5章 人間のための人形劇

   1


 頭が痛い。

 翌日。夕方。青梅蛍は自室のベッドの上で、仰向けになって天井を眺めていた。体調が悪かったので今日は大学を休んだ。ずっと事件について考えているけれど、これといってわかったことはない。考え続けているせいでよけいに体調が悪くなっているのではないかとさえ思えてくる。

 ひとつめの事件。ふたつめの事件。それぞれを考えると複雑に混ざり合ってわけがわからなくなる。たまにこうすればいいのではないか、というトリックの案がなんとなく浮かぶけれど、どれも証拠は見つからず、ただの空想として終わってしまう。

 やっぱり無理だったのではないか。

 事件なんてものを解決できるのは特殊な人間で、警察の人たちは、それを専門にして毎日働いているプロだ。探偵だって、怪しいとはいえ、今までの経歴から期待することはおかしくはない。だが自分はただの大学生だ。それも特別優秀というわけでもない普通の学生だ。

 プロのサッカー選手に素人が挑んでサッカーで勝とうとするようなものではないか。

 そんな勘違いをしてしまっているのだ。

 素人にできることなんて、ネット越しに野次を飛ばすようなことぐらいなのに。

 そんなことを考えるのももう何度目かわからない。小さな自虐をいれて、また事件について考えはじめようとしたら、枕元の携帯電話が光った。青梅は手を伸ばし携帯電話を見る。水喰土からのメッセージだった。

『今、家の前だけど』

 ディスプレイに表示されていた。その意味を理解するまでにいくらかの時間が必要だった。考える。思案する。

 青梅は、びっくりして起き上がった。

 ベランダから顔をだす。

 下の道路で水喰土が手をふっているのが見えた。水喰土が、中に入るね、とでも言ううように入口を指差し進もうとする。

「いま行くからちょっと待ってください!」

 青梅はすぐ部屋に戻り、さっと着替える。特におしゃれとかではなく、単に今までまだパジャマを着ていただけだ。財布と携帯電話を持って、青梅はすぐに部屋を出た。階段を駆け下りていく。

 反応のにぶいオートロックの自動ドアを抜けて表に出た。

「おまたせしました」

「大丈夫なの?」水喰土が言った。手元では携帯電話をいじっている。「先生に聞いたら、大学休んでたみたいだけど」

「ちょっと考えすぎちゃってよくわからなくなってただけです」

「そう。それだけ考えてるならゴールは近いかな」

 わからなくなった、というのが聞こえなかったのか。

「なんの用です?」

 青梅は水喰土を睨みつける。いきなり女性の部屋を訪ねてくるというのが非常識で気持ち悪い。そして、きっと、それを自覚した上でこの人間はそれを実行しているのだ。悪意があり、かつ悪意はない。

「いや、ちょっと遊びに」水喰土が微笑む。「あがっていい?」

「はぁ? 恋人でもない男をあげるわけないじゃないですか」

 男だからという理由は確かにそうなのだけど、一番の理由はそうではなかった。というか彼氏も家にあげたことはない。部屋が汚いのだ。ここ最近、掃除をさぼっていた。ゆえに、誰もあげるわけにはいかない。それに、本当はあがりたいとも思っていないだろう。

「それは残念。まだ付き合いたいたいと思ったことはないからまたにしよう」

「思っても無理ですけどね。選択の権利はこちらにありますから」

 水喰土がその言葉を無視して辺りを見回す。それからまた携帯電話でゲームを続けた。

「それじゃあ、警察署行こうか」

 意味がわからない。

「なんですかいきなり」

「すべてわかったから」

 ふいの言葉に青梅は驚く。

「犯人がわかったんですか?」

「いや、それはわからないけど」水喰土が携帯電話の画面を見たまま答える。

「じゃあトリックですか」

「いや、それもわかるわけないでしょ」水喰土が携帯電話をタッチしつつ答える。

「じゃあ、なにがわかったんですか」

「もっと情報を集めないとダメということかな」水喰土が携帯電話から視線を外し顔をあげた。ほくろが見えて、目が合う。

 なぜ、それですべてなどと言えるのか。世の中の人間は、完全にとか絶対にとかすべてとかそういった言葉を気軽に使い過ぎていると思う。特に目の前のこの人は。

「二つ目の事件について警察が調べたことを氷さんが教えてくれるというから誘いにきたんだけど、行かない?」

 分担としては違うけれど、第一の事件についても新しい情報なんか教えてもらえるかもしれないから、と水喰土が言う。

「行きます」

「体調は大丈夫?」

「大丈夫です。ひとりで考えているほうが悪そうですから」

「そう」水喰土が笑う。

「ところで、なんでうちを知ってるんですか」

「前に尾行した」また携帯電話をいじりだした。

「犯罪ですよ!」

「何罪だっけ? まあ、それは嘘、嘘。履歴書書いてもらったでしょ」

 そういえば書いた気がする。でも来ないでほしい。

「ちょうどゲームしたかったから、のんびり歩いてきたんだ。二時間かけて」

 あの位置情報ゲームか。どれだけはまってるんだ。あの探偵事務所からここまで歩きでも二時間はかなりかかっている。歩きつ止まりつで寄り道しながらふらふらとやってきたのだろうか。怪しい人だ。

「じゃあ行こうか。あそこの町の警察署まで、三時間ぐらいかな」

「タクシーで行きますよ」



   2


 警察署に着いてタクシーから降りる。もちろん交通費は雇い主に払ってもらった。ゲームができずに不満になるかと思いきや、水喰土は車内で別のゲームをはじめていた。いったい、どれだけやっているのだろうか。

「どこへ行けばいいんですか」

 そもそも約束はあるのだろうか。時間が決めてあったようには思えない。

「受付で『氷さんに呼ばれてきました』と言えばいい」

 それで通じるのか。すごいな、と思ったところで、水喰土が続けて話す。

「たぶん、不思議な顔をされるから」

 この人は、いつか誰かに殺されるのではないだろうか。

 水喰土が携帯電話を取り出す。またゲームか、と思ったところで、テキストメッセージを打ち込んだ。そうか、この機械はそういった機能も持っていたな、と思い直す。

 しばらく待っていると警察署の中から永水氷が出てきた。

「あなたも来たの」

 氷が少しだけ驚いたような顔を見せた。

 もしかして誘われていなかったのだろうか。

「お久しぶりです」水喰土が言った。

「今朝も会いましたよね」

「そういえばうちにいましたね」

 氷が水喰土の家に? いったいなにをと考えていると表情にでてしまっていたのか、氷が補足した。

「国城さんの家にあった忘れ物を届けに行かされただけです」

 氷がため息をはく。

「こちらへどうぞ」

 氷に連れられて中へ入った。いままで警察に来ることなどなく、たぶん初めて入るので青梅は緊張していた。雰囲気は役所などに近いように思える。案内されるまま進んで、署員用の道を進み、小さめの会議室へと通された。席に着くとこの間の刑事からペットボトルのお茶を渡された。会釈を返す。

 自分が悪いことをしたわけではない。

 取り調べなどでもない。

 しかしわずかに緊張してしまう。

 すがるように隣の水喰土を見るとまたゲームをしていた。

「携帯電話はしまってください」氷が言った。「録音や撮影は禁止です」

「ゲームで遊んでるだけです」

「しまってください」氷が静かな口調で話す。

「遊びながらでも話は聞けますが」水喰土の口答え。

「もうお帰りになりますか」

 水喰土がしぶしぶ携帯電話をしまった。

「ご足労頂きありがとうございます。おわかりのこととは思いますが、ここで話すことは特別な措置ですので、内容はもとより、このようなことがあったということ自体、内密にお願いします。

 氷が水喰土と青梅を見る。青梅は黙って頷いた。

「それでははじめましょう」

 氷がホワイトボードの前に立つ。

「まずは第二の事件である人形殺しから流れを話します」

「先生、質問は最後ですか?」水喰土が言った。

「最後にも時間を取りますが、話に関係があるもならば挙手してもらっても結構です。その他、間違いなどあるようでしたらそのときにご指摘ください」

「先生、先生という部分は無視ですか」

「まず事件の現場である広間に関係者が皆、集められていました。このときはまだ人形は奥の蔵にしまわれています」

 どうやら無視の方向で行くらしい。氷がひとつずつあのときの説明をはじめた。

「儀式の担当となっている国城環が、手伝いとして国城伊都を、カメラマンとして八田を連れて、蔵へと入る事になりました。そのとき、蔵の鍵が四條葵から国城伊都へと渡されます。蔵の鍵は扉自体の鍵と南京錠のふたつでした」

 氷が要点をホワイトボードへ記載していく。

 ここまで間違いはないように思う。

「蔵の鍵があけられて、三人が中に入ります。それから少しして、大きな木箱を台車に乗せて、三人がでてきました。木箱の中には問題の人形が入っているだろう想定で、広間の中央に置かれます。蔵は国城伊都によって再び施錠されました。そして国城環以外が外に出て、彼女が中でひとりになり、箱から人形を出して掃除を行う時間になります。これが一時間程度の予定でした」

 水喰土が手をあげている。

 氷がめんどうそうに声を出した。

「おっしゃりたいことがあるならどうぞ」

「蔵の施錠と箱の施錠、それから周りを確認しましたよ」

「そうですね。私と水喰土さんが確認しました。どれも問題は見当たりませんでした。箱の施錠も蔵と同様に特注の南京錠と箱自体の鍵という二段構えとなっています」

 それでいいか、という風に氷が水喰土を見る。水喰土は何も言わなかったので、氷が続きを話し始めた。

「ここで国城環さんを残して、皆が退出しました。広間はオートロックであるため、自動的に施錠されます。鍵は中の国城環さんがひとつ、もうひとつ警察用の合鍵を私がふたつ、最後のもうひとつは離れた場所にある管理会社に置かれていました」

「室内には国城環さん以外に、イデムとかいう怖いロボットたちがいた」水喰土が今度は手をあげずに言った。

「携帯電話やパソコンなどから操作可能なロボットが四体、部屋のそれぞれの角に設置されていました」氷が説明を追加する。「ロボットの頭には布が被せられており、内臓のカメラからは中を見えないようにされていました。ただし、ロボットの手を動かして布をよけることは可能な状態です。また、発見時にはロボット本体の物理的なスイッチが切られていましたが、この段階ではそうなってはいなかったはずとのことです」

 氷がホワイトボードに『ロボットが四体』と書く。

「広間から出た後は、それぞれ各自の部屋などに戻り、四條さんに呼ばれるまで待つことになりました。ここでのアリバイについては後ほどまとめて話しますので、今は飛ばします。一時間ほどが経過して、中の国城環さんに呼びかけても反応がないため、何か問題が発生した可能性を考え、私の持っていた合鍵で扉をあけました」

「そして、殺されていた人形を見つけたと……」独り言のように水喰土がつぶやく。

「人形は無数の刀傷がつけられた状態で、箱に日本刀で突き刺された形で発見されます。日本刀はロボットのうちの一体が手にしており、残りの三体のロボットたちは箱を取り囲むような形で輪を作っていました。部屋の中には犯人や国城環など人の姿は見当たらず、奥の蔵も施錠されていることを刑事のひとりが確認します。国城環さんが箱の中にいるのではないかと考え、箱をあけようとしますが、南京錠がかけられており鍵も見当たりませんでした。そのため仕方なく、車より工具を持ちいれ、南京錠を破壊したところ、中から気を失っていた国城環さんを発見したという流れです。国城環さんについては医師による血液検査の結果から麻酔薬の一種で眠らされていたことがわかっていますが、幸い命に別状はありませんでした」

 麻酔薬なんかを使われていたのか。それははじめて聞いたことで、殺されなくてよかったな、と青梅は思うが、どこかひっかかるような感じもあった。それが何かはすぐにはよくわからない。

「ここまではよろしいでしょうか」氷が問う。「いいですか、青梅さん?」

「あ、はい。問題ないです」

 考えようとしていたせいで、聞いていなかったと思われたかもしれない。たしかに少しぼーっとしていた。

「では、続いて前後のアリバイについてです」

 氷がホワイトボードを縦に区切って、そこに関係者の名前を書いていく。

「まず国城環さんはずっと広間の中にいました」

 まあ、それは当然である。

「次に、青梅さんは見張りの刑事とともにひとつめの部屋にいたことが確認されています。そうですね?」

「はい」

 あのとき、たまたまひとりになることがなかった。

「上木弓海さんもほぼ青梅さんと一緒でしたが、一度、トイレと上木家用に与えられている客間へ行かれたとのことです」

 帰ってくるのが遅いな、と思っていたが、部屋へ行っていたのか。

「水喰土さん、八田秋流さんは、四條葵さんの案内で待合室へ。それから指定の時間に広間へ戻ってくるまでずっと二人だったということです」

「あってます」水喰土が言った。

「四條さんは二人を送ったあとで、屋敷の中を少し見回ってから広間の前へと戻ってきたとのことです」

「四條さんが来たあとで、弓海さんも戻ってきました」青梅はつけくわえる。

「国城喬子さんは台所で夕食の準備を進められていたそうです。目撃者はいませんが、料理が途中まで進められていたことは確認しています」

 それがどこまでの保証になるかはむずかしいところだ。上手ければ上手いだけ、はやく済ませる技術だってあると考えられるし、事前に作りかけのものを用意しておくことだってできるだろう。

「国城伊都さんは部屋のPCでゲームをしていたそうです。こちらも直接、証言する人はいませんが、ネットを通して同じゲームをしていたというプレイヤー複数名の証言は得られています。ゲームの上のチャットで話していたと」

 とてもめんどくさいな、と青梅は思う。ゲームによってはポータブル機での操作も可能かもしれない。

「最後に、上木亮平さんですが、先程、話しました上木家に用意された客間にひとりでいたとのことです。途中、弓海さんと少しだけ会話した以外に、他の人間とは話していないとのことでした」

 改めて聞いてみると、自由に動けそうな人間は何人かいるように思う。

「あの、いいですか?」青梅が申し訳なさそうに手をあげる。

「どうぞ」

「水喰土さんと八田さんは部屋で何をされてましたか?」

「どんな想像してるの? いやらしいことはなにもしてないよ」

「そうじゃないです!」

 そんな想像は少しもしてなかった。けれど、言われたので思い浮かべてしまい、自己嫌悪に陥る。

「携帯電話やパソコンをいじっていなかったかなと。あのロボットは携帯電話やパソコンから動かせるんですよね」

「つまり僕を疑っているわけだ」

「まあ、そうですね。一応、確認しておきたいなと」

「僕は携帯電話でずっとゲームしてたよ」水喰土が言う。「八田さんはパソコンで写真や動画の整理をしていたようだけど、画面は見てないから、もしかしてロボットを動かしていたのでは、と言われれば僕は否定できない」

 氷がホワイトボードの水喰土と八田のところに「遠隔操作ならばアリバイなし?」と追記する。

「そもそも、あのロボットで犯行が可能なものなの?」水喰土が尋ねる。

「試させてもらいましたが、時間をかければ可能との判断です。操作が難しいですが、慣れればできる範囲ではないかと。四條さんの話では止まっているものを動かすぐらいならば不可能ではなく、難しいのは逃げる可能性の高い国城環さんへの麻酔針と、対象の小さい南京錠をかけることではないかと」

「国城環さんが眠らされていたのは麻酔針だったの?」

「はい。ロボットのうち一体の腕に指した際に麻酔薬が塗られる仕組みを持った針がつけられていました。針に国城さんの血と皮膚組織が付いていたのでそちらが使われたのだろうと思われます」

「それの針の仕組み自体は、数日前からつけておけるわけだ」

「そうですね。数日は持つような仕組みでしたので、いつ付けられたのかは特定できません。少なくとも鑑識が入った後ではあるはずですが、それでも時間をしぼりこめるほどではありません」

 青梅は、疑問をひとつ思い出した。だが、今の話の流れとは違うように感じられたので、機会を待つことにする。

「そうなるとアリバイという点では、あまり犯人をしぼりこむことはできませんね」青梅は言った。「ロボットを使った場合はですけど」

「気になるのはロボットのスイッチと操作ログとかかな」水喰土が話す。「動かしたことは確かなようだからそれが終わったあとでスイッチを切らなくちゃいけない。三体までは他のロボットを操作して切ることができるかもしれないけど、最後の一体はどうしても人間がやらなくちゃいけない。他になにかしかけやロボットがいなければね」

 そういえば、イデムのスイッチがすべて切られていると言っていたのは四條だ、と青梅は思い返す。他に外からそれを確認したと話す人間はいない。もしそれが嘘だったら、部屋が開いた後にスイッチを切ることができるかもしれない。

「操作ログというのはイデムを誰が動かしたかということですね」氷が説明する。「アカウントは最初の被害者である能上さんのものが使われていました。能上さんの携帯電話は事件時から行方がわかっていませんでしたが、やはり犯人が所持していたようです。このために盗んでおいたのか、そもそもこれだけのために能上さんを殺害したのか……」

 携帯電話は得るということが人を殺す動機となりうる。

 それはあまりに矮小で、野蛮さすら感じさせず、窓から差し込んできた光の中を舞う、塵芥のようなさみしさを青梅は覚えた。

「能上さんの携帯電話は現在もまだ見つかっていません」

「犯人がまだ持っているか、目的を終えたのなら処分してるだろうね」水喰土が言った。

 氷が頷いてから説明を続ける。

「人間が直接行ったと仮定する場合、侵入は裏にあるもう一方の入り口を使った可能性が考えられます。表の入り口の前にはずっと刑事と青梅さんがいましたので」

「誰も入りませんでした」

 そうだ。あのときあそこから入るような人間はいなかった。これは絶対と言っていい。

「ただ裏から入る場合も問題はあります。カードキーのログと内側からは開けられない鍵です。表と裏の入口は対となっており、同じ鍵を使用してあけることができます。今回もログを調べさせましたが、あの時間に扉や鍵が開かれたログはひとつも残っていませんでした」

「じゃあ、裏からじゃないんだよ」水喰土が言った。「開けられていないんだ」

 確かにそのように思える。だが、青梅はそうではないようなというイメージも持った。

「そうはいっても……」青梅は考えながら話す。「ひとつめの事件の際にはあるはずのログが一部なかったわけですから、犯人はログを消せるのかもしれません」

「一部と全部は違うよ?」水喰土がため息をはく。

「それも一部だけと思わせるためからもしれないじゃないですか。そうですよ、実は全部消せるのに、それを隠そうとしたんです」

「それなら最初から全部消しておいたほうが不思議だった。まあそれはいいんだけど、今回、鍵がどこにあったか覚えてる?」水喰土が首をかしげて尋ねる。

 どこ? どこだったか。

「部屋の中で国城環さんが持っていた。これについてはひとつめの事件を似ている状況だと言える。ただ今回はもうひとつの鍵が近くにあった」

 そこではっとし、青梅はゆっくりと氷の方を見る。

「私が持っていました」氷が表情を崩さずに言った。

「君は氷さんを疑っているわけだ」水喰土が楽しそうに言う。

「そういうわけじゃ」

「別に構いません。何も考えないよりもましですし、私もお二人を疑います」

 それでも言葉が痛い。

「話を続けましょう。カードキーを使って裏の入口から何らかの方法を使ってログを残さずに入った場合、次に問題になるのは蔵の鍵です」

 だから氷さんは犯人じゃないですね、という言葉が思い浮かんだが口にはできなかった。それで犯人でないと言うのならば誰も犯人が存在しないことになる。そんな言葉はさっきの疑いを誤魔化そうとするだけのおためごかしだ。

「蔵の鍵も表と同じ鍵が使われています。鍵を持っていたのは国城伊都さんです。しかし、やはり彼の場合もそこへ行くためのカードキーは持っていませんし、たとえ蔵の鍵を開けて中に入れたとしても、さらにその先の部屋への扉は反対側からのみ鍵を開けることが可能になっているので、内側からでは鍵を持っていても現場へ進むことはできません」

「密室だ」水喰土が言う。

 それはそうだ。今更そんなことを言うのか、と青梅は思う。

「人間が直接行った場合のアリバイはロボットよりも厳しそうだし、鍵についても持っている人間は限られている。その鍵があってもどちらも現状、不可能に見える。お手上げかな」水喰土が両手をあげた。

「真面目に考えてください」氷が言った。

「凶器はどこから出てきたの?」水喰土が問い返す。

 あんな日本刀は事件前の現場にはどこにもなかった。

「蔵の中にしまってあったものだそうです。所持については警察にも届けが出ていました」

「高い?」

 その言葉に氷がむっとする。

「美術品としての価値はそれほどのものではないでようです。人形と同様に代々、受け継がれてきたものなのでしょう」

「そう」水喰土が残念そうにつぶやいた。

「凶器の日本刀は脇差と呼ばれる短いもので、対となる太刀は蔵の中から発見されました。脇差ではありますが、平均よりは長い種類だったようで、長さは六十センチ弱あります。太刀は鞘に収められた状態、脇差の鞘はその近くで鞘のみで見つかりました」

「凶器は刀のみで持ち出されたということだね」水喰土がつぶやく。

「刀について最後に存在を確認したのは今年の三月だそうです。第一の事件で亡くなられた能見さんと四條さんが三月に蔵の中のものを点検した際に、チェックした書類が残っていました。四條さんもそう証言されています」

「その後、隙を見て持ち出したのか、それとも事件の際に蔵から引っ張り出したのか。前者の場合は隠しておく場所が必要だし、後者の場合は蔵の鍵を開けなければならない。どちらもロボットでは難しいね。麻酔針とは大きさが違う」

 いくら注意して見ていなかったとしても刀ほどの大きさのものを見逃していたとは思えない。

「あと考えるのは国城環さんによる自作自演かな。箱を囲んでるロボットはまあそんなきっちりくっついてたわけじゃないからちょっと間から入ればよさそうだけど、この場合も刀が問題になる。蔵への鍵は持ってないし、それに麻酔針側に刺した痕跡があるのなら、それをした後で箱の中に入らければならいないけど、そんな余裕はありそうなもの?」

「医師の話では、刺されてすぐ眠りに落ちるだろうとのことです」

「箱の外からかけられた南京錠もありますね」青梅が言った。「なんとか箱まで入ることはできても中で眠ってしまってはロボットを動かすこともできません」

「やめようか、考えるのを」

「あなたが犯人だからですか?」氷が言った。

「もちろん違うけどさー。どうせ考えればすぐわかっちゃうんだよ。謎は謎のままでいた方が美しいと思わないかね、青梅くん?」

「思いません」

 水喰土が青梅の言葉を無視する。

「第二の事件について他になにか聞くべきことはある? 材料は揃った?」

「質問がなければ以上です」

「あ、あの」青梅が手を小さくあげる。

「どうぞ」

「なんで国城さんは殺されなかったのでしょうか?」

 先程、思いついた疑問を口にする。

「本人が犯人。共犯。犯人にとっての重要な人。犯人にとって殺さないほうがトリックなどの要因からメリットが発生する場合など。あとは殺すのに手間がかかるからなんてことが考えられるけど、あの状況ならわざわざ眠らせるほうが手間だからこれは違うかな」

 水喰土が早口でまくしたてる。

「そうですね」

 水喰土が言ったものは青梅も疑問が浮かんだときにすぐ自身で考えついていた。それでもなにかひっかかるものがあった。なんだろう。大切なことがこの問いあるわけではないと感じている。しかし、もっと考えるべきことがそのすぐ近くにあるような気がしていた。

 なぜ殺されなかったのか?

 そう考えている。

 ではもし殺されていたらどうなっていただろうか。

 そのとき私はなにを考えているだろうか。

 青梅は想像する。

 国城環が磔にされて刀で刺殺され絶命している姿を。

 胸からは血が滴り落ちている。

 人形ではない。

 美しいだろうか。

 恐ろしいだろうか。

 彼女はなぜ殺されなければならなかったのか?

「青梅さん、もういいですか」

 氷から呼びかけられた。

「あ、はい……」青梅はおぼろげな状態で答えた。

「では続いて第一の事件について、現状の確認と追加の情報などを話します」

 氷がホワイトボードを反転させる。まっさらな面が現れる。

 遅れて、青梅は気付いた。

 ああ、そうか。少しだけわかった。なにがわかったのかはわからない。求めるべきものも不明なままだ。だけど、求めるものがどちらの方向にあるのか、どの道を進めばいいのか、踏み出す一歩目の足を下ろす場所を見つけられたように感じた。感覚でしかないけれど。たしかなものであるように感じられるもの。

 青梅は、いままで散らばっていたものを集めてかんがえはじめた。まったく意味のわからなかった欠片たちが、もう少し大きなパーツへと組みあがっていく。それでもまだ不明な部分は多い。決定的なものがほとんどないと言える。それが問題だ。どこにあるのだろうか。見つけることができるだろうか。本当に存在するのだろうか?

「以上でよろしいですか?」

 氷が確認を求めてきた。

 頭の片隅で聞いていたが特に新しい情報はないようだ。

「そのとおりだと思います」青梅は答える。

「大丈夫? こっちが君の担当だけど」水喰土が楽しそうに言った。

「まあ、どうにでもなるんじゃないですか」

 言ったあとで顔をあげると視界が広がったように感じられた。今までどこを見ていたのか。半分、寝ぼけていたのかもしれない。顔をあげると氷が驚いたような顔をしていた。

 氷が咳払いをして表情を整えてから言った。

「それでは本日はこれまでとしましょう。みなさんお疲れ様でした」



   3


「それじゃあ」

 水喰土がタクシーから降りる。ここは青梅の通う大学の前だった。なにか紫橋に用事があるのだろうか。水喰土からタクシー代を渡された。これで家まで帰れということだろう。

「お疲れ様でした」青梅は定型的な挨拶を返す。

 タクシーのドアがしまった。水喰土が大学の中へ入っていくのを見送った。

「どちらまで」

 一瞬、考える。疲れたから帰るか否か。そういえば、今日は体調が悪くて講義を休んだのだった。それなのにここにいるということはおかしな感じだ。もう頭痛は消えていたが。

「えーっと、ちょっと進んで次の交差点を右に曲がってください。そこの細い道です」

 一方通行だったかな、と思ったが、そうではなかったので通れた。そしてキャンパスの別の入口の前で止めてもらう。

「ここでいいです」

 運転手が不思議そうな顔を見せるが、何も言われなかった。日頃からおかしな客がたまにいるのだろう。もらったお金をちょろまかそうとするケチな人間にみられたかもしれない。そこは否定できないので、仕方ない。

 タクシーから降り、キャンパスへ。時間はもう遅く、講義はすべて終了している。人もまばらだった。誰かに会ったら気まずいな、と思ったけれど、もうみんないないだろう。

 そのまま研究棟の方へ進んでいく。気持ち、ゆっくりとした足取りで進む。空は薄暗い。夕焼けが役目を終えようとしていた。キャンパスの端までやってきた。ここは、あとから追加で建てられたので新しいかわりに位置が不便なところにある。

 建物の中へ入る。紫橋のいる研究室は二階だ。きっとそこに水喰土もいるだろう。水喰土からすればなんでやってきたのか、という感想になると思うが、ここは自分が通っている大学であり、所属するゼミの先生にちょっと質問をしに行くことはなんら問題ではなく、むしろ部外者は水喰土なのでそちらがおかしいという話にできる。

「あら、青梅さん」

 階段へ向かおうとしたところ、受付の前で声をかけられた。情報系の講義でティーチングアシスタントをしている東小川憩だった。

「紫橋先生なら、お客様がいらしているようですよ」

「大丈夫です。知っている人なので」

「そう、ならよかった」東小川が微笑む。「体調に気をつけて、無理はしないようにね」

「はい!」

 なんだろう急にと思いつつ元気溌剌に答えて先へ進む。階段を登っている途中で気づいた。そういえば、今日は彼女が担当している講義の日だった。体調不良で休んだのに、なんでこんなところにいるのかという話だ。別に理由などを連絡する必要があるわけでもなく、してもいないが、椛や茜屋が話した可能性はある。さっきのは嫌味だろうか、それとも本当に心配してくれてだろうか。青梅は、半々だな、と思う。なんどか講義などで関わりはあったが、東小川のキャラがどうも掴めていないと感じていた。笑顔がやさしいような、否、こわいようなと。

 考え事をしながら歩いていると気付いたら紫橋の研究室の前に着いていた。扉がしまっている。青梅は静かに扉に近づいて聞き耳をたてた。会話が聞こえる。ひとりは紫橋で、もうひとりはやはり水喰土のようだ。

 青梅は扉の前にしゃがみこんで、音を立てないようにドアレバーをおろし、扉をわずかにあける。部屋の奥で話しているならば気づかれないだろう……。

 ホワイトボードの前で立っている紫橋が目に入った。そして足元にひざまずいた状態の水喰土がいた。水喰土は紫橋が伸ばした手をとり、上を見上げ、涙をこぼしている。

 青梅は、そっと扉をしめる。そして研究室に背を向けて、壁によりかかり、へたり込んでしまった。

 あれはなんだ?

 なにが起こっているのか、青梅は理解できなかった。

 見てはいけないものを見てしまったのではないか。

 二人はどういう関係なんだ。

 たしかに普通ではない心酔と呼べるような感情をなんとなく感じていた。ただ、それがあっても、いま見た光景は想像を超えている。お姫様に忠誠を誓う騎士が、出陣の挨拶をし、お姫様からの祝福に感謝を返すような絵だ。

 忠誠。

 それがどのような気持ちなのか青梅には理解できない。

 失恋をして、悲しみから泣くようなことはあった。

 受験で合格して、喜びから涙を流すようなこともあった。

 けれど、人に対して、恋のような感情ではなく、友情でもなく、尊敬の念から涙を流すほど強い感情を持った記憶がない。多くの人は、普通にそのような経験を持つものなのだろうか。

 同じような光景を前にも見たことはあった。

 そのような感情はどれほど強いものなのだろうか。

 理解はできない。

 なにかしらの打算ではないのか、と考えてしまう。そう、見た目上、媚びへつらい、もしくは忠誠を誓った様子を見せる。そうして金銭や地位などのなにかしらのリターンを得るというような行動ならば理解できる。青梅自身はまだ学生だが、アルバイトなどで社会と呼ばれるような場にでるとそうしたものの存在を観察することができた。さっきまで賛同する姿を見せていたのに、その偉い人が消えたらすぐに反対の言葉を投げかけてくるような相反した行動。

 ああいったものは、それを受ける側としてはわからないものなのだろうか、と考えてしまう。

 普段の様子とはまるで違う接待のおべんちゃら。

 嘘だと気付かないのか、嘘だと気付いた上で、それでも受け取ることが有利だという反対側からの打算なのか。もしくはそれを見破った上で、そのような状況になっていることを楽しんでいるのかもしれない。それならば、それもまた気持ちのいいものではないが理解はできる。

 ただ、今、見たものはそのような嘘ではないように感じられた。なぜかはわからない。もちろん普段から不満を言っていないということもあげられる。なぜか紫橋を尊敬しているんだな、とは思っていた。変人は変人を好きなのか程度に考えていた。しかし、それは変人を甘く見ていた。ちょっと大きく度を越していた。

「青梅くん、どうぞお入りください」

 中からのふいの声に、ひぃと身がすくむ。このまま逃げてしまったほうがいいのではないか、と考えていると横の扉が開かれて、水喰土が顔を出した。涙は見えない。しかし目が赤い。そんな目で睨みつけられている。

「入りなよ」

「いいんですか?」

「先生が入れと言っているからね。嫌だけど、僕に選択の権利はない。無論、君にも」

 水喰土が強い響きで言った。

「入れ」

「はい」

 かさこそと虫のように動いてから立ち上がり、水喰土の続いて研究室に入った。

「失礼します」

「本当にな」水喰土が椅子に座っている。いつも青梅が座る場所だった。「座りなよ」

「そこが私の……」

「どこでもいいよね?」

 青梅は水喰土のプレッシャーに負けて、ひとつあけた席に腰を下ろした。今まで見た中で、一番、真剣な水喰土がここにいた。

「それでなにか用事ですか?」紫橋が尋ねてきた。自席に戻っている。

「いえ、特になにかあったわけでもないのですが、水喰土さんがどんなことを話すのかなとちょっと気になって」

「それで、盗み聞きに来たというわけだ?」

 水喰土は明らかに怒っている。

「あ、あの、なにをされていたのですか?」

「事件についてや、君の働きぶりについて報告を受けていました。それだけです」紫橋が答える。

 それだけで、なぜあのような光景ができあがるのか。あれが普段の姿なのだろうか。

「なにか不満でも?」水喰土が横まで睨むような目を見せる。

 青梅は首を振った。

 紫橋が微笑んでいた。

 睨む水喰土の目元のほくろがどうしても目につく。

 なにがなんだかわからない。

 混乱している。

 困惑している。

 どうにも追い詰められて、考えることを強要されているような空気があり、けれど考えてもわからないだろうことが感じられる。ただ、わかってしまったことがあった。

 パズルの最後のピースを探していたと思っていたけれど、実際はもうすべて埋まっていて、ただ、絵の見方を知らなかった。存在しているだろうことは知っていても実感のなかったものについて、受け入れなければならないような変化を自らの中に感じていた。

 概念を認識した。

 詳細はわからない。

 しかし、得たものの抽象的な方向性と必要な進め方はわかる。

 それだけで充分だった。

 気持ちが悪い。

 その言葉が最もふさわしく思える。

 それでもきっとそれは美しいものなのだ。

 ある面においては。

 水喰土が笑みを見せる。いつもの彼に戻ってきた様子。

「それでこの落とし前をどうつけてくれる気?」

「犯人がわかりました」青梅がつぶやく。「えっと……、どうすればいいですか?」



   4


 週末。晴れ日。こんな日はいいことがあればいいな、と青梅蛍は思う。けれど無理かもしれない。

 事件の関係者が国城のお屋敷に集められていた。ここは二度の事件があった広間だ。これからここで犯人の名前を告げる。静かに受け入れてくれるだろうか。逆上して襲われたりしないだろうか。警察の人たちが見張ってくれているけれど、いざというときにどうなるかまではわからない。青梅は緊張していた。あまり、人前に出て話すようなタイプではないのだ。

「それで探偵さんはまだこないんですか?」上木亮平が言った。

「あの人は来ません」

 青梅は答える。聞かれるだろうなという言葉だったので、想定通りではあったのが、それでも言葉が震えそうになる。

「じゃあ、誰が事件を解決してくれるっていうんだ」

「私です」

 青梅はできるだけ落ち着いた声になるようにして答えた。

 不満があるのだろう。それはわかる。探偵などという人が出てきたって怪しいのに、その探偵が姿すら見せず、助手だという小娘が話すというのだから、文句がでてくることは覚悟の上だった。青梅自身、不満を持っている。

 なぜ、あの人は来ないのか。

 日程と場所については水喰土が氷と調整してくれた。当然、一緒に立つのだろうと思っていたら、昨日、急に行かないと告げられたのだ。「君が考えたのだから、君の責任で話せばいいだろう?」とのことだ。

「水喰土探偵はここに来ることはできませんが」氷が前に出て話す。「彼女の推理は、かの探偵に確認してもらっており、問題がないとお墨付きを受けています。ですから、我々もこの場を用意致しました。ただ無作法に犯人を逮捕するのではなく、皆様に理解してもらった上での逮捕とする約束でなければ犯人を教えることはないとの交換条件です」

 そんな話があったのか、と聞いていたが、その言葉にわからない点があった。わからないというよりのおかしい。

「あの、氷さん……」青梅が恐る恐る手をあげる。「私の考えた推理を探偵さんに聞いてもらったことはないのですが……」

 氷の顔がひきつった。

 彼女も水喰土にいっぱい引っ掛けられたのだ。もしかしたら、こうやって週末まで機会を待たされたこともあの人の策略かもしれない。青梅としては、氷にだけ説明できれば充分だと考えていた。

 青梅は一度、小さく深呼吸をする。

 落ち着こう。

「本当に大丈夫なんだろうな」上木亮平が見下した様子で青梅と氷を見て言う。「我々だって暇じゃないんだ。それを犯人扱いしてもし間違っていたら……」

「帰っていいですよ」青梅が上木亮平の言葉を遮って言った。「あなたは犯人ではありません。特に聞いてもらう必要もないですし、ご足労頂きありがとうございました」

 上木亮平が顔を紅潮させたのが見えた。

 青梅は周り人間を見渡す。周りの人間からもそのしぐさがよく見えただろう。

「他のみなさんもお聞きになりたくない方は帰られて結構です。まあ、犯人の方にどこかへ逃亡されるとめんどうですが、話も聞かずに逃げ出すようなことはしないでしょう。自らが犯人だと言ってしまうようなものですから」

 本心で言えば、犯人が帰ってしまってもいいとさえ思っていた。

「私は聞かせてもらいますよ」

 車椅子に座る国城環が微笑みながら言った。その後ろで四條葵が車椅子を支えている。

「ありがとうございます」青梅は笑みを返す。それから顔をあげて言った。「四條さんはどうされますか?」

「国城先生が残るのなら私も当然、残ります。個人的にも聞きたいですしね」

「よかった」青梅は無邪気な笑顔を作る。

 他の人間たちの顔を伺ったが、特に帰ろうという者はいないようだった。結局、上木亮平も残るらしい。

「それではそろそろはじめさせてもらいます。能上照之さんが被害者となった密室殺人について説明します」

 さて、どう話せばいいだろうか。いろいろ考えてきたがわかりやすくまとまってはいない。カンニングペーパーも用意してきたのだけど、ちょっとそれを見ながら話すという空気でもないように思える。

「えーと、どうしましょう。なにから話せばいいですかね?」

 助けを求めるように、隣に立つ氷を見た。

「あなた、本当にわかっているんでしょうね」

「たぶん、まあ、それなりにわかってるような。ただこういうのは慣れてなくて、私は学級委員長とかもしたことないタイプなんですよ」

 青梅は困ったような顔をしてみせる。犯人やトリックについてはわかっていたが、その説明の仕方をわかってはいなかった。

「まず、前提条件を確認しましょう」青梅は自らを指示するように声を出す。「能上さんは現場に呼び出されたものだと考えられます。方法は携帯電話のアプリからなにかしらのメッセージでも送ればいいでしょう。どんなアプリが使われて、どんな運営元かがわからなければ警察でも調べようがありません。せめて携帯電話の本体があれば調べることもできるでしょうけれど、それは犯人が持っていってしまいました。なので、これは誰にでもできた、と言ってしまっても差し支えないものとします。よろしいですか?」

 私は俺はやってない、という人は当然いるだろう。できないと言う人もいるかもしれない。ただ、やろうと思えばできなくはないということだ。

「よろしいかと」

 国城環が言った。それならば反論するものは誰もいない。

「ありがとうございます。では次は……」

「密室のトリックから聞かせてください」四條が言った。「それが正しいようならば犯人を告げればいいですし、そこに問題があるようでしたら犯人を指名する前にやめてしまえばいいでしょう。そうすれば誰も傷つけずに済みます」

 たしかに名指しする前ならば疑いが発生するとはいえ推理が間違っていてもそこまでその人に怒られたりせず、ちょっと恥をかくだけで済むかもしれない。頭がいいな、と青梅は思った。まあ、推理に間違いはないので、そこは心配してもらわなくてもいいのだけど、そのやさしさが嬉しいではないか、と感じる。

「では、そうしましょう。密室のトリックから解明していきたいと思います」

 青梅はなんとなく立ち止まっているのがつらくなり歩きだす。

「能上さんが殺された際、この部屋はなぜか密室となっていました。扉はカードキーのオートロックなので、放っといても施錠はされるのですが、鍵は室内から発見され、しかし残されたログの上では最後は部屋の外にあるはずだというのが密室を構成する謎です。ここまではいいですか?」

 確認するように周りを見渡す。特に反論はないようだったが、完全に理解できているとも言えない雰囲気を感じられた。青梅は自らも再度確認するようにゆっくりと説明する。

「残されていたログについて認識を合わせるために思い出してみましょう。まず、犯人が能上さんを殺害後、室内から出るために鍵を開けたログと扉をあけたログが残されていました」

 青梅は伺うように氷を見る。氷が同意するように頷いた。

「次に扉が閉められたログが出力されていました。このときオートロックで施錠されますが、施錠のログは出ない仕様なので、扉が閉められたログだけが出力されています」

 伝わっているだろうか。間違ってはいないはずだが、伝わるかどうかは受け手側の能力にも起因する。

「このとき施錠された状態で扉は閉まっており、そして最後に外から鍵だけがあけられたログが残されていました。そのため、この段階において犯人は外におり、カードキーも外にあったと考えられます。ここで扉も開けられていればいいのですが、扉をあけたログは残っていませんでした。それなのに、カードキーは室内のそれも被害者の胸ポケットから発見されたというのが、意味のない密室のあらましです」

 言葉を発しつつ、頭の別の場所でトリックの説明についての復習を済ませた。間違いはない。何度も何度も繰り返し確認してきたことだ。考えうる限りの反論に対する反論も用意してきた。確実に犯人を問い詰め、勝つことができる。

 青梅は、想像していた。

 犯人の抵抗と、それに負けることなく立ち向かい、ついには罪を認めさせた勝利の光景を。

「なぜこのような意味のない密室が作られたのかについては、今は置いておきます。なぜではなく、どのようにという点から話をさせてもらいましょう。まず、鍵は非接触ICのカードでできており、これを内外の壁面にあるパネルの近くに持っていくことで解錠されます。電車の定期券や電子マネーで使われているようなものですね。ですので、まず考えられることとしては、カードキーを持って退室し、それから施錠された扉をあけずに鍵を室内にいれるという方法です。試してみましょう」

 青梅は氷の元に近づいていき、手の平を見せた。

「鍵を貸して頂けますか?」

 青梅の手の上に氷がカードキーをのせる。

「ありがとうございます」

 青梅はにっこりと微笑んだ。それから部屋の外へと向かう。まず内側から鍵をあける。認証が通ったことを知らせる軽快な電子音が響く。そして扉をあけて外に出て、扉をしめた。人の顔が見えなくなる。小さく深呼吸をして気持ちを引き締め直した。

「声は聞こえますか?」

「聞こえています」と四條からの返答。

「ではカードを通過させます」

 青梅はしゃがみこんで、扉に手を押し当て、上方へ力を込めた。わずかな隙間が少しだけ広がり、灯りが漏れる。そして、その隙間からカードキーを押し込んだ。カードはひっかかることなく、無事、室内へと戻った。

「成功です」青梅は無邪気な声を出した。「あ、入れなくなったので開けてください」

 返答はなく、解錠の電子音だけが響いた。青梅はドアをあけて中にはいる。

「いかがでしたか?」

「鍵は能上さんの胸ポケットから見つかったんだろ。入り口に落ちてたわけじゃなく」上木亮平が言った。

「そうですね」青梅は答える。「だからその先、ポケットにしまった奴がいると考えましょう。犯人ではなく、人間ですらなく、犯人に外から操作された彼らがカードキーを運んだとすれば成立します」

 青梅は部屋の隅に立たされているイデムを示した。

「地面に落ちているカードを拾って、それを死体の胸ポケットにしまうということは不可能ですか?」青梅は国城環と四條に問いかける。

「不可能と言ったら嘘になるでしょうね。なかなかむずかしいですが、何度か失敗してもよければ不可能ではないでしょう」

「別に失敗したっていいんですよ。鍵はもう室内にあるのですから。もしかしたらポケットに入れることができるのは数回に一回の成功かもしれません。しかし、残りの失敗とされるケースだとしても死体のそばまでカードを運べているのならば密室は成立します。いかがですか?」

 上木亮平に尋ねたが、返答はない。それでは終わりなのか、というとそうはならず、氷が言った。

「たしかにロボットが動かされたと思われるログはありました。しかしスイッチが切られていたのでそれはまだ犯人が中にいるときのものであるはずです」

「じゃあ、実行されていないのかもしれませんね」青梅が笑った。

「は?」氷が、理解できないという顔を見せる。

「ですから、氷さんのおっしゃる通り、今、話したトリックは使われなかったのかもしれません。スイッチぐらいはあとから切ることもできると思いますが、証拠はありません」

 どうも空気が悪い。上手く説明するのはむずかしいものだ、と青梅は思う。やはり緊張している。考えてきたことに不安があるというわけではなく、単に人前で話すことに慣れていないというだけだとは思うのだけど。

「まあ、待ってください。説明が下手ですみません」青梅は頭をわずかに下げる。「もう少しだけ聞いて頂けますか。まだ全然、話しきれていないんです」

 氷がため息をはいた。それから話す。

「どうぞ」

「ありがとうございます」

 お礼を返したはいいが、次の話をすると氷さんが怒りはしないだろうか、とも青梅は不安に感じる。それでも先に進むしかない。

「それでは、さっきの話は一旦、忘れてください」

 青梅は透明な箱を横に置くようなしぐさを見せる。おいといて、というようなジェスチャーだ。それから顔をあげると、皆が驚いた表情をしているのが見えた。

 そんな顔を見せないでほしい、と青梅は思う。

「事件の際のログから鍵は最後に室外にあったはずだと考えられます。しかし、発見されたのは被害者の胸ポケットからというのが問題でした。それならば、合鍵が届き、扉が開けられた後でポケットに入れられたと考えるのが自然ではないでしょうか?」

「待ってください」八田が言った。「あのときの様子は撮影していました。警察へも提出済みですが、誰もそんなことはしていなかったはずです」

「遺体に近づいた方がいますよね」

 あのとき、国城環が能上照之の遺体に近づいて、脈を取り、目を伏せた。

「体の死角になった瞬間がありました。ちょっとした手品師ならカメラの前でも充分にカードを隠すことができるでしょう」

 手を出し、また氷からカードキーを受け取る。そして手のひらの中に隠して見せた。

「手品は得意ですか?」青梅は国城環に尋ねる。

「ええ」国城環が微笑んだ。「今度、機会がありましたら、お見せしましょう」

「それは楽しみです。ただ、今はショーの時間ではありません。手品師でなくともカードキーをポケットに戻すチャンスがあった。そちらも考えてみましょう。死体発見時、近づく者は一名だけ、しかしその一名もカードキーを持っていなかったとします。その場合、なにが考えられますか?」

 青梅は氷を見る。氷は一瞬も考えることなく言った。

「警察関係者を疑っているの?」

「あのあと遺体は救急車には乗せられず、こちらにいらっしゃった監察医の方によって死亡が確認され、警察に引き渡されました。カード―キーが見つかったのはどこでしたか?」

「検死解剖の前に服を回収した際、見つかりました」

「遺体発見時に近づいた人はほぼいませんが、その後に遺体へ近づいた人はそれなりの数いるでしょう。犯人は無理にカードを戻さずに共犯者に渡すだけでよかった。あとはその共犯者が監視の少ない状況でポケットにしまえばいい」

「証拠はありますか?」氷がなにかを押し殺すよう表情で青梅に尋ねる。

「ありません」青梅は答えた。「ですからこのトリックも実行されていないかもしれません。すくなくとも、実行されたと明言することはできません」

 氷の表情がわずかに緩む。かわりに周りの空気が重くなったように感じられた。青梅は慌てた調子で話す。

「こんな人前で話すようなことはじめてで緊張してます。上手く説明できていないのはすみませんが、ちゃんとした説明とするためにも一からすべてを話させてください。意味がないように感じられるかもしれませんが、まあそんなに意味があるわけでもないことはたしかなのですが、一応、考えがあってのことなんです」

「つづきを聞かせてください」四條が言った。

 やさしい人だ、と青梅は思う。

「そろそろ本題に入るかもしれませんしね」四條が続けた。

「もうちょっと……、先ですかね。はは」青梅は笑ってごまかそうとする。

「はやく続けてください」氷が刺すような口調で話した。

「はい」青梅は姿勢をただす。「さて皆様、いい感じにさっきまでの話を忘れられたでしょうか。また別の視点でゼロから考えましょう。ログの上では外にあるはずのカードキーが室内から発見されました。これが謎です。おかしいと思われています」

 青梅は周りを見回す。それぞれ終わりの見えない話にいらついていたり、なんだかよくわからないという様子の表情で聴いている者もいたが、ここまでは当然、異論はないようだ。

「では、それをおかしくない、まったく不思議ではない状況にしてみせましょう。カードキーがふたつあったとしたらどうですか? なんら不思議ではありません」

「合鍵を作ったということですか?」四條が言った。「カードキーは特殊なセキュリティロックがかかっているので、普通には複製できませんし、管理会社に共犯者がいたとしても、やはり作成のログは残ります。それを消し、さらにその消した痕跡すらも消すというのはさすがに現実的ではないと思います」

「そうですね。カードキーを複製するのは現実的ではないでしょう。でも、カードの複製ならそれほど難しくはないのではないですか?」

 青梅は手に持っていたカードを皆に見えるように高く上げる。

「このカードは警察用の臨時のものなので、白地にマジックで書かれているだけですが、普段使われているものはもう少しデザインよく印刷されていたように思います。ですが、それだけならそれほどむずかしくないですよね。白いカードを用意してそっくりに印刷するだけなら、パソコンでひとりでもできるでしょうし、どこかの会社に依頼することもできます。そんな印刷になにか高度な暗号やセキュリティがかかっているわけではないですから」

 昔、鍵はその形状に認証の能力を託していた。しかし、現代では、よりセキュリティを強固にするためにとその能力はデザインから内部へと押し込められて行った。

「このあとをどのようにするかはもうおわかりのことと思いますが、一応、しっかりと説明させて頂きます。まず事前にどこかの機会でカードキーを管理会社より受け取ります。これはそんなに頻度が高いことではないでしょうが、まったくないということもないでしょう。たとえば棚卸しの作業をするので、複数枚カードキーがほしかったということもあったかもしれません」

「ええ、そのときにもう一枚、鍵をもらいました」四條が言った。

「そして、その鍵を返すときに、予め用意しておいた見た目だけ同じ、中身は鍵として使えないカードを返却したとします。きっとその返却されたカードが本物の鍵かどうかは確認されないのでしょう。その鍵を使うための錠前はパネルとしてこの部屋のあそこに備え付けられたままなわけですから。そうして、犯人の手元には返却されなかった本物のカードキーが残ります。事件の際にはもう一枚のカードキーも使い、一枚は室内に置かれた被害者のポケットの中に残します。そしてもう一枚で扉をあけ、さらに外からのログも残す。そうすれば不思議だと思える密室を作ることができました」

「それだとあとから来た鍵が偽物だからあけられないんじゃないか? 上木亮平が青梅を笑うように言った。

 青梅はびっくりして声が出せなかった。まさかそんなことを言われるとは思ってもいなかった。

「その鍵を持ってきてもらってあけたんだろう?」

 青梅は、唖然とした驚きを隠せなかったが、よく考えずにいれば、そういうものなのだ、と思い直し、説明を続ける。

「ええ。あのとき、鍵が見つからないとして、管理会社からもう一枚の鍵を持ってきてもらいました。今の話の続きとすれば、その鍵は偽物で、扉を開けることができないはずのものです。ですから、犯人がその偽物の鍵を受け取ったのです。そうして、隠し持っていた本物の鍵で扉をあけた。そうすると偽物の鍵は用済みですので、証拠隠滅としてどこかへ捨ててしまえばいいでしょう」

 簡単な話だ。だから、上木亮平がなんであんなことを自信満々に言えたのかわからない。ほんのすこし、先を考えれば普通にわかることだと思うのだけど。

「いかがですか?」

「これについては私も同じように考えました」氷が言った。

 そうだろう、これは以前、氷がくれたヒントから思いついたものだ。しかし、だからこそ問題がある。

「このトリックが使われたという証拠はありますか?」

「ありません」

 そう、それゆえ、氷は皆に話そうとはしなかったのだ。あのときも、氷はつい口を滑らせたという様子だった。

「私も証拠はまだ見つけられていません」氷が話す。「だから……」

「このトリックも実行されなかったのかもしれませんね」

 青梅は笑って言った。氷への嘲笑ではなく、楽しさから出てくる笑みだった。なにが楽しいのだろうか。わからない。しかし、どうしても笑ってしまう。こんな風に人前へでることは苦手だった。目立つ人の影に隠れて、後ろから支えるようなことに楽しさを見出すタイプだったはずだ。それなのにどうしてしまったのだろうか。そうだ、今回だってそうなるはずだった。変人だけど優秀らしい探偵さんについて、助手として目立たずにいられるはずだったのに。

 探偵は現れない。

 だから自らが表舞台に立たなければならない。

 ああ、どこで間違ってしまったのだろうか。

「こんな話を聞いたことがあります。優れたサッカー選手は、めまぐるしく変わるシーンの中で、瞬時にいくつものプレーを思い描き、最適なひとつを選んで実行すると。優れた犯罪者はどうでしょう? いくつものトリックを用意し、しかしそれを選ばずにただカモフラージュとしてだけ消費する。ありえませんか? そんな実行されなかったトリックたちは、実行されなかったがゆえに証拠を持たず、気付いてしまった人間を迷宮へと誘い込みます。証拠というゴールのない迷宮へ。人間は弱い生き物です。自らが見つけた、見つけてしまったものに対して必要以上の価値を感じてしまう。自らの頭で考える。それはとても大切なことですが、他人に対する以上に、自らを疑い続けなければなりません。何度も何度も。この先に、本当に出口はあるのだろうかと」

 これまで、眩しく輝いて見えるひらめきを何度も捨ててきた。

 そうしなければ生きていくのがつらかったからだ。

 だから、迷宮の出口を探すのではなく、出口のある迷宮を探し、そして引き当ててしまった。

「意味のない密室は、ただ人を惹きつける魅力的な罠として用意されたものなのです」

 そうして人は惑わされ、さまよい続ける。

「それでも罠を用意したという事実から逃れることはできません」

 罠があるということは罠を作った人間がいるということであり、なにもない状態よりは作者を追跡しやすいと考えることができる。

「次で最後です」青梅は言った。「その前に、今度は忘れるのではなく、これまでのトリックを思い出し、そして振り返ってみましょう。ひとつめは外から鍵を室内にいれるものでした。その次は扉が開けられてから鍵を戻す方法、みっつめはカードキーの情報ではなくカードを複製し取り替えるというもの。では、残されている方法はなにがあるでしょうか」

「状況自体の改竄かしらん」国城環が言った。「改竄というよりも構築と言ったほうが適切かもしれませんが」

「そうです」青梅は明るい声を出す。「もしかしてもうすべてわかってらっしゃるのでしょうか。かわりに説明して頂くほうがよさそうですか?」

「いいえ。私はこのような姿で満足に考えることもできませんから、引き続きお願いします」

「そうですか。では僭越ながら続けさせて頂きます。とは言いましても、国城先生から答えは出ていましたね。状況の構築です。つまりは鍵の出し入れではなく、密室そのものの作り方に手を入れたパターンです。今回の事件で、密室となっている条件はなんだったでしょうか。ひとつ、鍵が室内にあった。ふたつ、鍵は外にあると記録されていた。一度、中から扉が開けられて、その後、オートロックがかかり、さらに外側から解錠のログだけが残され、扉が開けられたログは残されず、また自動的に施錠された。これが密室の状況です。ここから鍵を中に戻さなければなりません。どうやって? さっきの話では閉めたままの状態で入れる、発見時に扉が開けられてから入れるの二パターンでした。でも、まだ選択肢はあります。そもそもログが残されていました」

 青梅は一度、息を吸い込む。

「外側から鍵があけられたと」

 そして、そこから自然に考えられることがあるだろう。

「その際に扉も開けられたとすれば鍵を戻すことが可能です」

 しかし、それはおかしいと誰もが考える。

「問題はログが残されていないこと」

 そう。外側から解錠されたログだけがあり、扉が開かれたログはなかっった。

 それならば、問題の選択肢はふたつ。

「ログに記されている通り、扉は発見時まで開けられはしなかったのか。それともログを残さずに扉が開かれたのか」

 ここで話すことは答えではない。

 可能性だ。

 ただ、可能性があったと話すことができる。

 そういえば、探偵さんも可能性なんて言葉を使っていたな、と青梅は思う。

「ログを残さずに扉を開ける方法はあります」

 仕組みを考えれば当然ありうることだった。

「そもそも鍵というものは密室殺人を防ぐために付けられているわけではありません。鍵を持っていない人間が中へ入れないようにするためのものです。今回の鍵はカードキーです。では錠前はどこにあったのか。それはあの入り口のパネルではないかと一見思えますが違います。そうですよね?」

 青梅が尋ねると国城環がうなずいた。

「本当の錠前はどこかのサーバにあります。わかりますか? あそこにカードキーをあてることであのカードリーダがデータを読み取り、インターネットを通してリクエストを送り、その内容を受け取ったサーバが鍵として正しいかを判定した結果を返し、その結果を受けとった扉がやっと鍵をあけるのです。ログはその過程で産み出される記録でしかありません。そしてそれは扉をあける際のログも同様でしょう。すでに鍵があけられた扉をあけようとした瞬間にどこかのサーバへリクエストが送付され、その記録が残される。ただ、鍵とは違う点があります。扉を開けることはただの動作の記録でしかないということ。解錠の際はサーバへの認証が必要ですが、扉をあける際は認証などはないのです」

 何人かは話についてこれていないように感じられた。

 でも、残りの何人かに通じれば別にかまわないだろう、と青梅は考えて話を続ける。

 万人に理解させる義務などはない。

 極論を言えば、自分だけが納得できればいいとさえ思える。

「つまりは、鍵をあけた後で回線を遮断すれば、扉を開けるログを残さずに済むだろう、ということです」

 簡単なことだった。

 ただ周りに心誘われる罠が潜んでいただけだ。

「やりかたはいくつかあります。周囲の電波を乱して通信を阻害するようなものは売っているでしょうし、何かの機器をかいして一時的に通信先を変更、もっと簡単にルータからケーブルを抜く、ルータの電源を落としたり設定を変えるなど、いろいろな方法があるでしょう。仕組みによっては携帯電話から操作したり、タイマーをセットすることも可能ではないかと思います」

「そのようなことは可能でしょう」国城環が言った。

「ありがとうございます」青梅は微笑みをかえす。「このような方法で扉を開くログをなかったこととし、鍵を室内に戻して扉を閉める。オートロックが作動し、それから通信状態を元に戻せば、意味のない密室の完成です」

「だいたいはわかりました」氷が話す。「けれど、やはり説明してもらえていないところがあります」

「はい、わかってます」

 青梅は氷の目を見てうなずく。

 氷は青梅からの返答に影響されることなく問いかけた。

「今、聞かせてくれたトリックが実行されたという証拠はありますか?」

「ええ、まだお持ちですよね」

 青梅は、彼の方を見て微笑んだ。

「犯人の四條さん」



   5


 青梅蛍は、四條葵を見つめていた。観察していると言っても良い。

 犯人だと名指しした。

 さあ、ここからどう反応するのか。

 表面上では微笑んで、しかし内面では油断せず、どんな些細な変化も見逃さないようにしていた。これから、彼が自身を犯人だと認めるまで、論理と証拠で追い詰めなければいけないのだ。四條は何も言わずに、何かを考えているような様子を見せていた。目が合う。まるで青梅の方が追い詰められているかのようにすら感じられた。でも、目を逸らす訳にはいかない。

「四條さん、あなたが犯人ですよね?」

 青梅はやさしく、けれどはっきりとした口調で問い直した。

「そうです」

 四條が言った。

 肯定。

 予想していなかった。

 驚きが表面にでないようになんとか押しとどめる。

 以前、冗談で言ったときと同じ反応だ。

「否定されないのですか?」

「今回は、冗談ではないのでしょうね」

「ええ」青梅は答える。「あなたが能上照之さんを殺害した犯人です」

 四條がポケットに手をいれた。氷が警戒するような反応を見せる。四條が携帯電話を取り出した。ゆっくりと氷に近づき、携帯電話を渡そうとする。

「どうぞ、これが証拠です」

 氷がわけがわからないという表情で携帯電話を受け取った。

「事件の際、この携帯電話からルータの設定を操作して、回線を一時的に止めました。ちゃんと調べれば、記録が残っているのがわかるかと思います。あと、能上さんの携帯電話ですが、庭にある沈丁花の下に埋めました。あとで見つけてください」

「何を言っているのですか……?」弓海が震える声で言った。「おふざけはやめてください」

「すべて私がやったことです」四條が答える。

「なんでですか?」

 青梅は四條の前に立って言った。頭の中で数々の言葉が暴れまわる。戦うために冷静さを保ち整え積み上げていたはずの言葉たちが、美しさを捨てて、今ではもう様々な種の生き物のように散らばっていった。

「なんで……、なんで言い訳しないんですか?」

 青梅が四條に迫る。

「どんなことを言われようと、負けないように必死に考えてきたんですよ」

「無駄な抵抗は好みません」

「無駄かどうかやってみればいいじゃないですか」青梅は声を荒げる。「密室を作っただけで殺していない。たまたま被害者を発見して、この家の誰かをかばうために密室を作った。そう言うことはできます。人を殺すことと密室を作ることは別です。人を殺した証拠がなければ、密室だけ作ったと言えばいいでしょう?」

「被害者を助けようとは思わなかったのですか? と問い詰めることができます」四條が説明する。「そのときなら、まだ息があったかもしれない」

「気が動転していたとか」青梅が言った。動転しているのは自分だなと思う。

「それでも、ログの状況から殺人犯とトリックを実行した人間は分けることはできません。鍵だけをあけて、扉を開ける前に回線を停止していなければ成立しないログなのです。扉を開ける前に、中の状況を知るのは不可能です」

「イデムを使って」

「それを使おうという状況を知る必要があります。仮に犯人が別にいて、カードキーだけ私が拾ったとしたら、ロボットなど使わずにすぐ扉をあけるのが自然でしょう。なぜ私がレプリカの人形と同じ絞殺ではなく刺殺を選んだかわかりますよね?」

「絞殺では死んでいるかが不確かなので、救命措置がいるからです……。その場合、心臓マッサージの際などにカードを戻したと疑われる可能性があり、トリックが成り立ちません」

「正解です」

 四條が微笑んだ。

「なんでそんなに潔く話すのですか」

「もう負けが決まってしまったことだからです。青梅さんにはもうすべてわかっているのでしょう? 携帯電話が証拠だというのもそうです。直接、線を抜くことでも可能でしたが、それがされていないということは確認されたはずです」

 事前に確認していた。位置関係から時間が厳しいこと、埃のつもり具合からここ最近、動かされてはいないこと。タイマーのような機械が付けられた形跡もなかった。あとはソフトウェア的な細工だが、それはルータが調査対象になればどうせわかることだ。だからそんな細工をせず、単に携帯電話から操作したのだろうと考えた。携帯電話とルータの両方を調べればどちらかから証拠が出ると。

「でも……」

 青梅は自分が考えついていない、四條が犯人ではない道が何かあるのではないかと考えはじめていた。変だ。今日までは必死に犯人である根拠を考えて、何度も何度も確かめてきたはずなのに。

「おかしい人ですね。なぜ、そんなに悲しそうな顔をされているのでしょうか。あなたが、私の犯罪を暴いたというのに」

「と、友達だから……?」青梅は言った。何を言っているのかもうよくわからなかった。泣きそうだった。

 四條が笑った。

「嬉しさと残念な気持ちがあります。青梅さんは、二つ目の事件についてはわかりましたか?」

 青梅は首を振る。そちらについてはまともに考えてすらいなかった。

「それはよかった。では、これからも考えて続けてください。私がどうやって人形を壊したのか。私は、あの人形を壊したかった。だから能上さんにどうしても役を降りてもらいたかった。私が人形の前に立つために。そのために何度もお願いをし、それもダメだったのでリハーサルの人形も壊しました。それでも私に役割は渡されなかった。ですから、仕方なく能上さんを殺害しました。まさか、国城先生が自らされようとは思いもしませんでしたが」

 四條が国城環を見る。

「先生は、私のやろうとしていることにお気づきだったのでしょうか」

 国城環は何も言わずに、四條を見つめていた。

 四條が国城環の元へと近づいていき、車椅子の前でひざまずく。

「お怪我をさせてしまい、申し訳ありませんでした。尊敬する先生を傷つけても、それでも私は、あの人形を壊さなければいけなかったのです」

「これまで、ありがとうございました」

 国城環がそれだけを言った。怒っている様子ではない。何を思い、考えているのだろうか。長年の付き合いのある使用人を、かわいがっていた若者が殺してしまった。代々伝わる人形だってそうだ。

「お世話になりました」

 四條が立ち上がる。振り返って、師に背を向けて、青梅と氷の方にまで歩いてきた。誰も言葉を口にできるものはいなかった。静謐で厳かな儀式のようで、皆、言葉をしまいこんでいた。

 青梅は、絞り出すようにして沈黙を破る。

「国城さんのためにやったんですよね」

 青梅は自分でもわからないうちに言葉を発した。

 四條が一瞬、目を見開き、すぐに表情を戻した。

「そうですね。たしかにすべては国城先生のために為したことです。しかし、それは私だけが考えた私の利己的な行為であり、他人はもちろん、国城先生からしてみてもそれが望ましいものとは映らないでしょう。わかっていました。それでも私は為さねばならないと考えたのです。狂っていると思われることもわかっています。誰にも理解してもらうことはできませんし、理解してほしいとも望みません。これは私だけの罪であり、宝物なのです。ゆえに、話すつもりも、どうやって壊したのかさえ、私は説明したくはありません。警察もそこまでは求めないでしょう」

 氷が同意しかねるというような表情を見せていたが否定もしなかった。殺人という大きな事件が解決してしまえば、それに付随する価値の低い謎などは警察としていつまでも追うわけにも行かないだろう。

 警察からすれば、否、一般的な感覚からすれば、人形に人の命ほどの価値はない。高価のものが盗まれたというのならともかく、壊されたのだ。犯人が判明しても壊れたものが元に戻ることはない。修理はできるかもしれないが、それは犯人の罪とは別の問題だ。

「それでも、あなたになら解いてもらっても構いません」

 四條が青梅の手をとって、拝むように頭を下げた。

「私は普通の人間です。そんな期待をされてもなにもできません」

 手を振りほどこうとしたけれど、力を込めることができなかった。

「ひとつの密室を解きました」

「必死に考えただけです」

「では、もうひとつについても必死に考えてください。私がどうやって人形を壊したのかも」

 四條が手を離し、顔をあげてから微笑んだ。

「そうして頂ければ、友人として嬉しく思います」

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