システムロジック -system logic-

笹皆

プロローグ

episode 000 "system logic"

灰色のコンクリートの上に溜まる紙の残滓。その傍らに、虚空の蒼穹に照らされて存在するアバターが両膝を付けて慣れた手つきで空をタイピングしていく。真城錵捺は後ろ髪をシュシュで整えておりは時々、髪をいじりながら目の前のそれに対峙していた。幾重にも重なるパステルカラーの四角いフォログラムが、出現しては消えるという連続をたどっている。反芻するように文字列が流れていく様は爽快の一言で尽きる光景であった。

「遅れてすまん。何か手伝うことはあるのか」

 唐突に出現したもう一人のアバター。――顔は老けており、少しこわごわとした目をしている白髪の男性。彼女の上司で名をエルニック・アンダーソンという。彼は中央システム課の課長であり、会社の中でそれなりの地位を確立している人物である。会社の設立メンバーであり、社長とは大学時代からの付き合いらしい。この架空の空間ないし、もう一つの地球とである、『アナザーアース』の根幹的なプログラムを組んだ人間である。

電脳空間に地球の地形を模倣したものを作り、なおかつ人間をコンバートさせ、神の領域と呼ばれる永遠の命を人間に与えることを成し遂げたのが、錵捺の所属するアートマンス社である。

エルニックは錵捺の隣にどっしりと構えて座ると彼の手の中に光が集まり、煙草が浮かび上がる。

「仮想タバコって美味しいんですか」

 淡々と作業をこなす手つきにブレはない。錵捺は煙草の匂いを嫌な気持ちが多少あるためか、邪険めいた顔で上司に嫌味を垂らす。

「こういうのは気分の問題ってやつだ」

 虚構の煙を吸い青空を羨望する彼の眼の先には治安管理課の連中がいた。ウイルスバスターを先導し、ワープを繰り返して禍々しいウイルスのアバターを追いかけている。

「あいつら無茶しすぎだ。こっちがリソース不足になったらどうするつもりだ」

「大丈夫です。住民もスタンドアローン空間に強制退去させてますし、そもそも外部と並列化させて処理してますか、前みたいに固まることはないと思いますけど」

 事務的に単語を淡々と述べていく仕事をこなしてく彼女は宙を舞う彼らに目もくれず文字を入力していく。ウイルスの本体がフォルダーの中を次々と生物のように移動していき削除するのに手間取っている様子であった。

「そろそろ、給料分の仕事はしないとな」

 タバコをふかすのをやめたエルニックはウィンドウを開くと錵捺と同じように文字列を入力してく。

『僕もお手伝いしまーす』

 陽気な声をあげ、デスクトップに現れた球体型の可愛らしいアバターが颯爽と登場する。猫耳が頭部から生えておりニュータナという。アバターの外見は錵捺の趣味である。

「――にしても、このフォルムは日本人らしいな」

「それは一種の人種差別発言ですよ」

「言葉狩りはいいのか」

 二人は他愛のない話をしながらコードを入力していく。

「そういえば、どうしてそんな本を持ってるんだ」

 エルニックはふいに錵捺の横に置いてある本に興味を持つ。古めかしく骨董品のような

趣のある書籍には日本語で「銀河鉄道の夜」と書かれている。

『銀河鉄道の夜というタイトルの本です。宮沢賢治によって書かれた作品で——』

「ニュータナ。知ってるから、解説はいらん」

 機械的な合成音声を感じさせないニュータナの声をぶしつけに、遮り博識ぶった様子でエルニックは作業を継続する。

『流石です。インターネットと脳を連結させているので、実質的な博識となっているあなた方は、さぞ感情もあり無敵なのでしょう』

 気さくな人工知能は老人に遠回しに皮肉を言う。これは非常に理解することに苦労するのだが、彼らにとっては他者を認めるという、ある意味で愛情表現なのである。彼が大学時代に作成したニュータナとの間には社内でも色々と伝説が湧きだっている。人は噂をし、それを並列化させ知識を共有したがる動物である。だからこそ、ニュータナが元々は軍事用の人工知能をエルニックがハッキングの後、乗っ取り、自分好みにカスタマイズさせたものだという、アメリカンの副次的な映画のテンプレートな噂がまことしやかにささやかれているのである。錵捺は半分ながらそれを冗談だと思いながらも、一部分は本当なのではないかとは思っている。

「ニュータナはやっぱりかわいいわね。不愛想な飼い主に似なくてよかったわね」

「その台詞をそっくりそのままお返しする」

 エルニックは胡坐をかいた足に飽きが来ると、脚を広げて、めいっぱい前方に伸ばす。つま先が向くのは邯鄲の青である。

「正直、宮沢賢治なら『春と修羅』が一番好きなんですけどね」

「難解なもの好みだな。」

 ぼやくようにエルニックはタバコを加えた。歯でタバコを噛む。

「この文体の響き最高だぜって思う奴はエルニックさんにはないんですか」

 エルニックは白い手袋を覆い去った手を止めて、タバコを空に外して、煙を輩出する。

「そうだなぁ……ディキンソンの詩とかかな」

「エルニックさんだってなかなかの所を行ってると思うんですど」

 錵捺は少し朗らかな笑顔を向けると、楽しそうに次の言葉を紡ぐ。

「なんというか子供の頃のマイブックというやつだったんですよ」

「マイブックねぇ。私を表す本。そういうのおじさんにはないから羨ましいね」

『そんなこと言ってるそっちのお方は、大学生時代は自分を高めるためとかいって哲学書をかたっぱしから読んでは投げ捨てる人だったのが、問題であるとご提示申し上げます』

 ニュータナは機械な冗談を並べるといじらしそうに微笑んでいるような気がした。

「そういう冗長なことを言ってると記憶領域減らすからな」

『大人げないですよ。弁護士を雇います』

「ロボット三原則」

 エルニックがそういうと人工知能は黙ってしまう。錵捺は苦笑いで大人げない人間と認知する。ロボット三原則には人に危害を加えてはいけないという物がある。とは言っても、人工知能に対する人権問題は国によってさまざまであった。ただ、自由の国、アメリカでは人工知能の自由は存在しなかった。なんとも皮肉な話である。

「あまりニュータナをいじめないでくださいよ。私のかわいい子なんですから」

 彼女は少し、含ませたように言う。

「プログラムしたのは俺だぞ」

「エルニックさんは愛が足りないんですよ」

 錵捺は愛という言葉を他人に良く語っている。その理由はというと、彼女の生い立ちが関係している。彼女はあの事件で天涯孤独となり、たまたま知り合いであったおばあちゃんに育ててもらっていた。彼女の努力は凄まじいものであり、おばあちゃんに恩義を感じての彼女なりの孝行であったのだろう。彼女は孤独を知っているからこそ、愛を知りたいと思い、愛を求めるようになった。自身や他人でも。彼女言う愛というのは隣人愛というものにニアンスが近かった。

「まあな。妻に逃げられたのは愛が足らなかったからかもな」

 エルニックもまた、孤独な人間であった。プログラムに熱中するあまり、妻に飽きられてしまい、娘も連れていかれてしまった。本人は大分気にしており、彼は無神経の塊であるが、そんな彼でも触れてはいけないタブーである。最近は、自虐ネタで使えるほど、多少なりとも決心を付けたようである。

「あ……すみません。そういう意味では……」

「謝らなくていい。人ってのは頭を下げると相手になめられるからな。だから、一生あいつのお抱えなのさ」

「社長はよくエルニックさんを抱え込めましたね」

「あいつはカリスマ性がある。何十の国相手に交渉をこぎつけて、その関係を保つなんて外交官でもできないだろうからな」

「アフリカ地域への『アナザーアース』導入ですよね。あそこの宗教あるのに、よくぞ導入をこぎつけられましたよね」

 かの宗教のある、中東地域やアフリカの方では、たびたび、神を侮辱する行為であると過激派が文句をつけていた。先日、本社に火炎瓶が投げ込まれたとニュースになっていた。残念ながら社長はリスク管理のすさまじさは異常と呼べるものであり。暫定的に本社となっている場所は本社ではない。そもそも、そこは支部であり、業務は地下で行っているため、いくら地上の建物を攻撃したところで、テロリズム行為としか見られず、過激派たちの形見が狭くなるだけであった。

「正直、過激派の連中があいつの寝首を追いかけまわしている。そんなことしても人間のディジタル化はとまらないのにな」

 ゼロとイチの時代はすぐそこである。人間は情報媒体へのシフトを望み始めていた。シフトはとどまるところを知らない。二十二世紀は人が人ではなくなるような時代である。人の定義は更に曖昧となり、彼らを苦しませるだろうと予見できた。

「私だって、正直、体を捨てて情報だけになるなんていやな気はします。二元論を批判している訳じゃないですけど、肉体を手放したら、触れ合えない気がするんですよ」

「触れ合えないか」

 エルニックは錵捺の言葉にどこか同調するように、タバコの灰を払う。粉々となった残滓は空中に消えていった。

「世界の全てを知った人類はどうなるんだろうな。自我へのルネサンスが起こるだろうとは思うけれど」

「なんですかその自我へのルネサンスとは」

「二十一世紀の哲学者。オクステッド・イーリョックの言葉だ。人類は世界の全てを知ったとき、自分の存在を疑い始める。それはルネサンスのような原点回帰への立ち回りのようである。それを自我へのルネサンスと定義づけた」

「オクステッドって、このアナザーアースシステムの根幹的な考えを提案した人ですよね」

「あぁ。世界のあらゆる事象は物語だと言いまくった、おかしな人間さ。シミュレーション仮説に囚われた哀れな人間だよ」

 シミュレーション仮説とは、この世界はコンピュータのシミュレーションであるという考え方のことである。光の速度というのがこの世界の処理限界の速度らしい。なんとも奇抜な考え方で、クオリアと大して変わらないが、このアナザーアースというシステムの前身はシミュレーション仮説の証明だったらしい。あほな事をと思うかもしれないが、真剣に取り組めばなんでも学問となるのはこの世界の道理である。結果としてこのシステムが導入され、人間は永遠の命を手に入れたのだ。なんともおかしな話である。

「シミュレーション仮説の証明の為に、このシステムを作ったと聞いてますが」

「それはこの電脳空間じゃない。月にあるサーバーの方でやってる」

「噂には聞いてますけど、分割サーバーの一つのMサーバーが月にあるってマジなんですか」

「あぁ。月にあるぞ。ついでに火星にも作ろうとしてる」

 人格のデーターは無くなったら大変なのだ。だから、絶対に喪失しないように、会社の人間でさえ分からない所にサーバーを置き、分割で保存している。フランスのサーバーは先日、爆破されたらしく、社長は首を垂れていた。しかしながら、分割で保存しているので、無くなることはなかった。噂では元データーは月にあるらしく、テロリストの手は入りこむ余地も存在しない。

「遺伝子メモリは持ち運びが楽ですからね」

 錵捺の言う遺伝子メモリというのは遺伝子を情報媒体とするものである。生物は自身の情報を遺伝子にため込んできた。それと同じように情報を遺伝子に書き込むのが遺伝子メモリである。持ち運びが楽なうえに、情報の保持期間も長い。ただ、宇宙線など傷つくこともあるので、定期的な交換を必要としている。書き込むためには専用の機械が必要であるため、金のある資本家しか持てない代物である。アートマンス社では標準的に遺伝子メモリを使用している。

『治安管理課よりウイルスのアバターを封じ込めたという報告が届きました』

 無駄話をしているようで彼らは着実にウイルスを袋小路に追い詰めて、楽園追放の印籠を渡す。快活なエンターキーが押されると、文字列が無数にあふれ出し、最後に「complete」の一文字が現れる。

「さて、今日の仕事は終わりだ」

 エルニックは立ち上がると、ウィンドウを開いて現実世界に戻ろうとする。

「エルニックさん。ありがとうございました」

 彼は錵捺に背を向けたまま、手を振る。

「仕事だからな」

 そういうと彼のアバターは空の向こうへと消えていった。

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