第16話 甘い時間

──一旦アパートに引き返す二人。


いつの間にか手を握り合っていた。

想いを通い合わせたわけではない。

悠華ともかは、一時的にでも薫を信じようと思ったのだ。

実際は、握られたまま歩いているに過ぎないのかもしれない。

優しい時間、恐怖と隣り合わせの。

殴られたり蹴られたりしない、それだけで安心してしまう。


「座ってて」

「いえ、何かお手伝いを」


部屋に着くと、そんなやり取りを始めた。

帰すつもりだったのに、結局上げてしまう。

悠華の中で、まだ薫は男性として見ていないのかもしれない。

薫は薄々感じていた。まだ、彼女の心は開き切ってはいないことを。

それでもこの一瞬を、これからの一瞬一瞬を噛み締めたかった。

ゆっくりでいい、今は傍にいたいと。


恋愛は簡単なようで難しい。


顔から入る人。

趣味が合う人。

気が合う人。

一番近くにいる人。

声が好き。


など様々な理由で恋をするところから。


想いが通じ合ってから、ちゃんと告白をして快い返事を貰ってから。

そんな時代は風物詩とともに風化してきている。


何となく。

インスピで。

気がついたら。

体の相性が良かった。


そんな理由から簡単に恋愛を始めてしまう人が増えた。

だから、純愛なんて紙媒体、Web媒体の空想へとおいやられようとしている。


そう、今日日の恋愛は恋愛として成り立たないものが恋愛とドヤ顔をしているわけだ。


文句ばかり言うから別れた。

欲しいもの買ってくれないから別れた。

飽きたから別れた。

ヤラセてくれないから別れた。

つまらないことを言うから別れた。


小さな子どもでも、買い与えられた玩具を大事にするものだ。

穴埋めだけに、『彼氏』『彼女』と呼ぶ。

子どもの玩具にも劣る扱い大人の恋人おもちゃ

相手がどんな人かわからないまま、形だけの飾りに見せ掛けた錺。

告白した方が首輪をつけられ、告白された方にリールで散歩をされている。

告白した方が立場が大小あれど、低いのは今も昔も変わらない。


恋愛というものは、同じ目線であり、対等であるべきだ。

軽々しく考えてはならない。

相手を思い遣り、慮る。

それでいて、心許せる相手か吟味する。


恋から愛に変わる時。

愛を育む時。


その一瞬一瞬を大切に。


これは基本的恋愛セオリーに過ぎない。

人の数だけパターンがある。

特殊なんてない。

出逢った同士により、変わっていくものだから。

いくら恋人でも、他人には変わりない。

1番近くにいる他人、一番愛惜しくて一番大事な他人。

いつか家族になり、他人でなくなる日まで。


恋愛は甘酸っぱいもの、なんて少女漫画の中だけだ。

それを具現化しようとしない限りは。


現実の恋愛は、しっかり恋愛をしようとすれば、相手を思うあまりに道を違えやすい。

割り切った考えがなければ──割り切りすぎるのもあれだが──重く感じてしまうだろう。


今何を考えているんだろう。

今何してるのかな?

自分以外の異性の付き合いは?


そこから発展していく無意識の執着。


苦しいとき。

悲しいとき。

楽しいとき。

嬉しいとき。


それを共有したくなる。

自分のものも、相手のものも。


想いが暴走した先には何があるのだろうか。




「悠華さんって、お料理上手ですよね」

「市販のクッキーだよ、それ」


人をあげることなんてないから、クライアントからの頂きもののちょっと高めのクッキーを開けた。

大半は会社の茶請けになっている。


自分のためにと買ったものは、フィギュア以外、あまりない。

お菓子も食材も、電化製品も家具や、調度品やあれこれ。必要最低限しかない。


「そうなんですか? すみません」


恥ずかしそうにする薫に優しく微笑みかける悠華。


「ううん、基本的に一人だから、何も無くてごめんね」

「え? 生活感、ありますよ? 」


少しズレた会話。

お互いの環境の違いで見方は変わってくる。


「薫くんは料理するの? 」

「するかと言われると、しないです。でも覚えることはしたので、出来なくはないと思います」


女装の一環としての知識や教養内で。


「出来るんじゃない」

「とは言っても、食べることを考えた時点で、外食かお弁当の選択肢になってしまうのでダメですね」

「……概念? 」

「そうかもしれませんし、そうじゃないかもしれない。元来、男なもので」


男、という言葉に微かに肩を震わす。

分かっていた。考えないようにしていた。


「実際、料理に性別の壁なんてないけどね」


取り繕うように。


「確かに。料理男子という面では出来た方が魅力ステータスになりますね」



──沈黙。クッキーを食べる音と、コーヒーを啜る音がハッキリ耳に届く。


いざ二人きりになると何を話していいかわからない。

慣れない、もどかしい空気が漂う。

擽ったいような、居心地が悪いような。

一緒にいて安心、なんて言葉はまだない。


「「あ、あの……」」

「か、薫くんからどうぞ」

「いえ、悠華さんから……」


付き合い始めたばかりの中学生のような気恥しさ。

何か言わなくてはと口を開くが、思うように言葉が浮かばず、口に出来ない。

そして、自分との葛藤。


恋愛を避けていた悠華。

明確な、正常なヴィジョンを思い描いていた訳では無い薫。


不器用な自分を奮い立たせたいのに、その言葉すら浮かばない。


沈黙ばかりが世界を支配する。

狭い、部屋という世界に二人きり。

意識しないわけではないが、どうしたらいいかわからない。


ただただ沈黙。

聞こえるのは、お互いの微かな呼吸音。

心臓は早鐘のように鳴り、それが聞こえやしないかと冷や汗を斯く。

呼吸を一定に保つことが精一杯で、他に頭が回らない。


傍から見れば、なんて初々しいのと笑われそうなほど。

頬を染め、相手の言葉を待つ。


友だちから始まった訳では無い。

恋人な訳でもない。

けれど、微かにだが、悠華の灰色掛かった心に、ほんのりと淡色が降り注いでいた。


つかず離れずの距離。

優しい時間。


1人になって深呼吸をしたい気持ちと、もう少しだけと思う気持ち。


正解なんてない。

基本的恋愛セオリー通りなんてつまらない。

他人とおなじでは変わり映えしない。


人は達成すれば更に求める。

余韻に浸る時間なんて求めている時間より少ない。

満たされぬ欲の塊。


それでも、求めずにはいられない。

欠けていることに慣れていても、奥底では求めたい気持ちが眠っている。

そのパンドラの鍵を開けてしまったら、再度閉めることは難しいだろう。


忘れていた──閉じ込めていた──想い。

傷や汚れ、すべてが明るみになる。

隠そうとしても溢れ出てくる。


相手に受け止めてもらえなければ、泣きながら抱えて海底に沈むしかない。


人の心はそれほどまでに複雑で、繊細なのだ。

言葉一つが凶器にも、薬にもなる。諸刃の剣。


「……オレ、不器用なので、何か言ってしまったりやってしまっていたら、叱ってください。何が正しいかわかりませんけど、貴女の笑顔が見られるなら……」

「私だって! 」


薫の言葉を遮る。


「お互い、『器用貧乏』なんじゃないかな。相手がどうしたら喜ぶかなんて、聞いたってわからない。職場では経験知識がものをいう。……仕事じゃないもん、わからなくて当然だよ。私も薫くんも」




──歩み寄る決意は保たれるのか。



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