闇狩り

秋月忍

闇狩り

 男がひとり。炎天下のさなかというのに、ぶるぶると身体を震わせている。

 七月である。太陽はギラつき、優しさとは無縁に照り付けていた。

 男の前には、まだ真新しい墓石がある。見覚えのある牡丹の絵の入った石灯篭。

 そして、逢瀬を重ね、むつみあった女性の名が刻まれたそれを、萩原新三郎はぎわらしんざぶろうは、真っ青な顔で凝視した。

「お武家様、大丈夫ですか?」

 年のころは十二、三。粗末な衣服をまとった少年が新三郎に声をかけた。

 やや痩せぎみではあるが、利発そうで端正な顔をしている。声は男のモノでも子供のモノでもない微妙なものだ。

 新三郎は、何か答えようとするも、口があわあわとわななき、言葉にならない。

「……これはヒドイ死相だな」

 少年の後ろから、山伏と思しき格好をした男が、そう口にする。

「へ?」

 目を見開いた新三郎に、山伏は顎に手を当ててニヤリと笑った。

「お武家さん、あんた、このままじゃ、今夜、死にますぜ」

 新三郎は、ガクンと膝をついた。

 日は高く、セミが鳴いている。

 新三郎の肌から噴き出した滴る汗は、暑さとは無縁のものだった。


「はじめておつゆに会ったのは、梅見の会でした。今年の二月のことにございます」

 新三郎は、震える声で、しかし、しっかりとそう言った。

 山伏は、名を霊仙りょうぜんと名乗った。少年の名は、ひこ。どうやら山伏の弟子であるらしい。

 山伏と彦に支えられるように、新三郎は自宅に帰ってきた。

 うだるような暑さも新三郎には無縁のようで、薄暗い閉め切った家の中に入っても、身体の震えは止まらなかった。

「私と、お露が出会ったのは、まさしく運命。しかし、お露の父、飯島平左衛門いいじまへいざえもんは、浪人である拙者をよくは思わなかったように思います」

 新三郎は首を振る。

「何度会いたいと文を出しても、返事はもらえず、私とお露を結び付けた医師、山本志丈やまもとしじょうから、翌三月に、お露は死んだと聞かされました」

「それが、真実だとは思われなかったので?」

 霊仙は彦に命じて、新三郎の家の窓という窓を解き放ち、夏の強い日差しを家の中に招き入れる。家の中には、どろりとした闇の陰気が満ちており、生きる者の生気を奪っていくようだった。

「ええ。一度は。山本を通してですが、飯島の家から、正式な文を頂き、形見分けと称して、お露の香り袋が送られてまいりました。お露の死が真実でないにしろ、もはや私とは縁のない女子おなごであったと、あきらめようと思ったのでございます」

 家の空気が入れ替わるに従い、新三郎の顔に血の気が戻ってきた。

「それが、今月に入り、お露が私を訪ねてきたのでございます」

 新三郎は内職として、美人画を描いている。売れっ子とは言い難いが、仕官先のない浪人がひとり、生活していく程度の銭にはなっている。その日は、たまたま、版元から帰るのが遅くなり、日が暮れてから家に戻ってきたのであった。

『ようやくに、新三郎さまの家を見つけました』

 お露を案内してきたおよねという女中が嬉しそうに、扉を叩いたのは、夜も随分更けてからであった。

「その版元から、家に戻られた道筋は?」

 ぱっと、霊仙が地図を広げた。新三郎は、版元の場所を示し、地図の道を指で滑らせる。

「なるほど。谷中新幡随院の墓場の横を通られましたな」

 霊仙はふむ、と唸った。

「お露どのの香り袋とは、そちらに?」

 雲仙は部屋の片隅におかれた手文庫を指さした。新三郎は「はい」と頷き、雲仙の前へと桐の木箱を持ち出した。

 木箱の中には、美しい朱の香り袋と、文が入っていた。

「この文は?」

「一度だけ、お露から届いた文でございます。梅見の後、間もない頃でございます」

「拝見しても?」

 霊仙は新三郎が頷くのを確認して、文を手に取った。女文字でつづられたその文は、溢れる慕情がにじみ出ている。

「桃の節句もともに、と、ありますね」

「はい……しかし、私はその後何度も文を送りましたが、返事は来ませんでした。山本の話では、病に伏せったと……」

 新三郎は首を振った。

「わかり申した。ひとつ、確認をしたいのですが」

 霊仙は言いつつ、新三郎の顔を覗きこむ。

「死してなお、あなたに執着するお露をあさましいとお思いか?」

 新三郎は眼を見開き、首を振った。

「恐ろしい、とは思いますが、同時に愛おしいとも思います」

「ならば、魂を救うてやらねばなりません。このままあなたを憑り殺すようなことになれば、お露の魂は、地獄へと落ちましょう。たとえ共にと願ってあなたが死したとしても、魂が添い遂げることはありません」

 きっぱりと言いきる霊仙に、新三郎はキュッと唇を噛み、頷く。

「桃の節句に必要な料理を用意しましょう。まずは、そこからですな」

 霊仙は、ニヤリ、と笑った。


 さすがに七月のさなかでは、たけのこは手に入らない。

 しかし、ぼてふりの伝手をまわり、ハマグリは手に入れた。

 春の季節を取り入れることは難しいが、この季節ならではの大葉とショウガに甘辛く煮つけたカツオの身を混ぜ込んだ寿司と、吸い物を用意する。今の季節に飲むには、ちと熱いが、甘い白酒。そして、桜の塩漬けを葛湯に浮かべたもの。

 霊仙の弟子である彦は手慣れた手つきで、台所を舞うように調理をする。

 霊仙は、新三郎に命じて、部屋に緋色の毛氈を敷き、納戸の中にしまわれていた黒塗りの膳をその上に用意した。

 新三郎は、身なりを整え、霊仙の用意した酒を口にした。体の隅々までが、生気に満ちてくるような不思議な酒であった。

「大切なのは、お露殿をいたわる心。彼女が願ったように、桃の節句を共に祝ってやって下さい……後のことはお任せを」

 霊仙の言葉を新三郎は噛みしめる。

 そして。全ての料理の用意が整うころには夜はすっかり更けていた。

 月のない晩に、カラン、コロンという、お露の下駄の音が鳴り響いた。


 お露が新三郎の家に入ると同時に、青白く光る灯ろうを持つ女中姿のおよねのまえに、二つの人影が現れた。

「上手く化けたようだが、そうはいかぬよ、死神どの」

 霊仙、だった。手には長い金の錫杖が握られている。

 彦は手に数珠を握りしめ、ひらりとおよねの背後に回った。

「くっ、貴様、闇斬りだな……」

 青白く光る灯ろうを投げ捨て、およねはさっと、右の手に逆手に翻し、闇色の刃を煌めかせた。

「純粋無垢な女子を密かに呪い殺した挙句、魂を闇に落とす。しかも、もうひとつ手土産に魂を手にしようするとは、欲が過ぎるのではないかね?」

 霊仙はそう言って、シャン、と、錫杖を鳴らす。

「おのれ」

 およねの口が大きくさけ、目が朱金に輝いた。

 ザシュッ、と、見えぬ刃が宙を引き裂いたが、霊仙の錫杖がその刃を叩き落とす。

「くっ」

 およねの身体がひらりと宙に舞い、彦の頭上にむかって暗黒の刃を突き立てようとした。

「縛ッ!」

 彦の手から放たれた数珠が、黄金色の輝きを放ち、ぐるぐるとおよねの身体に巻き付く。

 グワッ

 彦が大きく手で印を結ぶのと同時に、人のモノとは思えぬ声がおよねから洩れた。

「さらばだ。死神」

 霊仙の錫杖がシャリンと音を立てると、カシャン、と何かが地面に叩きつけられた。

「拾っておけ、彦」

 頷く彦の前に、闇色の割れた石が転がっていた。


 新三郎は、家に入ってきたお露に、にこやかに笑いかけた。

 行燈の灯に照らされたお露の顔は、ぬけるように白い。大きな黒い瞳は、よく見れば朱い魔性のひかりを宿していた。そしてその白い肌から、闇がこぼれ落ちている。

 それでも、新三郎を見て嬉しそうに微笑むお露の心はまっすぐで、変わらぬ優しさを感じさせていた。新三郎はそのお露のまことの心を感じることで、不思議と恐怖を感じていない自分に驚く。

「お露」

 新三郎は、お露の名を呼んだ。

「今宵は、桃の節句を、そなたと祝おうと思うて、用意いたした」

「まあ」

 新三郎は、優しくお露の手を取り、緋色の毛氈の上におかれた膳の前に座らせる。

「甘酒を」

 新三郎は、お露に甘酒をすすめた。あまい香りに目を細めながら、お露はそれを口にした。

「ああ」

 一口、それを飲み干すと、お露は恍惚の表情を浮かべた。

「食べなさい」

 自らも箸を手にしながら、新三郎がそういうと、お露は遠慮がちに箸を手に取った。

「おいしい」

 ひとくち、口にするたびに、お露の身体からこぼれていた闇が消えていき、肌が黄金色の光を放ち始める。

 やがて。

 膳の上の料理があらかた消えたころ。お露の瞳から朱い光が消え、身体が透き通るように薄くなっていった。

「新三郎さま」

 お露は、全てを悟ったように、居住まいを正し、そっと床に手をついた。

「本日はうれしゅうございました。もう、お会いすることはないと思います。どうか、いつまでもご壮健で」

 すっとあげたお露の面にきらりと涙が浮かんだ。

「お露……そなたに会えて、幸せであった」

 思わず抱きしめて留めたくなる心をグッと新三郎はこらえてそういうと、お露はふわりと微笑し……そして、消えた。

 じりっと、行燈の油が音を立てて、後に残された新三郎の耳に、「ありがとう」というお露の言葉が小さく聞こえてきたのだった。


 新三郎は、その後、美人画で大成した。

 彼の描く女性は、儚く、そして優しげであるともっぱらの評判である。

 そして、霊仙と彦は、広い江戸のどこかで、今日も闇斬りとしていきているそうだ。

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闇狩り 秋月忍 @kotatumuri-akituki

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