

 まず、入ってすぐに全身鏡! 明るいライトが点る洗面台! もちろんヒネリの蛇口はなく、センサー自動運転! しかもおむつ交換台にベビーシートまであるではないか! 全身整形で美人になった元ブスの旧友に会う気分だ。個室はすべて、ウォシュレット付きの洋式便器になっていた。あの張り紙はもうない。代わりに、「フタをしめて、節電」というのがあった。まっとうだ。でもおもしろくないのはなぜだ。

 しかしながら、きれいになった。明るくなった。清潔になった。慶賀すべきことである。まことにめでたいことである。貼り紙がおもしろくない。それがどうした。そもそもわたしにおもしろがられるために貼られた貼り紙ではないのである。


 娘の用足しを手伝ってやるために、よしよし、よくちゃんと我慢した、さすがオネエサン、などと言いながらわたしはそのTOTO抗菌便器のふたを開けた。


 するとそこには、まぎれもない、一本の雲筋が残されていたのである。



 お前ら、やっぱりまだやってんのかそんなこと。

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