1000年 奇跡の一夜・始まりの朝
──1000年前、中東の小村──
その日は風の強い日だった。
村の中心にある納屋を取り囲むように立てられた篝火が、風に煽られ揺れている。篝火に映し出された影はまるで何かを探るかのように怪しく蠢いている。
納屋には大勢の人達が詰め寄り、その中で行われている事を固唾をのんで見守っていた。
「さぁ! お腹に力を入れて! 思いっきりいきみなさい!」
「ウゥ! ウーーっ!」
産婆と思しき女性が一人の妊婦に付きっ切りで世話をしている。妊婦の苦しそうな声が響くたびに、周囲で見守る人々の間にどよめきが走る。どうやらかなりの難産らしい。
妊婦はこの村では【巫女】と呼ばれ崇められてきた女性だった。ある日、神の啓示を受けたというこの【巫女】は処女でありながら懐妊し今まさに出産の時を迎えていた。
村人達は奇跡に震え、神秘の子が誕生する瞬間を一目見ようと集まって来ていた。その中には【巫女】の父親である村長の姿もあった。
この日はこの村にとって最も重要な、未来永劫祝福されるべき一日になる、その筈であった。
「あぁ、あぁあーーーっ!!」
一際大きな声が響く。降誕の時が近いのだろう。
産婆にも緊張が走る。ゆっくり、慎重に赤子を取り上げる。
その直後「おぎゃあ」「おぎゃあ」という生命の喜びの声が納屋に響き、そして、人々に、
どよめきが走った。
かつて神の御子が降誕した日は、どのような空模様であったのだろうか。天使達が見守る中、どこぞの馬小屋で生じた奇跡は天を裂き、星を降らした事だろう。
あたりには荘厳な音楽が鳴り響き、花と鳥が祝福の歌を奏でた事だろう。
しかし今、この遠い異国の地では、怒号が響いている。
「悪魔っ! この子は悪魔の子よ!」
祝福されて生まれてくるはずだった赤子は今、一身に罵声を浴びている。納屋から飛び出した村人達が我先にと駆けていく。
【巫女】は目口を閉じ耳を塞ぎ、部屋の中心でイヤイヤと首を振りながら震えている。
喧騒の中「おぎゃあ」「おぎゃあ」と赤子の泣き声は変わらず響いている。
村人達は確かに奇跡の目撃人となった。13日という期間が生み出した奇跡。現代ではハッキリとその原因が判明しているその現象の名は、
──結合双生児。
神の御子を受胎した受精卵が、13日目以降に分裂を起こしたが故に生じた5万〜20万に一度の過ち。
それが偶然にも、このとき生じていたのだ。
──これは【僕】の最初の記憶。
赤子の記憶なんてどうにも薄ぼんやりとした記憶でしかないけれど、酷く寂しく怖かった事だけは覚えている。
産まれてすぐに、誰一人として味方のいない寂しさ...そんな気持ちを理解できる人が果たして他にいるのだろうか。
いや、一人いる。この時たしかに僕はその人の存在を感じていた。
今ならそれが誰なのかはよく分かっているが、少なくともその時の僕にはそれが何なのかまるで分かってはいなかった。
村長がゆっくりと口を開く。
「殺せ。今日この村では、何も起こらなかった」
風が吹き、篝火の炎が強く揺れる。影が踊る。
【巫女】は目を伏せたまま動こうとしない。
納屋の外に逃げ出した村人達が少しづつ、武器を手にまた集まってきている。皆目が血走っていて、まともな状態ではないようだった。
周囲の異変を察知したのだろうか、赤子の鳴き声が更にけたたましくなる。それを聞き、【巫女】は耳を抑える手に力を込める。
影は激しく踊っている。
「悪魔の体を引き裂き、納屋には火を放て。全てを灰に返すのだ」
村長の一言を聞いた村人達は、血走った目で赤子にジリジリと近寄っていく。
──赤子は恐怖のあまり遂には泣くのをやめ、うまく動かせない体で縋るように【巫女】を見つめた。
「あああああ!! 見るな見るな!! お前なんか知らない! お前なんか知らない!!
悪魔め! 神を騙る悪魔め!! 何が天啓だ!! こんな化け物、わたしの子供なんかじゃない!!!!!」
雷が鳴り響いた。
気付けばあたりは大雨が降っている。
なのに、篝火の炎が未だ消えず、怪しく影が揺れている。
「神様...恨むわ。一生、恨むわ。
...貴方を滅ぼす悪魔に祝福あれ」
【巫女】がそうつぶやき、同時に村人の一人がナタを振り上げた。
──その瞬間、ただ怪しく揺らめいていた影がまるで生きているかのように赤子に向けて走ったのだった。
......その後の経過を知る者はいない。
記録的な豪雨の最中、何故か激しく炎上し焼失したその村は歴史には残されていない。
生命が時に起こす僅かな過ちは、時として重大な結果を引き起こす。
そうこの日、【巫女】の祈りは叶っていたのだ。
かくしてこの世界に、魂の紡がれた神の御子と悪魔の子が誕生した。
分かたれた身体に、各々悪魔の心と神の心を備えて。
──現代、礼拝堂──
神の似姿をした像に剣が突き刺さる。1本、2本、それから3本。
ざまぁみろ。内心ほくそ笑む。
正直な話、串刺しになっている神様の姿はなんとも愉快だ。
──などと面白がっていたら、今度は僕の足元に剣が突き刺さる。一気に汗が吹き出てニヤついていた顔が凍りつく。
危ない、危ない。ちょっと気分が良かったからって、あんまり油断するもんじゃないぞ。今回の人生では初めての修羅場だから少し気が抜けているみたいだ。
長椅子の影に飛び込み視線を切りつつ、右手をグッパグッパと開く。これは僕のルーティンの一つ。右手首につけたお気に入りの木の腕輪の感触を感じて、気分を落ち着ける。
...うん、落ち着いた。
長椅子の影から初めて僕の敵(?)の姿をまじまじと観察する。声で分かってはいたけれどやっぱり女性。それも白人、見た感じイングランド系だろうか?
っと、しまった。目があった。位置がバレた。
彼女が手を振り上げ持っていたものを投げる。
僕の潜む長椅子をめがけて剣が飛んでくる。うん、落ち着いてるな、よく見える。
椅子から飛び出し飛んでくる剣に向かって走る。接触の瞬間に少し身を捻り、右手で胸元をかする剣の柄を掴み斬りかかった。
「ーーっ!」
次の瞬間、木の破片が弾けて宙を舞った。
不思議なことに、僕が持っていたはずの剣が単なる木材に変わっていたのだ。そして何も持っていなかった筈の彼女の手に今度は透き通るような剣がある。
(なるほどな...)
彼女が天啓を受けたと言うのはどうやら嘘ではないらしい。剣が現れては消えるこの不思議な現象はつまり、この世に齎された【奇跡】と言うやつだ。彼女が引き起こした【奇跡】。
世界を惑わす天使のギフト。
「さっき天啓を受けたといったね。相手は誰だった?主の名前、覚えているかな?」
声をかけつつ地面を蹴り後ろに跳ねる。話しかけられるのは彼女としては予想外のことだったらしい。
一瞬固まり、結果として僕を目掛けて振り下ろした剣は惜しくも空を切った。
ほんの少し、困った顔をした彼女が小さく口を開く。
「......主の名前はハシュマル、だった気がします」
少し、笑ってしまった。
いけないいけない、また緊張が解けそうになってる。
天啓を受けたと言うがこんな世の中だ。別に信仰心がある訳ではないんだろう。
朧げなイメージだけが彼女の頭を巡っている。
そう考えていたら今度は腹が立ってきた。我ながら忙しい感情の起伏だ。
だって、だとするなら、彼女が僕を殺そうとしているのは何故?
信仰心も無い彼女が天啓に従う理由は?
......決まっている。高いところから人を見下すのが大好きなアイツが、そう仕向けているからだ。何も知らない彼女を。
彼女はおそらく、何でそうしなくてはならないのかすら分かってはいまい。
ハシュマル。第四位天使ドミニオンを率いる天使長が一人。意味するのは神の権力、支配を目的とする天使達だ。
恐らくは彼女の起こす【奇跡】はそれに基づいている。
すなわち「万物を剣に変える力」──。
......剣を以て威容とする、権力者の思考なんて往々にしてそんなものだ。
(さっきの振り下ろしはなかなか綺麗だったな...)
長椅子の背もたれに飛び乗り、次々に飛んでくる剣を椅子から椅子へと飛んで避けつつふと思いにふける。恐らくは剣道家なんだろう。素直で真っ直ぐないい太刀筋だった。
──でも、それだけだ。
方向を変えて彼女に向けて大きく跳ねる。そして彼女の頭上を飛び越え、彼女の背面に着地する。
──眩しい。目の前の扉から外の景色が目に映る。そういやまだ朝だったっけ。
彼女が腰を大きく捻り、振り返りざまに横薙の一線を放つ。
恐らくは空気を固めて作ったのであろう、透き通るような剣が僕の首元に鋭く迫る。
「良い太刀筋なのだけれど...。この1000年、この程度ならいくらでも見てきたよ」
腰をかがめて剣をくぐり、彼女の剣を持っている手を追い逆手で掴む。左足を彼女の軸足に引っ掛け、剣を振り抜いた勢いをそのままに力いっぱい払い上げた。
「ーーっ!!?」
次の瞬間、彼女は地面にひっくり返っていた。剣を持つ右手は僕が掴んだまま捻り上げ固めている。
「動けないよ、そういう投げ方をした」
これは1000年培った技術の賜物。
人の技は深い。1000年、それは途方もない時間ではあるけれど、決して退屈はしなかった。
大声を上げてモゾモゾと暴れる彼女の側頭部に向けて、僕は思いっきり足を踏み降ろした。
──僕は罪人だ。祝福されし神の御子なんかじゃない。
1000年という途方もない時間を、時代を超え、時には平行世界すらを跨ぎ、今ここにいる。
そしてその中で、あまりにも多くの罪を犯してきた。
今更平穏な最後を迎えられる等とは思ってはいない。
だが少なくともこの1000年、こんな事はなかった。
神の手足である天使達が僕を殺そうするなんて。
僕が犯してきた罪の中で、最も大きな罪。
100回に渡る裏切りの精算をする時が、遂に訪れたのかも知れない。
ああそうか。ついに、か。
「......でもとりあえずは、ここから離れようかな。」
ボロボロの礼拝堂を眺め、まずは目の前の責任逃れに思考を巡らせた。
そう、今一番の問題はこれだ。何年生きたって怒られるのは嫌なままだ。
すっかり気を失った彼女を背負い、僕はそそくさとその場を後にした。
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